毎日、自分の肉体を言葉や思考、想念が通過しています。
キリストの言う「最初に言葉ありき」を逆説的にとらえると、感情というのは言葉がもとになって、後から湧き上がってくる機械的な反応に過ぎません。
ですから特にそれらに振り回される必要もありません。振り回されても悪いことではないですが、振り回される前に、コントロールする技術やトレーニング方法もあります。
昔から「雨あられ 雪や氷とへだつけれど 溶くれば同じ谷川の水」と言うように、水はいろいろなかたちで見えますが、もとは同一のものです。
空海は「一は一に非ずして一なり。無数を一と為す」と言っています。
モノも姿も一様ではなく、バラバラなように見えても一つであり、無数であっても一つである。
人の心にも多面性があってさまざまな顔を見せるけれど、その本体は一つだと言っているわけです。
喜び、怒り、悲しさ、寂しさ、いとおしさ、とバラバラな感情が生まれては消えます。
でもその本体は「自分の心」という一つのものであって、もし悲しみや憎しみなどで心が塞がっても、それが自分のすべてだなどと思わないことです。
その本体は「もともと静かで澄みきっている意識体」であることを忘れないでください。