本日のブログは4年ほど前の記事からです。ブログテーマは「ジオヒューマン」ですが、このテーマでは過去5回しか書いていません。豊後大野市共育塾(152)、不登校(366)、経営者の道場(268)、地方創生とSDGs(272)から見ればあまりにも少ないです。
ジオヒューマンは自分でも当時は画期的だと思っていました。モノ(ジオパーク)よりもヒト(ジオヒューマン)だと勝手に思っていましたから。その当時の気持ちを読んでください。以下です。
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■ジオヒューマンとは(2020年7月30日)
ジオヒューマンをネットで調べても出てきません。代わりにヒューマンジオグラフィーが出てきます。なんとなく似てる感じなので調べてみました。この言葉は人文地理学という意味で、国際的にも認められた表記のようです。
地理はジオグラフィー、ジオは土地の意味になります。地理に人間は関係ないと思っているようですが、もともと「あの土地にはどんな人たちがどんなにくらしているのだろう」という極めて素朴な興味から生まれた単語のようです。
土地に狭めて考えても「扇状地はどこか」だけでなく「扇状地ではどんな作物を育てているのか」が試験にだされたのではないでしょうか。地理学を大きく二分すると、自然地理と人文地理になるそうです。
少し専門的になってきましたが、基本だけは押さえておきたいのです。ただジオヒューマンとはほとんど関係ないと思います。お互い造語という共通点はありますが、ジオヒューマンは学にはなりません。
学問ではなく実社会での学びとして、実学に近いと思います。では実学とは、となるとまた長くなるので省略します。W とにかくジオヒューマンも感覚だけでなく、ある程度の説明は必要です。
感覚的にはわかってるのですが、伝えて納得までいくには、もう少し深めなければなりません。その深める人がジオヒューマンなので、簡単といえば簡単な話なのです。また明日もう少し続けます。
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以上ですが、この前後にも続けて計4回このテーマで書いています。そして5回目の8月13日を最後に、ジオヒューマンのテーマでは書いていません。それがなぜなのか自分でもわかりません。しかし、その中でも8月1日の記事タイトルは意味深でした。
「ジオヒューマンで人口増を」となっていました。4年前から人口減少問題には悩んでいたのですね。今回は公募の参加にあたり、改めて「ジオヒューマン」を考えてみようと思います。少しワクワク感が出てきました。ではまた明日。