1月20日は、当寺の中興、密雲祖印和尚のご命日。
本堂には木像が安置されており、ご命日には像を本堂の正面に移して報恩のお経を唱えます。
大徳寺は元々臨済宗東福寺派に属する寺院でしたが、永禄年中(一五五八~六九)、この土地を治めていた佐々木氏没落の際の兵火により焼け、荒廃しました。
その大徳寺を復興したのが密雲和尚です。
密雲和尚について、『長福山大徳禅寺誌』竹貫元勝著には次のように書かれています。
密雲祖印は、イバラを刈り、茅屋を結んで廃跡の大徳寺を復興した。質朴枯淡な生活をして資金をつくり、堂宇の造営を進めたという。
天和三年(一六八三)に庫裏を建て、方丈の上棟ができたのは元禄九年(一六九六)になってからであったという。
仏殿・地蔵堂・庫裏を建てて寺観をととのえ、さらに仏具などを揃えて、遂に廃跡の大徳寺は復興された。その頃の仏具が今日につたえられている。
しかし、密雲祖印は、自らを中興開山とすることはなく、二世住持となった。中興開山には、香山祖桂禅師をかかげている。密雲祖印は香山祖桂の弟子である。師匠に礼をつくして、勧請中興開山としたのである。
香山祖桂は、雲居希膺について坐禅修行し、その法を嗣いだ妙心寺派の禅僧であった。
大変な苦労をされ、当寺を中興したことが本の内容から伝わってきます。
密雲和尚がおられたおかげで、臨済宗妙心寺派の寺院として今の大徳寺があります。
これからも雲居禅師から繋がれた法を絶やさず、この地で護ってまいります。
読経の後、像を下ろして埃を払いました。
いつか綺麗に修復したい。