こんばんわ、一休です。
■目的
※実現しよう、到達しようとして目指す事柄。めあて。
※ 行為において目指すもの。それのために、またそれに向けて行為が行われ、実現が求められるもの。
つまり、実現しようとして目指す事
例えば、お腹が空いたので、獲物を捕まえようとする事
これは、空腹を満たす事が”目的”で、獲物を捕まえる事が”目的を達成させる為の行為”になるわけですね?
超シンプル!
アフリカに住む動物達は生きる為に”食べる”という”目的”があって、その”目的を達成させる為”に群れを作ったり、罠を仕掛けたり、知恵を使ったり、進化したり、したのではないでしょうか?
人間も同じように、生きる為に色々な状況を克服しなければならず、そこから色々な”目的”を”達成させる為”に歴史を築いて来たのではないでしょうか?
つまり、太古の日本人は、生きる為に狩りをしたり、田を耕したり、子を育てたり、その為に朝が来れば起きて、栄養を蓄えて、狩りに出かけたり、食物を育てたり、子を身ごもったり、していたのではないでしょうか?
生きる為に”食べる”事がすべての”目的”だったようです。
そこから、更に多くのモノを手に入れる為に群れをなし、他の部族を侵略し、多くの物を手に入れた者が、更なる侵略を繰り返し・・・
負の連鎖が起きていった事はみなさまご存知の事と思います。
しかし、太古の日本には、すべてにはっきりとしたシンプルな”目的”があったはずです。
では、今の近代化して膨れ上がってしまった日本に住むわたし達は
どんな”目的”があって生きているのでしょうか?
もちろんアフリカに住む動物や、古代人とは違いますので、”食べる”事だけでは生きる為に必要な”目的”としては、成立しないかも知れません。
近代化したことにより、わたし達の生活は飛躍的に快適になった代わりに、シンプルだったはずの生きる”目的”もかなり複雑になってしまったように感じます。
しかし、”欲しいものを手に入れる為”に多くの物を望むのは、戦国時代の武将達や、戦争を引き起こした軍人や役人達と同じ発想です。
事実戦いの歴史によって、今の世の中が形成されていますので、過去の戦いの歴史を否定する事は出来ませんが、更にこの先多くを求めて戦いをする事は何の意味もないことです。
すでに、地球上から戦争によって得られるモノは何もなくなってしまったからです。
つまり、戦いをする”目的”がなくなってしまったのです。
となると、ミクロな世界でのわたし達の生活に必要な”目的”もなくなってしまったのでしょうか?
原点回帰でべきす。
古代人に遡って行くべきではないでしょうか?
お腹が空いたから食べる
欲しい物があるから働く
好きな人と愛し合う
より良い制度を築く為に学ぶ
そうは言っても、すぐに今の超複雑な世の中で、自分の生きる”目的”をスッキリシンプルにする事など、
到底出来る事ではないでしょう。
わからなくなってまりました。
このテーマに関しては後日また改めて考え直してみようと思います。
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