ぽつりぽつりと、ふとした時に親のことを思い出すようになった。
両親が生きていたころ、離れて暮らす両親を思う時とは少し違ってきている。
あの頃は、思い出せば思い出すほどに重かった。
介護施設や病院を見ると、将来を悲観した。そういった施設との関りをする前から煩わしく思った。手続きは煩雑だろうし、すぐには入れないだろうし、何かと呼び出されることも増えるだろうと、マイナスなことしかなかったけど、在宅介護ができない以上、それはしなければならないことだから。
今は、そういう物事を見聞きすると、一瞬あの頃の感情になってぎゅっと委縮してしまうが、次の瞬間には「あ、もういいんだっけ」と気が抜ける。
そして、父親の臨終の日を思い出す。
多分、誰もその日にそのまま逝ってしまうなんて思ってなかった。
看護師さんも、「今はもう落ち着かれていますから、家に帰られますか?」って聞いてくれた。
「いつ何が起きてもおかしくないから、ここにいてください」とは言われなかった。
母の死を告げて約1ヶ月、病院から施設へ移って数日のことだった。
やっとの思いで病院を出られても、家には帰れない。帰っても母はいない。
あんなに帰りたがっていた家に、もうおそらく帰れないんだということが、父にもうっすら分かったのだろう。だから、もう頑張る気力が湧かなかったのだと思う。
そう言えば、父の最期の言葉は「おおきん(ありがとう)」だった。
いつものテンプレ的に発せられるようなものではなく、もう冷たい手で私の手を握って、目を見て発せられた「ありがとう」だった。
亡くなったのは夕方だが、最後の会話は朝だった。
施設から病院に移ったと聞いて、急いで駆けつけると、その時はまだベッドに座ることができていた。
それを思い出した自分の感情を、どう表現していいのかわからない。
今更特別寂しいわけでも、罪悪感が湧くわけでもない。
確かに、タラればは言い始めたらきりがない。他人から見ればもっとできたことがあったかもしれないが、私にはあれ以上はできなかった。
ただ、事務的に死後のあれこれを片付けて落ち着いて、やっとこれからなら言えるかもしれない。
私から「ありがとう」を。
祖母が望んだ私、家のための私、両親のための私。
その枷が切れて、やっと私はこれから私のために生きられる。
今はまだ罪悪感みたいなものの方が勝っているけれど、そのことに幸せを感じられるようになったら、本当に心から「生んでくれてありがとう」と言えるだろう。
私は親不孝な人間だと思っているけど、そう思って罪悪感に苛まれているうちは「ありがとう」とは思えない。そんなことなど取っ払って、自分の生きたいように生きられて初めてそう言えるのであれば、その方がいいのかもしれない。
そう思うのは自分に甘すぎるだろうか。