尖閣諸島周辺での中国威嚇行為は執拗だが、
我々が知るところは、
領海侵犯という言葉で括れるものだった。
ところが、中国軍が日本の海上保安庁船に対してレーダー射撃を行った、
ことを日本政府が発表した。
(実は民主党政権時代にもレーダー射撃があったが、公表しなかった)
レーダー射撃とは、
自分も正しい知識があるわけではないが、
「実質的な撃沈」ということらしい。
つまり軍事常識によると、
レーダー射撃は即ち撃沈の意思表示である。
この常識によると、
中国は日本に対して戦闘行為を行う意思がある、となる。
とても危うい意思表示である。
日本政府は、中国がとても危うい意思表示をしている、
ということを世界に明らかにした。
この日本政府の公表に対する中国の対応は、揺れた。
最初中国政府は「知らない」と知らんぷりを装った。
しかし次に「レーダー射撃などしていない」と強く否定してきた。
知らんぷりと全否定では意図が異なる。
どうして中国は意図を変えたのか、大きな疑問である。
更にこの発表にアメリカ政府が反応し、中国に対し強く自重を促した。
少し前にクリントン国務長官は
尖閣を中国が侵犯するならばその行為に対して日米同盟が適用される、
というロジックで中国に自制を求めたにもかかわらず、
中国はそれを無視した。
アメリカの自制要請に従わない中国にアメリカは苛立っている。
そして中国はアメリカを苛立たせることを意に介せぬほど強気になっている。

中国軍は中国人民解放軍という名前が示すように
中国共産党に属する軍隊である。
法的には共産党の「私軍」なのだが
中国は共産党の一等独裁国家なので、中国人民解放軍は実質的な国軍である。
中国軍は中国政府とは別個の独立した組織である。
この体系を頭に入れたならば、
中国政府の知らんぷりは想定できる。
中国軍がレーダー射撃をしてもその事実を中国軍が中国政府に伝えなければ、
中国政府は知らないと言うしかない。
ところが、「やってない」となると事情は変わる。
中国政府と中国軍の間に何があったのかは知らないが、
中国軍がやっていないとシラを切り、
その中国軍の態度を中国政府が追認した、ようなことがあったのだろう。
(今週になって中国の尖閣への威嚇が減っているということから、
中国政府が中国軍の主張に従う一方で、
中国軍は威嚇行為を抑え中国政府の要請に従う
そういう取引があったとも考えられる)
今年1月に公明党の山口投手が習主席と対談した時には、
日中が対話して行くような雰囲気を漂わせた。
中国政府が国を統率しているような発言だった。
中国政府のその時の発言と今回の発表とは別人格のように感じられる。

中国はダブルスタンダードの間を揺れ動いているのではないか、
と自分は今回の中国の姿勢から感じ取った。
ダブルスタンダードの一つは、
中国を更に強い国家にするため、
かつ中国国民が政府批判をせずに大人しくさせておくためには
経済の安定的発展が不可欠であり、
経済発展のためには日本並びにアメリカや世界と
(少なくとも)経済上は友好関係を維持しなければならない、
とする中国政府主体のスタンダードであり文官的スタンダードである。
もう一つは
中国が更に発展して行くためには中国外からの資源獲得が不可欠であり
そのために中国の領域は国際法が定める国境よりも広くなければならず
(国境というものを認めない中華思想そのもの)
尖閣諸島が日本領土ということは本質的に受け入れることができない。
加えて中国国民を一つに纏めておくには愛国思想の裏側にある「日本憎し」を
常に国民に提示し続ける必要がある、
とする中国軍主体のスタンダードであり武官的スタンダードである。
共産党の配下に二つの大きな組織とスタンダードがあり、
それがせめぎ合っている中国。
(どちらのスタンダードも発展しか考えていないところが、
対外的に強気に出る所以だろう。
メンツを重んじる民族性もそれを拍車をかけているかも)
それでも共産党という組織が一つの意思を持って
政府と軍を統制しているなら良いのだが、
共産党の実態は実力者が権力闘争に明け暮れ
誰が実権を握るかによって意思が大きくぶれるし
又権力者を選ぶプロセスが外から見えない組織となっている。
権力闘争を密室で繰り返し行われている組織が
配下組織をキチンと統制しているとはとても思えない。
統制の及ばないところで中国政府と中国軍はせめぎ合っているはずで、
そしてせめぎ合いも、
中国軍が強くなりそれを中国政府が追随するようなレベルになっているのではないか。
もしそうだとしたら、
日本や中国と接し中国の影響を受けている東南アジアの国々や
アメリカ並びに世界にとって、
同じような状況になった時歴史は繰り返すという法則のもと、
中国は危険なレベルになったように思う。

戦前の日本、
帝国陸軍・海軍と帝国政府は天皇の下に並立・独立した組織だった。
(帝国軍は天皇直轄であり、政府が軍に対してコントロールしようとすることは、
天皇の統帥権を侵すものであるとして排除した)
世界恐慌以降世界はブロック化し先進国は発展国(当時の日本)の発展を抑えにかかった。
昭和恐慌を経て閉塞していた日本は発展の道を
海外(中国大陸など)に求めるしかないとの考えが強くなっていた。
そういう状況下にあって帝国軍が暴走し、
帝国政府はその暴走を抑えることができずに追随するしかなかった。
政府と軍隊の関係、
国を取り巻く状況、
発展しか道はないと考える国家的パラダイム、
国境をめぐる小競り合いや紛争、
軍隊主導で既成事実化するしかない政治。
戦前の日本と今の中国は似ているのではないか。
そして当時の日本はどうなって行ったか。
帝国軍は柳条橋事件を起こし、それを中国が起こしたとして中国を攻め、
満州国を立国させた。
世界から避難を浴びると帝国政府は国際連盟を脱退した。
ソ連との国境紛争に帝国軍は暴走し無残なノモンハン事件を起こした。
帝国政府は文民統制を放棄し軍事政府となった。
中国を侵略し、アメリカを急襲し太平洋戦争に突入した。
この戦前の日本の動きを
中国は追っていかないだろうか。
日本人が歩んだ失敗の道を今中国が歩んでいるのだとしたら・・
これが自分が今感じている懸念である。
2月3日夜に市川団十郎が亡くなったと、4日の朝のニュースで知りました。
ビックリしました。
中村勘三郎さんに続いての訃報ですからね。
今春の歌舞伎座こけら落としの前の二代看板の死は
歌舞伎界の一大事だと思います。
こけら落としで二人が演じる予定だった役を代役できる人はいるだろうし
(歌舞伎には役の型というものがあるので)、
演目を変えるということも可能です。
しかし平成の歌舞伎界を牽引してきたお二人がいない舞台は
どこか隙間風が吹いてくるような感じになりはしないかと危惧してしまいます。
それに何と言っても、歌舞伎は「ハレ」の舞台です。
それがこけら落としという祝いの舞台となれば、
尚更ハレバレとならねばならない。
お客様もそういう気分でこけら落としの舞台を祝いたいはず。
そんな折に二人の看板役者がいない舞台は
ケが枯れたようなものになってしまわないかと心配します。
又二人の芸を愛して止まない熱烈なファンの方が
喪に服して観劇を控えやしないかと心配します。
もしかしたら、歌舞伎界は試練の時代になるかもしれません。
公演元の松竹も大変ですが、
役者さんも、それを支える大勢の裏方さんも大変です。
そんな試練の時代を迎えるかもしれない、
そんな心配が起りました。
でもこの試練は歌舞伎界に新しい風を吹き込むチャンスだと捉え、
時代を担う若き人たちの頑張りを期待しています。
勿論僕の心配の方向ではなく、
今年もにぎにぎしい舞台を期待しているのですが、
僕も今まで以上に公演に足を運ぶよう務めます。
全日本女子柔道の園田監督の暴力指導の告発問題で揺れた一週間だった。
園田監督といえば、昨年のロンドンオリンピックの女子柔道試合で、
幼児顔の豆タンクみたいな姿が私たちの印象に残っている。
柔道界はこの問題を大きくするつもりもなく園田監督を続投させるつもりだった。
選手の訴えよりも監督擁護、身内贔屓を優先した柔道連盟の姿勢に
世間は驚き、非難の嵐になった。
文部省もJOCを呼び出し、
「柔道連盟の対応はあれでいいのか?」
と強く介入してきた。
JOCも東京でのオリンピックを招致しているので、
この問題が招致に悪影響を及ぼすことを恐れ
柔道連盟に対応の変更を強く求めたであろう。
追い詰められた柔道連盟は園田監督に辞意があることを言葉に出し、
ついに園田監督の辞任会見となった。
その辞任会見は不思議なものだった。
園田監督いわく、自分が選手の強化を焦り暴力に至ったと。
しかし過去に自分が受けた指導者からの厳しい指導は暴力と思ったことがないと。
(ということは、自分が過去に受けた厳しい指導は暴力ではないので、
その範囲内の厳しい指導は暴力に当たらない、と考えたということですね)
自分の周りには、自分のような指導をしている人はいないと。
(ウソつけ、と言いたいところですが、
論理的には自分の指導は他の指導者より厳しかった、ということになります。
そうすると他の先生方々は園田監督の指導の異常性に当然気付くはずであり、
それを園田監督に注意するか連盟に改善勧告をすべきだった、ということになりますね。
もし園田監督のいうことが正しいならば、
他の指導者の見て見ぬふりをするこの柔道界の体質が問題となります)
園田監督の会見は、自分だけが悪かった、ということで決着をつけようとした会見だったと思う。
でも、その内容は矛盾だらけであり、事実と不一致だと思わざるを得ない。
自作自演なのか連盟に諭されたために演じたものかはわからないけれども、
トカゲの尻尾切りをしようとしたと思われる。
若い方々は知らないかもしれないが、
このような態度を「臭いものに蓋をする」と言います。

ところで、女子柔道は開催間近の大会には参加するそうですね。
僕は参加に異議はないのだけれど、
異議を表明すべき人が少なくとも一人いるはず、ですけど?
つい二、三週間前にバスケ部監督の暴力指導をその高校の恥だと言って
スポーツクラスの入試を中止に追い込んだ人がいるじゃないですか。
その人、今回はどうして何も言わないの?
指導者が暴力をふるってその指導者を監督すべき組織代表が何の手だてもしなかったのだから、
あなたが恥と言ったことと基本構造は同じですよ。
ご自身の行政責任範囲外だから沈黙ですか?
でもあなたは国政政党の党首でしょ。
当然日本全体のことも、政治姿勢は同じではなければならない。
そういえば、昨年は指導に体罰は許されると言っていたではなかったでしたっけ?
その場その場で言うことが違うようでは、国政政党の党首は荷が思いんじゃないですか?
「恥ずかしい」と言った人を、恥ずかしいと思うのは僕だけでしょうか?

話題をもどしましょう。
今回の事件は海外メディアも取り上げています。
そりゃオリンピックでも監督をしていた人だし、
名前は出ていないけれども何人ものオリンピック選手が告発していると思われるのだから海外でもニュース性が高いだろう。
海外の報道の中には
「柔道創始者の嘉納治五郎の精神を思い出せ」というコメントもあるそうだ。
なかなか、面白い指摘をするものです。
このコメントを書いた記者の方に正直に言うが、
僕は嘉納治五郎の精神と言われてその内容を一言も思い出せません。
知っているのは、
講道館柔道を創始した人、
それまで日本に古くからあったが文明開化の変化の中で廃れていった柔術を組み替えて柔道というものに姿を変えた人、
だと言うことだけ。
勝手な推測で申し訳ないが、
柔道関係者の認識も僕の認識と大同小異なのではないかな。
この際だから、嘉納治五郎についてネットで検索してみると次のことがわかった。
生まれは今の神戸東灘区御影(何と僕の家に近いじゃないですか)
ご自身は体が弱かったが頭は良かった(東大に行っている)。
柔術に出会って強くなるために柔術を理論的に研究して柔道にまとめ上げた。
柔道をまとめ上げたのは、柔道が若者の教育に役立つと考えたから。
柔道やスポーツが若者の育成に役立つと強く考えていた嘉納治五郎は
クーベルタンが提唱した近代オリンピックの精神に強く共感した。
嘉納治五郎はオリンピックの東京招致に尽力し、
戦争によって幻になったけれども、
1940年の東京オリンピック招致成功に多大な影響を与えた。
嘉納治五郎の精神が垣間見れる言葉として
「人に勝つより自分に勝て」
「勝って、勝ちに傲ることなく、
負けて、負けに屈することなく、
安きにありて、油断することなく、
危うきにありて、恐れることもなく、
ただ、ただ、一筋の道を、踏んでゆけ。」
というものがある。
この言葉に照らして今の柔道界を見るならば、
指導者に「自分に勝て」の精神は感じられない。
自分に勝つことを自分に命じている人ならば、人に暴力を振るうことを潔しとはしない。
暴力行為をしたことを恥じ入るはず。
柔道連盟の金メダルに異常にこだわる姿勢も
嘉納治五郎の精神とずれていることがわかる。
今の柔道界は嘉納治五郎の精神を引き継いでいるとは言えないと思う。

柔道界は嘉納治五郎の精神を忘れている。
何故忘れているのかというと、
これは柔道界に限らず、ある時の日本でいたるところで起こったことだと思う。
それは第二次世界大戦、太平洋戦争で完膚なきまで負けたから。
その時、日本はそれまで大事にしてきたことを全部捨てた。
倫理観も高邁な精神もみんな捨てた。
残ったものは生きる力だけだった。
生きる力はなかなかなもので日本は復興し世界の賞賛を浴びるものではあったけれど、
倫理や精神は人間でいうならば背骨や腰に当たるもの。
日本は背骨や腰がない巨大な生命体のようなものになった。
そこにあるものはミドルクラス意識というもので、
いろんな学者の意見を集約すると、
惰弱、緩み、自己規律のなさに集約される。
ミドル・クラスとは、即ち中産家庭のこと。
小金がありながら、趣味低俗。
本当の贅沢を知らない。
犠牲を払わずに贅沢をしようとするから、ミミッチい。
もう一度言うが、自己規律がなくてミミッチい。
そういう人々に暴力を自己制御するだけの知性や理性がなければどうなるか?
その答えが、あちこちで起こっている指導者の暴力問題だと思う。
問題はスポーツ界だけではない。
知性や理性がある(と思われる)社会では手や足による暴力は少ないけれども
言葉の暴力や扱いの暴力はいくらでもある。
ある、と日本で有名な金融機関に勤めていた経験を元に断言する。
指導者の暴力が無くならない根っこにあるのは、
日本人の精神性喪失とミドルクラス意識の蔓延、
結果的に、惰弱、緩み、自己規律のなさ、ミミッチさだけで、
いろんな組織が運営されているからだと思う。
だから、何度も何度も似た問題がおこり、
そしてその度に個別対応で事の幕引きを行ってしまうのだ。