【2024年の目次】
2024年1月12日
BCG第3クール『膀胱注入維持療法』がスタート
2024年1月19日
BCG第3クール2週目・通算11回目注入。これまででいちばん強い副作用がでる。

2024年1月26日
BCG第3クール3週目も副作用が出たがなんとか今クールも完走。

2024年3月8日
定期膀胱鏡検査と尿管ステントが4ヶ月ぶりに抜去される

2024年4月5日
BCG第4クール1週目(通算13回目)開始

2024年4月12日

BCG第4クール2週目(通算14回目)またまた強い副作用が出た。


2024年4月19日

BCG第4クール3週目(通算15回目)BCG1年完走!再発なくこれた。残りのBCGは10月3回、来年4月の3回で計6回。

なんとか完遂を目指したい。






ここからは2023年3月の日記です
【がん告知を受けた後の本音】

『私は今の職場に勤めて22年間体調不良で休んだことは記憶にありません』
『タバコは20歳の頃興味本位で吸った経験ありますが以降30年は1本も吸っていません』
『休日はウォーキングが趣味で仕事の日も含めて毎日8000歩以上歩いています』
『お酒は350㏄缶のビールを嫁と半分に分けて週3〜4回晩酌する程度です』
『身長170cm体重68kg毎日腹筋20回を日課にしています』
『勤務先の高齢施設で新型コロナのクラスターが起きていた中勤務していましたがコロナ禍の3年間私は一度もコロナにかかりませんでした』

こんな49歳の働き盛りの人間が膀胱がんになりました。
膀胱内には5cm大の腫瘍ができています。見つかった時点では転移しているか転移の手前の筋肉層に浸潤しているのかもよくわかりません。
そもそも転移や浸潤というのはどんな状態なのかも分かっていません。
はい、これがガンを患った者の現実です。決して夢の中の出来事や遠い外国のお話じゃありません。

私は現実をすぐに受け入れなきゃだめなんですか?
生まれてからの49年間ずっと健康体だった私は体にメスを入れたことも入院したことも一度だってないのです。

身体切られる瞬間は痛いんじゃないか?
抗がん剤飲んだら吐きたくなるんじゃないか?
麻酔に失敗したら意識が戻らないんじゃないか?

こんなレベルでしか治療や手術を理解できていない者に対してあなたはどんな言葉をかけてくれますか?

「とにかく治療をして」「生き続けて」は前向きさを感じますし傷つくこともありません。
とはいえがん告知を受けた直後だと「はい、分かりました。私もあなたと同感で生き続けるために治療がんばります」とは即答できないものです。

「私もガンという今のあなたの病気をすぐには受け入れられない。まずは受け入れられそうかどうか時間かけて考えみよう」
親しい人がこんな言い方をしてくれるとわりと気持ちが前向きになれます。

私の場合は泌尿器科受診の当日に腫瘍が見つかったので悪性か良性かもよく分からずにオロオロしていましたが「良性の可能性だってあるだろう」と思ったり。一方ですぐに総合病院への紹介状を書いてくださったところから「悪性腫瘍で決まりなのかな」とも思ったり。まずその時点から気持ちの浮沈が出始めたのは間違いないです。

泌尿器科通院をした当日、あまりの展開の速さについていけず嫁にも泌尿器科受診結果を伝えたLINEでは
〘受診したよ。結果は膀胱がんの可能性が高い(¯―¯٥)〙
と顔文字付きの緊張感ない内容で送っていました。
もしかしたら「嫁にも心配がらしたくない」「私自身も大した腫瘍じゃないと思い込みたい」という気持ちの現れだったのかもしれません。

【がんって痛くないの?】
「えっ?痛みはどこにもなくてこれまでも脂質異常症と花粉症以外大した病歴がないおれがガンになってるの?」
腫瘍の存在を言われた瞬間は驚きしかありませんでした。

泌尿器科での膀胱鏡検査後に目視で確認された画像を見せてもらうと確かにイソギンチャクみたいな形の腫瘍が見えました。

まずは横浜市内でも有名なS総合病院の紹介状を書いてもらい2月28日は終わりました。

このあとは3月7日のS総合病院受診へと続きます。

私は膀胱がんにかかってからこのがんのことをよく調べて少しずつ理解をしていきながら表題にもありますように
【腫瘍の顔つき(悪性度)がどうであろうとおれは生き続けることを優先した治療方法を選ぶ】ことにしています。
その決断までに至った経緯はまた次回以降のブログでお伝えします。

ご拝読ありがとうございました。