「不登校の原因を聞く」のは愚問か? | 臨床美容師のつぶやき(豊後大野市共育塾)

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いくら良い言葉を並べても、お金がからむと真実が見えない。こころを商品化する社会にも同じ不安を感じる。そんなこころの悩みを和ダンボがつぶやきます。豊後大野市共育塾(場所ココミオ)では、そんな問題をみんなで語り合っています。お問い合わせは美容室WAKOまで。

元々は「登校拒否」から「不登校」に、あるときから変わりました。しかし最近はこの不登校にも違和感を持つ人が現れ、問題提起をしています。「不」のイメージがどうも悪いようなのです。わたしは個人的にはこのままで良いと思っています。反対する方はかなり深く考えているようです。


この不登校という言葉の最大の欠点を、個人ではなく社会問題と捉えているようでした。しかし現在のような子どもの多様化に、公立校などがついて行けるでしょうか。わたしは正直無理と思っています。理想と現実は違いますし、先生の負担も半端なくあります。


理想は理想として必要ですが、それを現実に落とし込むにはかなり大変です。そしてその発言者は、「君が不登校になった原因は?」と聞くことを愚問と断定しています。しかしこれは、まず最初に普通に聞く質問で、これを聞かずして何を聞くのかという感じです。


もちろん聞いた後が問題で、原因がハッキリしている場合とわからない場合があります。前者の場合はいじめなどの人間関係が多いです。後者は発達などの障害も絡み、専門家が必要な場合もあります。ここで大事なのは、不登校の専門医などは基本いないということです。


心理の分野も「心理学」のように、学が付くとイメージが変わってきます。経営なども同じで、経営学を学んだだけでは経営はできません。心理学を学んだからと、人のこころがわかるわけではありません。傾向やタイプを専門用語では分類はできます。そして対策もある程度は示します。


しかし、それを実践で生かすには経験が必要になります。理論と実践どちらも必要ですが、こころに関しては実践のほうがウエイトは高いです。行動はこころが決めます。ここでこころと脳の関係が気になります。よく頭で考えると言いますが、頭とは脳のことです。


脳は大事な記憶をしてくれる場所です。もちろん考えたりもします。しかし、ひどく落ち込んだりしたときに、病院でどんなに脳の検査をしてもその原因はわかりません。脳の働きとこころや意識との関係は、その仕組みがまだそんなにはわかっていないのです。


時を戻そう。今日は言葉に敏感過ぎるという話をしたかったのです。言葉にはいろんな解釈もあり、「死ね」という言葉でも、本当の死ねと気合いを入れるための死ねがあります。親が子どもに「そんなに死にたければ死になさい」と言ったとしても、本気で死ねと思ってるはずもありません。


親の立場としても子どもを叱ったときに、その真意が伝えられないこともあると思います。普通は感情が入ることも多いはずです。それはダメというよりも、親も経験不足からくるのです。ではそれはどこで学ぶのかといえば、仕事などがその場所になることが多いです。


職場の人間関係、これも結構大変です。ここで鍛えられながら対応を学びます。他人との人間関係の苦労を知れば、子どもなどはずっと楽に感じるはずです。また話が少しずれてきましたが、とにかくとんな偉い人が言ったとしても、それはその人個人の考えです(断言)。


正当に見えても、あくまでも1人の個人の考えなのです。そのくらい感じ方や受け取り方は千差万別です。不登校でも言葉を変えだすとキリがありません。そこに振り回されず、言葉の本質を見ましょう。今日も少し脳が疲れる内容でした。書くほうも疲れてます(笑)。ではまた明日。