今年2月、先輩であり友人でもあったRojiさんが亡くなった。
そして今日、故人を偲んでの「お別れ会」が新宿である。
(ずっと明日(26日)だと思っていたんだけれど、勘違いだった。ユキラ電話ありがとう!)
Rojiさんは、昨日の草彅君じゃないけれど、もっともっと破天荒な人だった。
とにかく呑みにかけちゃ、常に「トコトン」の人であったし、
周辺の妖しい人々も皆、同様であった。
(デザイン業界はもちろん、ズージャ関係の方も多くいらっしゃるようだし、
昔懐かしいのみや関係の人も来るらしい)
正直な話、「裸になって騒ぐ」位なら、
素面でだって、どうってことない奴らばかりであったと思う。
昔の業界は、そういう人がたくさんいた。
そのバカバカしい行動に、バカバカしいほど理屈をつけて、
「キッチュなハプニング」なパフォーマンスである。
などと、言い切ってしまっていたものだ。
(まあ、その手の言葉の言い出しっぺは、僕の叔父貴なんだけれどさ)
それでもその時代は、「既成の理屈や概念、常識」などという
堅苦しくて、重苦しいものから脱却しようとして、あるいは皆を開放させたくて、
もがき苦しんでいた一つの形であったのだとは思うのだけれど・・・。
逆に今は「何でもあり」みたいな状況の中で、
「自分だけ楽しけりゃ、おかまいなし」みたいな人が多くなって、
そのくせ、変な所だけ常識論がまかり通る。
変な所だけ、勘違いだらけの民主主義みたいなものが尊重される。
今日は、妖しい昔の業界人がたくさん来るのだそうだ。
「トコトン」を貫いた故人を偲んで、妖しい同窓会になるだろう。
僕は「トコトン」は体調的に無理であるが、脱がない程度に羽目を外せるかな?
本当なら皆で新宿を裸で行進でもしたら、故人は大喜びだと思うんだけれどねえ。ハハハ