14年間ありがとう。
いろんなところに行ったね。
毎日の通勤に、時には東は日光、北は新潟、南は鹿児島。
よく走ってくれた。
総走行距離 280,000キロ
人生で一番長い期間、一番たくさん走った車でした。
ありがとう。
今日は、意外とみんなちゃんとしてるんだなぁ…って感心した話。
今から息子さんが結婚すると言う会社のお姉さんが、先日両家の顔合わせをしたという話をしていた時のこと。
会社の同僚くん、授かり婚(昔で言うできちゃった婚)なんだけど、そういう時ってバタバタしていろいろ飛び越えそうなのに、ちゃんと結納して、婚約指輪も結婚指輪も買って式もして…って、すべて儀式を一通りやったんだと言う話を聞いたの。
単純にすごいなぁ…と思った。
ちゃんとするんだ…って。
まあ、私が何もやらなさすぎなんだけど(笑)。
うちは本当に、届けを出して、結婚指輪を二人で買って、一応お知らせ用にウェディング写真を撮っただけ。
私が自分の親と同席しての顔合わせが嫌だったし、まともに受け答えなんてできない親だったから、そもそも会わせたくもなかったから、それすらお断りしてたんだけど、義両親はうちの親に会ってくれて、それでも結婚を認めて下さった。
そもそもお金のない家だったから、お金が動くような結婚ならしないつもりだった。
旦那が結婚を望んでくれた時、結納も要らないし、式もしないし、家同士の付き合いなんてできないし、年齢が年齢だから子供だってできるかどうかわからないけど、それでもいいのか?って散々聞いて、旦那がそれでいいって言うから結婚した。
人様にもらってもらえるような女ではないし、そこにさらにお金まで払ってもらうなんて、とんでもない。そんな価値は自分にはない。もちろん、親にもないって思ってたし、「式は親やお世話になった人たちへの恩返し」とか言う人もいるけど、その日一日で泡と消えるようなイベントにお金を遣わず、二人で新たに始める生活にこそ、お金がかかるのだから、したくないと思ってた。親を人前に出すべきではないとも思ってた。
だって、従妹の結婚式に「申し訳ないけど、(親の代わりに)出てくれない?」と親戚がまだ成人したての私に頼むような親なのだ。ただ出てくる料理を食べていればいい御呼ばれにすら敬遠される人たちなんだから、準主役でいろんな人にご挨拶したりとか無理だろうって思った。
そうやって、いろいろ思い出していると、たとえ私が儀式をやりたいと思ったとしてもできなかったな…と改めて思う。
つまりは、同僚くんは授かり婚って言う、順番は間違ってしまったけど、親がちゃんとしていたということだ。お姉さんもちゃんとした人の親だと言うこと。
うちは違った。
そもそも、そこが間違いなんだと、再確認してしまった。
また昏くなってしまいそうだけど、
それでも、義両親は1人の人間としての「私個人」を認めてくれて、今も義娘としていろいろ気を遣ってくださる。もう子供が望めない年齢になってしまっても、縁を切るようなこともなく、受け入れて下さっている。とてもありがたいことで、素晴らしい人たちだな…と思う。
私は今、そこそこ幸せだ。親はまだ健在で、世話ばかりかかるし、旦那の兄弟に甥っ子たちが生まれて、申し訳ない気持ちが湧くことも多いけど、私と言う人間を受け入れてくれている「場所」がある。それは、自分の生家にさえ、感情の置場所がなかった私には幸せなことだ。
普通の感覚で儀式をする人たちの会話には、なかなか入っていきづらいし、私ってダメなんだなって落ち込んでしまいそうになるけど、仕事があって、家があって、受け入れてくれる人がいて、安心して眠れる。
お義母さん、お義父さん、ありがとう。
母の日、父の日、いつもセットでごめんなさい。