百花春至って誰が為にか開く | ゆうの日単「己事究明」

ゆうの日単「己事究明」

滋賀県東近江市能登川町にある禅寺、大徳寺の住職です。「禅は己事究明である」とは、学問の師の言葉。日々の活動や思ったことを気ままに更新していきます。見て楽しんでいただけたら光栄です。

寒い一日でした。

今朝は、月一回のお地蔵様の法要。

毎月の行事を無事行えることは、何よりありがたいことです。

 

2月は前半、体調不良でお寺に籠っていたので、あっという間の一か月でした。

そしていつの間にか蝋梅や梅の花が咲き、寒い中にも春の兆しが見えています。

いつの季節も花は美しいものです。

 

「百花春至って誰が為にか開く」

という禅語があります。

花はいったい誰のために咲いているのか。

誰のためでもありません。

時分のためでも人のためでもなく、ただありのままに咲いているだけです。

その精一杯、ただ咲いている姿に私たちは感動するのでしょう。

 

今自分にできること、自分がやりたいことを一生懸命にする。

あらためて、シンプルに考えて過ごしたいと思います。