ここ最近、この世界ってなんで存在するんだろう?とか、自分自身の存在について考えることが多くなった。
別に、考えようと思って考えてるわけでもなく、なんとなくぼーっとしていると頭に浮かんでくるので、最近はそういった本もちまちま読んだりしている。
その中に、「僕たちは神によって作られた」とする説明がある。
いわゆる、創造論。
人間を含む万物は全知全能の神によって作られた、という考え。
よく言われている論拠の1つとして、「あらゆる点で完璧に近い人間や動植物が生まれたのは偶然とは思えない。作った何者かがいるはずだ!」というもの。
つまり、僕らをデザインした者(神)の存在を仮定している。
確かに、生物としてのクオリティの高さを考えれば、偶然だけでは説明できない何かがあるのかもしれない。
しかし、果たして本当にそうだろうか?
というのも、神の存在を仮定するとなると色々と問題が起こる。
まず、デザインという観点から見れば、人間や動物には色々と欠陥が多い。(錯覚や腰痛など)
もし神が我々を作ったのだとすれば、なぜこのような欠陥を残したのか?という疑問は無視できない。
・・・いや、そもそも神だって完璧じゃないのかもしれない。
もしAIに人格が芽生えるようなことがあれば、自分たちを設計した人間を神だと思うかもしれない。
そう考えれば、人間を作った神が完璧じゃなかったとしても不思議ではない。
しかし、それはそれでいくつもの厄介な疑問が生じる。
どんな意図で我々を作ったのか?
その神を作った存在は誰なのか?
そもそも神はなぜ存在するのか?
創造論を支持するということは、少なくともこれらの疑問に答えを出さなければいけなくなる。
こんな感じで、話を複雑にせざるを得なくなってしまう。
僕は別に、「神なんて絶対にいない!」とは思わない。
いるかもしれない。
ただ、言うまでもなく証拠が足りない。
だから特に信じる理由もない。
並外れた主張には並外れた証拠が要る。
1週間で激ヤセする怪しいサプリの方が、まだ僕たちに希望を与えてくれる。
ちなみに、創造論の証拠として聖書をあげる人がいるけれど、1番古いマルコ伝でさえイエスが死んでから30〜40年後に書かれてるらしい。
だとすれば、その間に誇張や歪曲が施されていると考えるのが自然であり妥当だろうと思う。
・・・いずれにせよ釣り合いは取れていないわけだけど。
じゃあ、我々の存在をどう説明するのか?
創造論に代わる、妥当な説明はあるだろうか?
人間や動物が限りなく完璧に近くデザインされていることについてはどう説明すればいいんだろう?
答えは、"単なる偶然"
以上!
厳密に言えば、進化の結果。
ここで創造論者に口を挟まれそうだ。
「人間や動物、そしてそれらが住める地球の環境。これらが偶然成り立つ確率は非常に低い。進化論じゃ説明できない。だから何者かが作ったと考える方が妥当だ。」と。
このように言う人は、人間や生き物がポケモンのように突然の進化を遂げたと勘違いしているのかもしれない。
おそらく、『自然淘汰』の気の遠くなるような壮大なプロセスが無視されているのだと思う。
簡単に言えば、進化のメカニズムを正しく理解してないとそういう考えになる。
まず、今僕らが知っている人間や動植物は、この世界に誕生したときからこのフォルムだったわけじゃない。(まぁ当たり前なんだけど)
遺伝子の突然変異、それもとてつもなく小さな変異が、何百万世紀も積み重なればどうなるかを想像してみてほしい。
集団よりも少し耳の良い子どもが生まれれば、敵の接近に気付けるようになり生存に有利になる。
そしてその遺伝子は次世代にも受け継がれる。
で、ちょっと耳の良い子どもとか、ちょっと口の機能が優れた子どもが生まれる。
そんなことが、これまでの歴史の中で無数に繰り返されたら?
そしてその進化は、小さな変異でなくてはならない。
突然変異というと、何か大きな変化が起こったのだろうと想像するかもしれないけど、それだと逆に生存に不利になる場合があり、生き残れなかった可能性が高い。
小さな変異には、リスクを最小限に抑えるという大きな利点がある。
それとは逆に、大きな変異には代償が伴う。
例えば、僕たちに突然翼が生えたと仮定してみよう。
空を飛べるようになったことで、移動が楽になったり、様々なメリットがありそうに思える。
ところが、実際はそんな簡単な話じゃない。
着る服に困るかもしれないし、事故で衝突したときに落下死するかもしれないし、そもそも身体の重さに翼が耐えられないかもしれない。
時代によっては撃ち落とされる危険もある。
このように大きな変異というのは、環境適応の観点から考えた場合、かえって生存に不利になる可能性が高い。
(競走馬が骨折しやすいのもこのため)
だから少しずつ進化していく必要があった。
これならリスクを最小限に抑えられるから。
これが、自然選択。
今の生物のありようは、環境に適応しようと紆余曲折した偶然の結果に過ぎない。
科学が発展していなかった頃は、自分たちの無知を神の存在で埋め合わせるしかなかった。
かつては雷や嵐も、神の怒りによるものだと考えられている時代もあった。
でも、今はそれももう必要なくなった。
自然現象に対して無知ではなくなったからだ。
スコットランドの哲学者であるデヴィッド・ヒュームも言っていたように、神も宗教も、無知と恐怖によって生まれる。
繰り返すように、僕は神の存在を否定するつもりはない。
この世界の存在を説明する論拠としての価値はないというだけ。
ただ、こういうのを考えるのはなんだかんだ楽しい。
生物の存在を自然淘汰によって説明できたとしても、宇宙はどのようにしてできたか?などの疑問は残る。
ただ少なくとも、わからない部分を神や超常現象で埋めるのは違うと思う。
皆さんはどう思うだろう?