過ぎたるは、何とやら | daivampremaのブログ

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世界が平和でありますように。
みんな幸せでありますように。

何でも、過ぎるのは良くない。

仕事のし過ぎ、食べ過ぎ、考え過ぎ、

遊び過ぎ、がまんのし過ぎ…


仕事のし過ぎで、心まで病んでいる人があった。お金はたくさん稼いだかもしれない。

しかし、平安は失った。若いときから仕事ずくめで、ずっときたという。


また、金の亡者もいた。働いて働いて、お金を貯めることに一生懸命になっている。そういう人には近づくことができない。普通に話をすることができない。目くじらが立っている。

こちらが伝えたいことを最後まで聞かず、結論を先に言えという。


穏やかな話し方は非常に大切である。私はとくに、ゆっくりと話す。それが、繰り返しのように聞こえるのだろう。話が堂々巡りになると、その人に言われた。


先に述べたほうの人は、仕事柄、仕方がない面もあると思う。そういう忙しい仕事なのだから。自分で調節して、無理のないようにできたら、と思う。彼の場合は、自分で分かっていた。


しかし、二番目の人の場合は、自分の異常に気がついていないと思う。相手の方が間違っているか、相手を信用していない。

気の毒な人であり、お疲れ様、と言っておこう。


さまざまな人がいるけれども、ほっておくしかない。近づいて自分が気分を害するよりは、知らぬ顔をしておこう。


ただ、間違ったことを言われたときは、おじけづく必要はない。自分の方が正しいと信じるなら、堂々としておればよい。たとい相手が年長者でも、折れてはいけない。それを貫き通すことだ。

年長者であっても、諭さねばならない時もある。


中庸は大切である。そして、なかなかできることではないかもしれない。

無事これ貴人という言葉もあるように、何事もなく無事でいることは難しい。


何事かが起こったとき、自分の意に沿わないことが起こったときに、その人が、どのように対処したかが問われる。


そういう時に、人間性が出る。


何にしても、疲れを出しませんように。


daivamprema

2024.1.19