人間は考える葦(あし)である | 臨床美容師のつぶやき(豊後大野市共育塾)

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いくら良い言葉を並べても、お金がからむと真実が見えない。こころを商品化する社会にも同じ不安を感じる。そんなこころの悩みを和ダンボがつぶやきます。豊後大野市共育塾(場所ココミオ)では、そんな問題をみんなで語り合っています。お問い合わせは美容室WAKOまで。

よく聞くことわざです。「人間は考える葦である」とは、フランスの有名な哲学者・パスカルの言葉です。人間は自然の中では葦のように弱い存在である。しかし、「考える事こそ人間に与えられた偉大な力である」ということを述べています。

人間の弱さと思考する存在としての偉大さを言い表しています。学習をしていると、わからない問題に直面することが多々あります。そんなとき皆さんはどうしますか?「解答解説を読む」「もう一度考え直す」「先生に質問する」「あきらめる」…。  

いろいろな選択肢がありますが、どれが正解というわけではありません。しかし、わからないことが出てきたら「何でもかんでもすぐ質問して解決する」というのも考えものです。確かに質問によって疑問が短時間で解決できたりします。

そのぶん練習をたくさんすることができるようになるというメリットがあります。と同時に、自分ではそれほど頭を使わないため、「自ら考えて解決方法を見つける」ということをしなくなる危険性もありそうです。

今の世の中にはAIを搭載したロボットが登場し、いろいろな状況をAIが自ら判断して動くことができるようになってきています。しかし昔のロボットは今のものとは違い、人間から与えられた命令しかこなすことができませんでした。

考えることをしない人は、他人の命令によってしか動かないロボットのような人になります。つまり「ロボット人間」ということになるでしょうか。何も考えずに他人や機械の言いなりになれば、もはやそこに「自分」は存在しません。

脳みそ(=思考)が無くても動くことができるので、そういう人はもはや人間ではなく、一般の動物に近くなると思います、もし人類の大半がロボット人間になってしまえば、「考えるAI」によって支配される世の中になってしまいます。

パスカルが言うように、他者の力を借らずとも人間は自ら「考える」ことができます。せっかく与えられたその力を無駄にせず、まずは自分の頭で考えてみるべきです。もちろん、自分の考えた答が正しいかどうかはわかりません。

「考える」という中身もいろいろあります。AIを開発した人はかなり考えたと思います。そしてそれを進化させるためにさらに考えたと思います。ただこのような考えることは大切ですが、それを使う相手は人間、すなわちアナログなのです。

ここが問題で、あくまでも人間のためのデジタル化であり、AIであるべきなのです。そこを気をつけないと原爆のようになってしまいます。変な効率論がまかり通ります。「原爆を使ったおかげで最終的な死者数は減った」という理屈が成り立ちます。

アメリカ人はそう考える人も多いようです。原爆投下もいろいろと考えた結果ではあります。考えること自体は悪くはないが、何をどう考えるかが一番大事です。死者数を気にするのであれば、そもそも戦争を起こさないことを考えるべきです。

考える順番が違いますね、そう考えると人口増加も同じように見えてきました。戦争を前提に死者数を考えるのでなく、その戦争をしない方法を考えることです。人口問題も人口減少を前提に考えることは、戦争をする前提と似ていませんか?

減る場合も増える場合もあるのに、なぜ「減る」を前提にするのでしょうか。それにはデジタル化が大きく影響しているのは間違いありません。無駄を省くは、一部の残したい物(人)だけを残すと同意語です。人間は考えるだけでもダメと思います。

その思考力を使って、どう考えるかが一番重要なのです。人口増加は戦争をなくすくらい難しいのはわかります。どちらも人間の欲がからんでいるからです。それが人間ですから、やはり「人間を考える」が一番必要ですね。続きはまた明日。