京都・大覚寺で遭遇したことだ。
大覚寺は大沢池に接して建っているが、
その大沢池の畔に写経堂がある。
この写経堂で人々は写経を行い、願いを込めた写経を奉納する。
大覚寺の写経の歴史は建立者である嵯峨帝にまで遡る。
嵯峨帝と親交の深かった弘法大師は、
般若心経を写経すると功徳があると嵯峨帝に進言したのだ。
その頃都に疫病が流行っていて困っていた嵯峨帝は、
弘法大師の勧めに従って写経を行い疫病の鎮静を願ったところ、
疫病が治まったというのである。
その説話が本当ならば、この大覚寺の写経には凄い霊剣があることになる。
その写経堂で自分を含めた3人は写経体験をすることにした。
そのつもりで来たわけではなく、全くの行き当たりである。
写経は般若心経全文を写経する1000円コースと、
般若心経の最後の呪文「ギャーテイギャーテイ・・般若心経」までを写す300円コースがあった。
僕らはたまたま写経してみようと思った程度の信心の薄い者たちなので、
300円コースを選んだ。
300円コースは文字にして22文字しかないものの、その22文字を書くだけでも結構集中力がいる。
般若心経全文だったら、何処かで間違えていたという可能性は否定できない。
最近はパソコンで文章を書いているので誤字が平気になっているということもあるが、
もともと丁寧なことを長々と続けるということが苦手なのだ。
とにかく書き終えて、三人それぞれの出来栄えを確認し、写経を奉納するところまできた。
写経を奉納するところは堂内の正面中央にあり、お祈りや経を読むところの前にある。
奉納する前に、そこにある線香に軽く3回炙ってくれと言われている。
その場所に一人の女性が祈りを捧げていた。
女性の祈りが終わるのを待っているのだが、なかなか終わる気配がない。
女性は正座に座り両手を床に着けて前に出し、
そしてひたいが床に着くくらいに身体をくの字に折って伏せていた。
こういう祈りの姿を自分は今まで見たことがない。
寺院でも、神社でも、ない。
それに、
その不思議な祈りの形で微動だにしない。
こっちはだんだんイライラしてきた。
いかんいかん、これでは写経の功徳?が逆効果になる。
自分らは、一旦堂を出て大沢池を眺めてのんびりすることにした。
外は秋晴れの良い天気である。
そのうち祈りは終わるだろうと思っていたし、もういいだろう思うに十分な時間が過ぎた。
すると堂の中にいた、多分僕らと同じようにその女性の祈りの終わりを待っていた、男性が堂から出てきた。
どうやら女性の祈りは、まだ続いているらしい。
それは他の人々が祈りを捧げたり写経を奉納することを妨げていることを意味する。
いろんな人々が写経するためにある写経堂は、その堂の性格からいって公民施設ではないのか。
祈りの度がすぎてるではないか、非常識ではないか、という想念が湧いてくる。
一方でこういう不可解な行為を平然と行っている人から遠ざかりたいという感情も同時に湧いてくる。
ここでじっとしていてもしょうがないと思い、又写経堂の中に入った。
うつ伏せの祈りから、正座して正面を向き両方の掌を身体の正面で合わせた祈りに変わっていた。
後姿しか見えないが、自分より年齢が行っていそうな細身の女性である。
背筋がピンと張っていて、やはり微動だにしない。
お経は唱えていないようである。
自分の世界に完全に入っている。
周りの物にも、人にも少しの意識も配られていないようだ。
重い空気を身体に巻いて鎮座している。
息をしているのかさえ疑わしいほどである。
それならばと意を決して、祈る女性の横に恐る恐る近づき奉納を済ませ、
そそくさとその場を立ち去った。
外に出たら7人ほどの初老の人たちが一緒に写りたいから
写真のシャッターを押してくれというので、
気分変えの好機でもあったので快く応じた。
その方々からお礼を言われ気分がだいぶ良くなった。
しかし、写経堂の中では未だに不可解な女性が祈りを続けているようだ。
「コワいものを見てしまった」と口走った。
その不可解な姿勢がコワかった。
無言がコワかった。
地上にありながら、一人異界を形成していることがコワかった。
生きているのに、木偶(デク)のように硬い肉体がコワかった。
写経堂を離れ出口に向かう廊下を歩きながら、
徐々に意識が普段の自分に戻っていった。
強いをコワいと言い、
硬いをコワいということがあり、
怖いをコワいと言うのは、
一緒の感情なんだな~と思うだけの余裕が戻ってきた。

10月の三連休の中日の午後に諏訪山の展望台に立って
隣にいる妻と一緒に神戸の街を一望した。
風は強く肌寒かったが、眼下の景色は穏やかだった。
空気が澄んでいたので、遠く和歌山まで見渡すことができた。
その手前は静かな海、そのまた手前は神戸の港である。
赤いポートタワーがぐっと目を引き、
それを囲むように大小のビルが見える。
右に視線を移せば、淡路島があって、その稜線はどんどん上がってきて六甲連山に繋がり、
濃い緑色の屏風となって二人の背中へと回り込む。
日本の三大夜景と言われる神戸だが、昼間でも十分に楽しめた。
前に諏訪山に来たのは神戸に引っ越してきて間もなくだったから、
15年以上も前のことだったと思う。
転勤で神戸に住み始めた頃で、いずれ東京に戻る迄の数年と思っていた。
神戸の景色はとても珍しく新鮮な印象と、これからこの街に住むのだというような
決意でも無く運命に従うでもない感情があった。
15年が過ぎて再び同じ景色を見ると、神戸に引っ越してきた頃の記憶が断片的に蘇ってきた。
神戸に住んでずっと幸せである。記憶は全てそれに紐付けられて蘇る。
このまま帰るのはもったいない気がした。
蘇ってくる記憶を紡みたくなった。
僕らは諏訪山から降りて山本通りに昔からあるフーケに入り、
ケーキとコーヒーと互いの記憶を紡ぐボソボソした会話を楽しんだ。
年とったことも悪くない、そんな気分だった。

先日谷川俊太郎さんのブログをみた。
「日常」というタイトルだった。
「私たちはふだんほとんど意識せずに、寝たり起きたり、食べたり飲んだりしているけれど、そういう日常生活を毎日毎日つつがなくくり返すということは、人間の生きる目的のひとつと言っていいんじゃないか。もっと大きな目的のために日常はあると考える人も、しっこうんこをせずに生きてゆくことはできない。どんな劇的な非常時にも、私たちは結局日々の日常を生きるしかないんだ。」と書いている。
日常生活を毎日毎日つつがなく繰り返すということは人間の生きる目的の一つと言っていいんじゃないか、か。
谷川俊太郎さんのいうことは正しいし、
そうありたいと願っている自分もいる。
でもつつがなく繰り返す人生ということは思いのほか難しいことである。
難しいのだが50才をすぎる頃から、少しづつではあるが日々を生きるということが自分の体の内に馴染んできた気がする。
まだ馴染み切ったとは言えない程だが、水と油というほど分離はしなくなった。
昔の自分は三連休だったらほぼ間違いなく出かけたり、遊びに出たりしたものである。
要するにじっとしていることが苦手だった。
ところが今は三連休になっても、朝起きてからその日をどう過ごすかゆっくり考えるようになってきた。
出無精になったとも言えるが、
自分自身の分析では身の回りでできる趣味を見つけたことが大きいと思う。
このブログもそうだし、この春から始めた料理もそうである。
これらの趣味は必ず一区切りの終わりがある。
ブログを書いても必ず終わりがあるし、料理は作ってしまえば終わり、後は食べるだけである。
こういう趣味は日常の中にすっぽりと入り込むことができるので、
そういうことをしているとつつがなさが増すのである。

それともう一つ、あえて外に出ていかなくてもよくなったことがある。
それは、思い出す楽しみができたことである。
50年も生きてきたら、自分の中に記憶が結構溜まっている。
もちろんそれらの記憶は普段は思い出すこともないが、
何かのきっかけがあれば蘇ってくる。
ところが蘇ってきた記憶は実は過去のリアルな記憶とは違うようだ。
映画で例えるなら、場面場面のシーンは同じなのだが、
編集意図が当初のリアルな現実と異なるために、
ストーリーとして捉えた時に違う映画を見ているようなものである。
違う映画を見れば、その印象も違うものになる。
思い出すことによって自分の記憶が書き換えられていく。
記憶は蘇ることで、今の自分の精神状態で再度整理されて再び自分の記憶の蔵に戻される。
昔失敗したちょっと嫌な記憶でも、今の精神状態で整理したら当時の自分の未熟さも見えてくる。
そういう未熟さも笑の対象ぐらいに思えれば、失敗の記憶も違う味わいとなって蔵に戻っていく。
過去に体験したことが、ちょっと衣装を変えた体験のようになるのである。
記憶が蘇ることを人はコントロールできないだろう。
しかしその記憶をどう再編集するか、この編集者の役割は
自分に委ねられているように思う。
意識しているか無意識なのかはあるかもしれないが
自分が自分の記憶を再編集している。
だから悲しい記憶はほろ苦いながらも微笑ましい記憶に再編集することができるし、
失敗の記憶も成功のための試練だったと再編集することも可能なのである。
人はそういうことができるということを自分はある時知った。
それ以来というもの、結構幸せな気分で過ごすことができている。




村上春樹氏が今の中国の反日機運について朝日新聞にエッセイを寄稿した(全文は最後につけます)。
エッセイは中国の書店で村上春樹氏の書籍が書棚から引き上げられたことについて書いたものである(9月28日には一部はもとに戻ったそうである)。
領土問題は安酒の酔いに似ていると村上氏は言う。
エッセイは一つの見識である。
そうは思うものの、このエッセイを読んで違うことを感じたことがある。


『ノルウェーの森』が文庫本で出た頃だったと思うが、
自分が三十代の頃村上春樹の小説にはまった。
いろんなメディアで『ノルウェーの森』のことが取り上げられていたので、
仕事に忙殺されていた自分にも村上春樹という名前が届いた。
本屋にいくと『ノルウェーの森』が平積みされてあったが、
村上春樹氏の他の本も置かれてあったので『ノルウェーの森』より前に書かれた小説を買った。
『羊をめぐる冒険』だったと思う。
のめり込んだ。
仕事を終えて夜遅く帰ってきた時でも、寝る時間を削ってでも読んでいたと思う。
読みながら、自分の心根が渇いて行くのを感じた。不思議な感覚だった。
他の小説を読むと何らかの湿度を自分の心象にもたらすものだが、
村上春樹氏の小説は渇きをもたらした。
この渇きはイヤなものではなく、自分の日常で感じる渇きとどこか繋がっているような気分もした。
出版されている村上春樹の本を読み耽った。
しかしある時を境にして、村上春樹氏の本と距離を置くようになった。
あの渇きを味わいたいという欲求が自分の中から消えていったからだ。
そして今でも村上春樹氏の小説と距離をあけたままだが、
それは村上春樹氏を嫌いになったからではない。
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』のような軽いものは今でもちょくちょく読んでいるのだ。
村上春樹氏は自分の魂というには大げさかもしれないが、
自分の心根が崩壊しないようにしてくれた大事な小説家の一人なのである。

哲学者・内田樹氏によると、村上春樹氏の小説は見えない父が重要な要素となっている。
「ムラカミ・ワールドは「コスモロジカルに邪悪なもの」の侵入を
「センチネル」(歩哨)の役を任じる主人公たちがチームを組んで食い止める
という神話的な話型を持っている。
『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』、
『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『アフターダーク』、
『かえるくん、東京を救う』・・・どれも、その基本構造は変わらない。
「邪悪なもの」は物語ごとにさまざまな意匠
(「やみくろ」や「ワタナベノボル」や「みみず」などなど)をまとって繰り返し登場する。 
この神話構造については、エルサレム賞のスピーチで村上春樹自身が語った
「壁と卵」の比喩を思い浮かべれば、理解に難くないはずである。
このスピーチでは、「邪悪なもの」とは「システム」と呼ばれた。
「システム」はもともとは「人間が作り出したもの」である。
それがいつのまにかそれ自体の生命を持って、人間たちを貪り喰い始める。
システムの前に立つと、ひとりひとりの人間たちは「壁にぶつけられる卵」のように脆弱である。
けれども、「卵の側に立つ」以外に、人間が「システマティック」な世界をわずかなりとも「人間的なもの」に保つためにできることがほとんどない。」
自分はこの分析に納得感がある。
自分が村上春樹氏の小説を貪り読んでいた頃は、
自分自身が父なるシステムにねじ伏せられていくカットウを感じていた頃と符合するのだ。
会社の論理に不満を感じ個人的には受け入れ難いものであるにもかかわらず、
会社で生きていくためにはその論理の駒の一つとして働かなければならないカットウを感じていたのだ。
自分のような人が社会にたくさんいてもおかしくない。
それは日本人だけでなく世界中にいる。韓国にも中国にもいる。
村上春樹氏の小説が何ケ国語にも翻訳されいろんな国で出版される理由は、
多くの人がそういうカットウを抱きながらもそれがどこからくるのかもわからないでもがいている時に、
村上春樹氏の小説に通じるものを感じるからではないか。
村上春樹氏の小説にはそういうコスモロジーがあるのだと思う。

そういう村上春樹氏が今回の中国のことを、安酒に注意しようと書いた。
日本人である自分は村上春樹氏の呼びかけに一縷の共感を感じている。
中国の過激な言動に対して、いちいち反応せずに距離を置いた対応が必要だと思っている。
しかし共感できないところもある。
それは主に中国側のことである。
村上春樹氏は言葉では明示していないが、文脈からいって中国側にも自制を求めているはずだ。
しかし中国人にこの自制を求めることはかなりの困難なことではないだろうか。
そして「壁と卵」という村上氏なら解っているのではないか。
中国は共産党独裁国家である。憲法にも明記してあるそうだ。
中国ではどういう壁と卵があるのか。
こういう国家はこの先どういうことになるのか。
以前仕事でお会いした著名な哲学者に中国の将来はどうなるのか伺ったことがある。
質問に対し返答は簡単明瞭だった。
自分もそう思っていただけに(想像してください)とても納得した。
独裁国家には形式上「考え」は一つしかない。二つ以上あってはならない、それが独裁国家というものだろう。
その代わりと言ってはなんだが、今の考えはそれ以前の考えと整合性を取る必要はない。
整合性を咎める団体を認めないし、不整合を追求する人や団体が出れば弾圧すればいい。
しかし国家の意思を一つに纏めて、考えにすることはとても大変なことなのだ。
まして十億人を一つの考えに纏めることなど、困難を極める。
加えてシステムはシステムとして他者の制御をはねのけて自走する性質を持っている。
まして中国は資本主義に手を染め、
その結果として発展という成果と格差社会というマイナス材料を受け取ることになった。
格差問題は発展段階では問題が顕在化しないで済んでも、
発展が停滞すれば多くの国民に不満をもたらした。
不満を抱える国民に対して中国政府は村上春樹氏いうところの安酒を提供しているのだ。
それは(日本人なら認めることはできないが)システムがシステムを守るためと手段のように思える。
その安酒は、国民を扇動するためということもあるけれども、
そうでもしないと国民が収まらないという判断も働いていると思う。
ある意味、確信犯である。
村上春樹氏の安酒論を批判しているのではなく、
村上氏が小説家並びに文化人として見識を見せたと思う一方で、
中国側に自制を進めることはとても困難であろうことは、
実は誰よりも村上氏は解っているのではありませんか、と言いたいのである。
さて、中国で『ノルウェーの森』が本屋の店頭に戻ったそうである。
中国の中にいる卵たちにせめて心根の崩壊を防ぐ術を与えてあげることは、
同じアジア人として良かったと思うのである。

(村上春樹氏の寄稿)
 尖閣諸島を巡る紛争が過熱化する中、中国の多くの書店から日本人の著者の書籍が姿を消したという報道に接して、一人の日本人著者としてもちろん少なからぬショックを感じている。それが政府主導による組織的排斥なのか、あるいは書店サイドでの自主的な引き揚げなのか、詳細はまだわからない。だからその是非について意見を述べることは、今の段階では差し控えたいと思う。
 この二十年ばかりの、東アジア地域における最も喜ばしい達成のひとつは、そこに固有の「文化圏」が形成されてきたことだ。そのような状況がもたらされた大きな原因として、中国や韓国や台湾のめざましい経済的発展があげられるだろう。各国の経済システムがより強く確立されることにより、文化の等価的交換が可能になり、多くの文化的成果(知的財産)が国境を越えて行き来するようになった。共通のルールが定められ、かつてこの地域で猛威をふるった海賊版も徐々に姿を消し(あるいは数を大幅に減じ)、アドバンス(前渡し金)や印税も多くの場合、正当に支払われるようになった。
 僕自身の経験に基づいて言わせていただければ、「ここに来るまでの道のりは長かったなあ」ということになる。以前の状況はそれほど劣悪だった。どれくらいひどかったか、ここでは具体的事実には触れないが(これ以上問題を紛糾させたくないから)、最近では環境は著しく改善され、この「東アジア文化圏」は豊かな、安定したマーケットとして着実に成熟を遂げつつある。まだいくつかの個別の問題は残されているものの、そのマーケット内では今では、音楽や文学や映画やテレビ番組が、基本的には自由に等価に交換され、多くの数の人々の手に取られ、楽しまれている。これはまことに素晴らしい成果というべきだ。
 たとえば韓国のテレビドラマがヒットしたことで、日本人は韓国の文化に対して以前よりずっと親しみを抱くようになったし、韓国語を学習する人の数も急激に増えた。それと交換的にというか、たとえば僕がアメリカの大学にいるときには、多くの韓国人・中国人留学生がオフィスを訪れてくれたものだ。彼らは驚くほど熱心に僕の本を読んでくれて、我々の間には多くの語り合うべきことがあった。
 このような好ましい状況を出現させるために、長い歳月にわたり多くの人々が心血を注いできた。僕も一人の当事者として、微力ではあるがそれなりに努力を続けてきたし、このような安定した交流が持続すれば、我々と東アジア近隣諸国との間に存在するいくつかの懸案も、時間はかかるかもしれないが、徐々に解決に向かって行くに違いないと期待を抱いていた。文化の交換は「我々はたとえ話す言葉が違っても、基本的には感情や感動を共有しあえる人間同士なのだ」という認識をもたらすことをひとつの重要な目的にしている。それはいわば、国境を越えて魂が行き来する道筋なのだ。
 今回の尖閣諸島問題や、あるいは竹島問題が、そのような地道な達成を大きく破壊してしまうことを、一人のアジアの作家として、また一人の日本人として、僕は恐れる。
 国境線というものが存在する以上、残念ながら(というべきだろう)領土問題は避けて通れないイシューである。しかしそれは実務的に解決可能な案件であるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑(にぎ)やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。
 そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽(あお)るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない。一九三〇年代にアドルフ・ヒトラーが政権の基礎を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫してその政策の根幹に置いたからだった。それがどのような結果をもたらしたか、我々は知っている。今回の尖閣諸島問題においても、状況がこのように深刻な段階まで推し進められた要因は、両方の側で後日冷静に検証されなくてはならないだろう。政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。
 僕は『ねじまき鳥クロニクル』という小説の中で、一九三九年に満州国とモンゴルとの間で起こった「ノモンハン戦争」を取り上げたことがある。それは国境線の紛争がもたらした、短いけれど熾烈(しれつ)な戦争だった。日本軍とモンゴル=ソビエト軍との間に激しい戦闘が行われ、双方あわせて二万に近い数の兵士が命を失った。僕は小説を書いたあとでその地を訪れ、薬莢(やっきょう)や遺品がいまだに散らばる茫漠(ぼうばく)たる荒野の真ん中に立ち、「どうしてこんな何もない不毛な一片の土地を巡って、人々が意味もなく殺し合わなくてはならなかったのか?」と、激しい無力感に襲われたものだった。
 最初にも述べたように、中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にはない。それはあくまで中国国内の問題である。一人の著者としてきわめて残念には思うが、それについてはどうすることもできない。僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ。もしそんなことをすれば、それは我々の問題となって、我々自身に跳ね返ってくるだろう。逆に「我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない」という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。それはまさに安酒の酔いの対極に位置するものとなるだろう。
 安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂が行き来する道筋を塞いでしまってはならない。その道筋を作るために、多くの人々が長い歳月をかけ、血の滲(にじ)むような努力を重ねてきたのだ。そしてそれはこれからも、何があろうと維持し続けなくてはならない大事な道筋なのだ。