元旦に石川県能登半島で大地震が起きました。「何も悪いことしとらんけどね…」と涙を流す被災者がいました。しかしいくら良いことをしていても、関係なく起きるのが天災です。そこに「なぜ?」の理由は見つかりません。
疑問の余地もなく、そういうものと捉えるしかないのが自然災害です。操作できるものではありません。石川県能登半島の場合は、最近はよく地震が起きていました。ではそれに対応して引っ越せるか、それはできそうでできません。
少し前も歩道を歩いていた母子が、一瞬で車に引かれて亡くなりました。それを目の前で見た父子がいました。あと数秒でもずれていたら会わなかった事故です、亡くなった母親はとても立派な方のようでしたが、それも関係なく事故は起きました。
災害は日頃の行いなどに関係なくいつ起きるかわかりません。常に周りに気を張って通行すれば多少は違うかもしれません。わたしなどは歳のせいか、よくつまずくことがあります。この場合はずっと気を張って歩けばかなり防げます。
一歩一歩を慎重に歩けばよいですし、疲れますができないことはありません。しかし地震などは日頃の生活態度などはまったく関係なく、理不尽、無慈悲、非情に起きてしまいます。こんなときは宗教にも無力感を感じるでしょう。
自然災害や偶然の事故、防ぐことが無理なことはいくらでもあります。気にし過ぎもよくないですが、少しは想定するのも悪くはないと思います。しかし災害が起きたからそう思うのであって、なかなか普段はそうは考えません。
幸せが多い人ほど反動も大きいです。地震の後遺症は全国にまで広がっていると思います。いつどこで起きるかわからないのが地震です。被害を受けた方にも何も原因はありません。ただ残って生きている人はこれからも生きなければなりません。
二次被害にならないようにだけは気をつけてください。明日は我が身とわたしは思います。悔いのない毎日を大切に生きること、それしかないことを改めて思わされます。ではまた明日。