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泡沫の謳

50代共働き主婦(子供なし)
凌玖(サイベリアン)
宵瑠・結稀(ノルウェージャンフォレストキャット)の3匹の猫と暮らしてます。自分のこと、猫さんたちのこと、徒然に記していきます。


フローライトのブレスです。


フローライトに含まれるグリーンとパープルの頂点にクロムダイオブサイトとアメジストを配置しました。


フローライトの色目は濃いの薄いの色々で、グラデーションに並べるのが難しい💦


主に休日やプライベートで着けてます。



こっちはアベンチュリンとブルータイガーアイ。だいぶ以前に安い石屋さんで買った4ミリ玉のアベンチュリンとカット水晶のブレスを解体して作りました。


主に仕事用。




これもリニューアルした主人用。四神彫が入ってます。


今、他にも作りたいと思っているのがあって、内包物水晶メインにしたブレスと、車のお守り用にサーペンティンとマラカイトのチャーム。


車の方はこの間事故ったので、強化用。

(その話はまた)



あまり新作には興味を示さない子ですが、このマットには即日反応しました。


ブレスの中ではフローライトがお気に入りです。

今日は久しぶりのまったり休日。

 

洗濯して、掃除して、お昼はなしで時々お菓子を摘まみながら録りためたテレビを鑑賞して、久しぶりにPCを開けてる。

 

先週は紗羅が下痢になってちょっと大変だった。季節の変わり目弱い子だけど、ちょっと今回はいつもと違ったから。でも、もう9歳だし、毎年のことでも、回復に時間がかかってしまうのかもしれない。

 

今はもう元気。

 

暖かいし外に出たくて仕方ない感じ。

 

すっぴんだからちょっと待ってね。日差しがあるから日焼けしちゃう。

 

その前の週は、両親の介護保険認定調査があって、私がぼろぼろだった。

 

あんなに疲れるものなのか。ありのままを見せた方がいいと思って、事前に掃除とか何もしに行かなかったら、本当に何にもしてないの。

外部の人が来るのわかってるのにね。

座布団一つ出してない。まだ寒いのに、屋外かと思うような部屋で調査してもらった。調査員さんごめんなさい。

呆れまくってフォローする気にもなれなかったよ。

まあでも、取れて要支援だろうな。

今回こそは、使えるサービスは使ってもらおう。私の精神的負担を減らすのだ。

 

去年の秋くらいから、整骨院と言うところに通い始めました。

 

きっかけは頭痛が治らなくて、旦那が探してくれて行ったんだけど、そこがもう本当に癒しの空間でね。

整骨院と言ってもぐりぐりマッサージしたりはしなくて、歪みを整えてくれるという感じ。

なにより、初回で私が家族と言うか親のことで苦しんできたってことを見抜かれたからね。

「頑張ってきたね」って言われて、

沁みたわ。涙出た。

私の体の不調は長年ため込んできたそういう苦しみが根底にあるのだって。

そんな話、最初は何もしてないのに。

まあ、腕の傷見られて当たり障りない程度に話しただけだったのに。

全くの赤の他人に、自分を肯定してもらったのって、旦那以来だった。

 

嫌いでいい。

無理にいい子でいなくていい。

したくなくて身体が痛いくらいならしなくていい。

 

最近、自分の本心…と言うか普段なら思ってても口にしないような本音を口に出すと、涙が出てくるのだと言うことに気が付いた。

 

自己開示がへたくそなのだ。

それは、小さいころから大人の顔色を窺って生きてきて、自分の思いを飲み込んできたかららしい。

 

これもあの人たちのおかげだよね。

あーもー、しんどい。

 

自分らしく生きると言うことを、大人になってから始めるのはとても難しい。自分でいろんなガードを作ってしまった後だから、理屈はわかっていても、簡単なことでも、うまくできない。

 

生き直すには遅い歳だけど、できるなら、今からでも、少しでも自分らしく生きたい。

 

はぁ~。

 

今日から4月。

 

区切り。

 

何かちょっとでもいい方に、踏み出せますように。

 

 

 

先日、母親の血圧測定値改ざんが発覚。

 

血圧高目で病院にかかっているくせに、超安定の血圧記録ノートを提出していて、医師が疑問に思って私を診察室に呼んだ。

 

認知かもしれない、と。

 

けれど、よくよく本人に聞いてみると、

 

高い血圧だと、医師に怒られるから改ざんした。と言うのです。

 

認知…図った数値を覚えられないとか、測定できないとかではなく、故意だった。

 

呆れた。

 

結局、数値はちゃんと書くように言ったら、しているようだし、認知の検査もクリアした。

 

けれど、私に恐怖を与えるには十分な出来事だった。

 

父親の方が高齢で、もともと母(誰か)がいないとダメな父がどうにかなっても、とりあえずは母がいると思っていた。

 

けれど、順番が逆になると、一気に二人分の介護と言うものが私にのしかかってくるのだと言うことを突き付けられたできごとだった。

 

親との関係に悩んで、精神を病んで、家を出てから約20年。

 

何とか「できる範囲」での世話で折り合いをつけてきたが、そろそろ逃げていられなくなってきたようだ。

 

頼れる親族ももう一人しかいない。その叔父ももう高齢だが、まだしっかりしていてくれて心強かった。

 

とりあえず、介護保険の認定を申請して、今書類待ち。

 

日常生活は自分たちでしているので、おそらく要支援1くらいだろう。

 

それでも、ケアマネージャーと呼ばれる人が付いてくれるだけでだいぶ違うと叔父が教えてくれた。

 

両親にかかわると、数日は気分が落ち込んで、頭痛が続く。

 

どこまで行政にお願いできるのかわからないが、とにかく認定をしてもらう。

 

そこからだ。

 

ちゃんとしている人と話すのは、ちょっとやっぱりきつい。

 

「生んでくれた親じゃないか」「娘だろう」って言う言葉がやっぱり出てくる。

 

そうでなくてはならないと自分で自分に言い聞かせて生きてきて、壊れた人間には、本当に痛い言葉だ。

 

そうでない親子があると、世の中はあまり理解してはくれない。

 

ほとんどの人が、常識的でちゃんとしているからに他ならない。

 

思い知らされる。

 

私はいつまで、これに傷ついて生きなくてはならないのか。

 

いっそのこと、すべてから逃げたいと、思ってしまう。