泡沫の謳

泡沫の謳

50代共働き主婦(子供なし)
凌玖(サイベリアン)
宵瑠・結稀(ノルウェージャンフォレストキャット)の3匹の猫と暮らしてます。自分のこと、猫さんたちのこと、徒然に記していきます。

ぽつりぽつりと、ふとした時に親のことを思い出すようになった。


両親が生きていたころ、離れて暮らす両親を思う時とは少し違ってきている。


あの頃は、思い出せば思い出すほどに重かった。


介護施設や病院を見ると、将来を悲観した。そういった施設との関りをする前から煩わしく思った。手続きは煩雑だろうし、すぐには入れないだろうし、何かと呼び出されることも増えるだろうと、マイナスなことしかなかったけど、在宅介護ができない以上、それはしなければならないことだから。


今は、そういう物事を見聞きすると、一瞬あの頃の感情になってぎゅっと委縮してしまうが、次の瞬間には「あ、もういいんだっけ」と気が抜ける。


そして、父親の臨終の日を思い出す。


多分、誰もその日にそのまま逝ってしまうなんて思ってなかった。


看護師さんも、「今はもう落ち着かれてますから、家に帰られますか?」って聞いてくれた。


「いつ何が起きてもおかしくないから、ここにいてください」とは言われなかった。


母の死を告げて約1ヶ月病院から施設へ移って数日のことだった。


やっとの思いで病院を出られても、家には帰れない。帰っても母はいない。


あんなに帰りたがっていた家に、もうおそらく帰れないんだということが、父にもうっすら分かったのだろう。だから、もう頑張る気力が湧かなかったのだと思う。


そう言えば、父の最期の言葉は「おおきん(ありがとう」だったと思い出す


いつものテンプレ的に発せられるようなものではなく、もう冷たい手で私の手を握って、目を見て発せられた「ありがとう」だった。


亡くなったのは夕方だが、最後の会話は午前中だった。


施設から病院に移ったと聞いて、急いで駆けつけると、その時はまだベッドに座ることができていた。


それを思い出した自分の感情をどう表現していいのかわからない。


今更特別寂しいわけでも、罪悪感が湧くわけでもない。


確かに、タラればは言い始めたらきりがない。他人から見ればもっとできたことがあったかもしれないが、はあれ以上はできなかった。


ただ、事務的に死後のあれこれを片付けて落ち着いて、やっと休日に自分の予定を入れられる。やっと、将来両親のことでの不安がなくなる。


やっと、これからなら言えるかもしれない。

私から「ありがとう」を。


祖母が望んだ私、家のための私、両親のための私。


あの時、本当はこうしたかった。あんな道に進みたかった。


自分の人生の分岐点で自分以外を優先して決めてきたことはたくさんある。


それも、それに伴う罪悪感を避けた自分の判断だけれど。


その枷が切れて、やっと私はこれから私のために生きられる。


それでも今はまだ罪悪感みたいなものの方が勝っているけれど、そのことに幸せを感じられるようになったら、本当に心から生んでくれてありがとう」と言えるだろう。


私は今でも自分は親不孝な人間だと思っていけれど、そう思って罪悪感に苛まれているうちは多分本当の意味で心から「ありがとう」とは思えない気がする。

そんなことなど取っ払って、自分の生きたいように生きられて初めてそう言えるのであれば、なにか罪のようなものを背負うようにして生きるよりも、その方がいいのかもしれない。


そう思うのは自分に甘すぎるだろうか。



紗羅さんには耐過重が心配で使わせてあげられなかった窓吸盤ベッド。


乗ってもすぐ降りてしまいますが💦




うちに来た頃はパパにべったりでしたが、最近は私の頭の横で、枕をシェアして眠ります。


子猫が可愛いのは当たり前ですが、家の中の変化を察知してちょっと不安そうなお兄ちゃんが無性に可愛く思える今日この頃です。