誰も弾かなかった『ショパンの舟歌』 | 簡単に考える。

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人から見ると、かなりシンプルらしい私の思考の雑記。
いかに心穏やかにハッピーに暮らすかを主に考えて生きています。 物事を簡単に考えましょう。


昨日半日かけて
久々ブログ書きました。

その中で
「私が特に好きになるピアニストは
日本に来そうになかったり、
来てもチケットが売り切れたりしない。
なんで?!」

みたいなことを書きました。

うっかりしていました。

昨年大好きになったピアニストは、
間違いなく今日本で最も愛されている
ピアニストのうちのお一人だった。

昨年の秋に
You Tubeで勝手にあがってきた
こちらの動画には
心がふるふるしました。



私が随分前に
「この曲はピアニストの夢なんだよなあ」
と記事にしたこともある、
ショパン作曲の『舟歌』という曲。

世の演奏会が軒並み中止になったことで、
音楽事務所がこういった動画を
わざわざ撮影してアップしてくれている
ようで、たまたま見て

動画の最初にBGM的に
その演奏の一部が流れてくるんだけれども

その一瞬で、
「え、なに?!」となりました。

舟歌というと、
私が特に「見果てぬ夢」(笑)のように
あがめ奉っていることもあって

静かな中にも
終始超ドラマティックな曲だと
位置づけているのですが、

藤田真央の舟歌は
子守唄みたいな優しさで、
言葉はおかしいけど
「度肝をぬかれた」くらい衝撃だった。

演奏も人物もとことん優しくて、
最初1分ほど本人のご挨拶があるんだけど、
もうチカラが抜けすぎていて
ちょっとした、おじいちゃんみたいな♥
最後に「・・バイバイ」って言うのですが、
その言い方もなんとも優しくて。

で、舟歌の演奏が始まるのですが
ここでもまた私「え?!」と。

「待って待って!」
「いつ弾き始めたの!?」って
思わず動画を巻き戻すほど、

知らないうちに、ぽーんと
舟が出ていました。

プロローグみたいのがあって、
いよいよ物語が「始まる!」という
波が、たゆたう左手のモチーフがあって。

この辺りは、自分で弾く時は
いつも「悦」に入らずにいられない(笑)
※憧れの頂点のような曲だから、
それも仕方ない


冒頭の和音は、
私が見ている大抵のピアニストは
準備してぼーーんと入るし、

その後「波」が静かに始まる時も
結構「静かにドラマチック」に
表現しているピアニストがほとんどだと
【私は】思ってた!

なぜならこの曲は
あの素晴らしい『舟歌』さま!だから。


でも藤田真央さんのは、
私が聴いてきた舟歌とは全然違って

特にその弾き始めが
「今まで誰もやらなかったんじゃないだろうか」と、
私が思い切ってタイトルにしたくらい、
珍しくて。
さりげなさすぎて、逆に印象的過ぎる始まり。

私の聴いてきた『舟歌』では
小舟が進んでいって
海にでも漕ぎ出していくような
そういう物語があるけれども

藤田真央の舟歌を聴いていると
ドラマの始まりの予感みたいな
気配なく。

主人公は何処にも出て行っておらず、
ただ岸辺から
目の前に見えるものの
時の移り変わりを達観して見ているような
そんな印象を受けたのです。

季節や、天候がただ、
移り変わっていくだけ。
「時」までも遠い懐かしい場所に
さかのぼったり。

激しい波も起こるんだけど、
その事象そのものに感情は巻き込まれていなくて
神さまのように
結局大丈夫な結末を知っていて
ただ「今」を味わって見ている。


みたいな!

そして最後は、いつもと変わらない
川の流れがただあるだけ。

ノクターンのようだなと
感じるところの多い舟歌でした。

こんな舟歌が弾けたら
私は肉体を去っても
良いような気がする(笑)


ですが、ちょっと後半聴いていて
「この曲、どうなっていくんだろう」って
もやっとしたのも事実(笑)

コーダからがなんか私個人では
(同じことを書くけど)
「どうなっていくんだろう」と
もやっとしてしまった。

ステージの本番の演奏とは
また違うのではと想像するのですが。

さらっとノクターンのように
表現も可能だけれども
されど『舟歌』。
最後、表現の大波は、さすがに
さらっとは流れて終わりまで行くのは
難しいなあと。

※ぼんやりした書き方ですみません

それにしても、
まとめると、
とんでもなく魅力的な動画でした。

とくにコーダに行くまでとか
神さま。

藤田真央になりたいって
去年何度も思いました(笑)
良い歳ですが。
今年もきっと思うでしょう。

今年は、生の藤田真央さんを
聴けそうなのです。
日本にいて、こんな素晴らしいピアニストに
出会えるなんて私は幸せです。