3月15日、安倍首相はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加交渉する表明を行った。
TPPに参加するか否かは日本並びに日本人にとって
とても大きな分岐になる重要な問題なので、自分の考えは明らかにしておいた方が良いだろう。
ブログでははじめて取り上げるテーマだが、実はツイッターでは何度かコメントしたことがある。
自分はTPP参加反対の立場を取る。
自分の立場とは、職業社会人という立場から導かれる利害意識を外した純な日本人としての56歳(3月16日に56歳になった)の日本男子の立場である。それを簡略に書いておく。
TPPの出発点は、シンガポール、ブルネイ、ニュージーランド、チリ四カ国による自由貿易協定であった。
それが参加国が増える中でアメリカが交渉に加わるようになり、
アメリカ(オバマ政権)はこのTPPにアメリカの国益を見出し、日本にも参加を求めてきた。
日本は何年も前からこの問題を抱えて起きながら
明確な意思表示をせずにズルズル中途半端な態度であったが、
安倍首相が訪米しオバマ大統領と会った以降はいっきに交渉参加に傾いていった。
ズルズル中途半端だったのはこのTPP参加におけるメリットとデメリットが拮抗していて簡単に答えを出せないからである。
もう少し言葉を加えると、政府関係者が考えるTPP参加後の予想がバラバラであるために意見集約ができなかったからだ。
自分の立場をわかりやすくするために、まずは推進派との違いを明らかにしておこう。
推進派は大きく3つに分類できるのではないか。
最大の推進派はTPPの自由貿易という理念や制度が多くのメリットをもたらすと考える経済界、中でもグローバル企業群である。彼らは一貫してTPP参加を支持している。
次のグループはTPP参加によって自由化など間接的メリットを確保できると考える集団である。TPPは幾つもの業種分化を定めている。その該当分化業種が閉鎖社会という悪い体質に陥っている時に、TPP参加により閉鎖社会に風穴が通ると期待する人々である。
最後は日本の安全保障上アメリカと強固な関係を築く必要があるために、アメリカが求めるTPPに参加しなければならないと考える人たちである。
この人たちはTPPをアメリカへの献上物かのように考えているように思える。
経済発展は、フロンティア(未開拓地)を見出すことによって始まる。
フロンティアはズバリ土地や地域のこともあれば、新しい産業、新しい商品であることもある。
勿論経済を立ち上げるには、交易が行われ、
人、物、金(21世紀では情報も)が投入されることが必要である。
だから、経済発展できる集団とは、交易ができて、
人、物、金を投入できてフロンティアを見出した集団である。
アメリカは人、物、金が投入できる地位にあるが、
TPPにフロンティアと更なる交易を見出したからTPPに積極的なのである。
そしてアメリカがこのフロンティアに投入する商品(対象物、実弾)は
薬や医療、大量生産食物だが、隠し玉にシェールガスがある。
このシェールガスは石油価格高騰に悩みTPPに二の足を踏んでいる国に対して、
横っ面を張り倒すような効き目を持っている。
一方日本はどうか。
アメリカと同じ立場に立てるものは、人、物、金が投入できるところにある。
ではフロンティアは見出されるかというと
アメリカに比べてそれほどのことはないと自分は考える。
それはアメリカにとって日本はフロンティアになり得るが、
日本にとってアメリカはフロンティアではない、というところに収斂される。
日本が投入できる実弾は自動車であり、
その自動車は今でもアメリカのかなりの市場を押さえている。
簡単に言ってしまうと、自動車以外の実弾が見出されない限り、
TPPで経済バトルをした場合、日本はアメリカに負ける。
日本が負ける最大の業種が農業である。
TPP参加により日本の農業生産は10兆円から7兆円に激減すると日本政府は試算している。
単純に言ってしまえば、農業に従事している人の3割の方々が職を失うのだ。
TPP推進派の経済団体は、農業で失うであろう3兆円の消失を
上回る益を獲得するからTPPに参加せよと主張する。
数字では合理性があるように見えるが、ここがちょっと疑わしい。
日本国家にとって何が合理的かというと、
国家を維持するための税を払ってくれるかどうかにある。
しかるにTPPを推進するグローバル企業はそもそも国に税金を払うテンションが低い。
できれば払わない方法を考えるのがグローバル企業なのである。
都市銀行というグローバル企業に30年務めた自分が言うのだ。
現に大手銀行は長い間税金を払っていない。
はっきり言ってしまえばグローバル企業がTPPで得る益は、
日本の懐にそのまま入ってくるものではない。
つまり、TPP参加は日本にとって失うものは多く得るものは少ないのだ。
安全保障上の対策としてTPP参加という考え方がある。
安倍首相はここを重視しているように思える。
確かに隣国中国、それに暴走する北朝鮮の脅威は大きく、
それに対抗するには日米同盟が日本にとっての生命線であることは論を待たない。
だからと言って、日米同盟とは直接的関係がないTPPに無理やり入らなければならないのか?
これじゃあ、TPPはアメリカへの貢物と考えているとしか思えない。
貢物とは属国が宗主国に贈るものであり、
日本はアメリカの属国であることを実質的に認めることとなる。
日本政府が日本はアメリカの属国であると認めて(表明して)、
そして国家としての主権は無いと認めてTPPに参加するならば、百歩譲ろう。
何を譲るかと言えば、農業の大打撃である。
日本が農業生産のかなりの部分を放棄し食物自給率が世界の中で最下位になったとしても、
宗主国アメリカは属国日本が食いつなぐだけの食料(まずくても危険でも文句は言えない)を
売ってくれるだろう、という推論が成り立つからである。
もっと言うと、アメリカの51番目の州になりたいと表明したらどうか。
英語を国語と定め自衛隊は海外派兵する。
日本語は弱体化し日本文化の弱体化を招く。
戦争放棄を放棄し、アメリカの正義のもとに派兵され戦争が行われるだろう。
アメリカの正義で痛めつけられた人々はテロで報復しているが、
テロリストの矛先は日本領土と日本人にも向かうだろう。
でも非核三原則を放棄し日本国内に核を持つことに反対できる近隣国はなくなる。
隣国たちは本気でアメリカと戦争すると決意しない限り、日本を攻めてくることはない。
しかし、日本政府は日本に主権がない、と表明することはないはずだ。
そんなことをすれば、日本国内が大混乱に陥ってしまい、政府が転覆するに違いない。
だから表明しないで、主権国の自主的判断としてTPPに参加するがのごとき装おうとしている。
しかしこのツケはとても大きく
(属国と同じような振る舞いをすれば宗主国は宗主国としての要求を日本に求める)
日本の主権は今後大きく毀損し
(TPPすらアメリカの意向と違うことが出来ない日本は
これからもアメリカの要求を拒否出来ないだろう)
結果的に主権国家である地位を失い、日本国憲法にある戦争放棄は守れなくなるだろう。
日本の安全保障の重要なテーマは、防衛力と資源とエネルギー確保である。
この二つが経済よりも先である。
防衛力は核を持つことによる抑止力が今現在の最大の安全保障になるが、
第二次世界大戦で隣国に侵略した日本に核保有を認める国があるはずがなく、
日本はアメリカに抑止力を求めざるを得ない。
それが非核三原則に隠れた真意である。
真意であるが、非核三原則を建前に国内に抑止力の核はないと言う。
まことに不可思議なロジックである。
ただアメリカを起点にして、環太平洋諸国と戦略的に軍事協定を作り上げて行く手段はあるはずだ。
又、資源の問題も環太平洋で協定を結んで行く手段はあるはず。
インドネシアは資源国だしオーストラリアも期待できる。
四島返還問題が解決できず、平和条約が結べていないロシアに対しても
樺太さらにはシベリアの資源に着目すれば、戦略的に協定を結ぶことはあって良いと考えられる。
TPPの前にそういう議論をするべきだ、と申しているのだ。
これは日本国家の主権にかかわることであり国益にかなうことである。
要は安全保障問題の主題は防衛力と資源確保であり、
その議論をしないでいきなりTPPに頼る戦術は、
結果的に防衛力と資源確保問題を置き去りにしてしまい、
日本の主権は毀損されて行くと考えるから、
反対なのである。
TPPの問題の根本は、国家とグローバル経済のどちらが21世紀の主導権を握るのか、にある。
日本にはその問題がTPPというテーマで現れたのである。
グローバル経済は経済合理性だけが活動原理であり、国家の利害を離れて活動する。
一方国家は人民と領土を持ち、人民の最大利益を追求することを目的に政府と官僚を持つ。
国家は農業しかできない人も含めて国民の利益を守らなければならない。
グローバル経済にとって大事なものは、今手に入る利益であり富である。
グローバル経済の主体であるグローバル企業は、
10年後も存続しているかどうかもわからない存在であるために、目先の利益を求める。
国家は100年後も存続しているだろうことを前提に制度設計されている。
当然目先の利益よりも長く続く富の形成を目標化する。
この違いが社会資本の対応に現れる。
国家は長い繁栄を形成するために、社会資本の充実を行う。
道路を整備し交通を整え施設を作ることで、人民の利益を図る。
つまり社会資本は国家の富の一部である。
グローバル経済はその社会資本を只のように使い自己利益の最大化を図る。
社会資本の使用に一生懸命になるが、社会資本の増大には消極的である。
グローバル経済の利害は国家の利害とは決して一致しない。
しかし20世紀後半からグローバル経済は国家の束縛を外れてどんどん巨大化した。
この巨大化はグローバル経済が発展したアメリカで起こり
アメリカ政府もその巨大化を支援し、今も支援しているように見える。
(アメリカの内向き化傾向もあって必ずしもそう言い切れないケースも見られるが)
アメリカが世界のリーダーである限り、
グローバル経済の振る舞いはアメリカの国益の範疇にある。
このロジックは世界のリーダーであるアメリカにだけ通用するロジックであり、
アメリカ以外の国々には通用しない。
ヨーロッパがユーロ経済圏を形成した理由もグローバル経済問題が根本にある。
一国の経済では国家の主権を維持できないので、
ユーロでまとまりグローバル経済に合わせる一方で、
それぞれの国は限定された主権を守ろうとした。
欧州がユーロで纏まることができたのは、
400年前は神聖ローマ帝国として一つであったこと、
国家という概念が生まれたウェストファリア条約は自らの意思で作ったものであること、
幾多の戦争を経てこれ以上の戦争は益が無いと認識を共通したこと、
ソ連に対抗するためにNATO軍事同盟を作り
ECという共同体を作ってきた歴史的積み重ねと関係があるからである。
だか環太平洋には欧州のような歴史的事実も関係もない。
アメリカから見ても世界経済から見ても、環太平洋はフロンティアであることと、
中国の巨大化に対抗する必要に迫られているという状況がある。
この状況をTPPで解決を図るという考え方があることは自分も認める。
しかし、それは考えなければならない防衛問題と資源問題を抜きにしてしまうことであり、
取り返しがつかないことになると考える。
グローバル経済重視は必ず国家の主権を脅かす、
ということをわかっていないとTPP問題を見誤る。
400年続いてきた(国民)国家が制度疲労を起こしている、ということは認めざるを得ない。
国家という制度枠を新たな枠組みで作り直さなければならないのではないか、
という思いは自分にもある。
しかしその取って代わるものが、グローバル経済だとは思えない。
理由はすでに書いたことの繰り返しになるが、
グローバル経済は社会資本の蓄積に興味がないために
世界の富の底上げ貢献が期待できないからであり、
自己利益優先原理が人民の格差を生み社会を荒廃させると思うからである。
グローバル経済が進めば
一握りの集団に富が集中しそれ以外の人民は貧しい。
そして世界の富を有する王たる者が社会資本に興味がなく人民の生活に興味がないどころか、
そういう人民たちを敗者と切って捨てる社会にだってなりかねないのだ。
そういう社会にしてはいけないし望んでもいけない、と自分は考える。
自分にとって、
日本の土地、日本の人民、日本の食、日本の自然と風土、
2000年以上の歴史、日本の文化そして日本の勤勉性が
失いたくない国富であると考える。
人口減少社会になって経済が少々小さくなっても守るベキものだ。
そしてこれらの富を支える経済理念はグローバル経済原理と一線を引く、
国民経済原理であり経世済民思想の延長にある。
国民に職を提供しどうやって食わせていくかが大きなテーマとなる。
富の集中ではなく、富の適正な循環が大事であり
そのためには相互扶助の精神は失ってはならない。
人民は守られなければならない、それが原則であり
守られる人民は応分の努力を社会に提供しなければならない。
守るべきものがあれば、独自の意見が必ずできる。
それは「当事者の当然の発露」である。
それは時にアメリカの意とそぐわないことがあるかもしれないが、
それでも日米同盟に則して果たすことはあるはずだ。
それは、戦後日本の振る舞い方と一部異なるところが発揮されることになるだろうが、
それは国家が存立する基盤がグローバル経済の発展によって
変わってしまったから起こることである。
何も言わずに日本国家の主権が守られる時代は終わった。
何も言わないことはグローバル経済に国家が屈服することを指す。
しかしマスメディアはそれを言わない。
農業団体が自分の利権を守るために反対している、
という構図でしか描けないことこそが日本国民の悲劇である。
グローバル経済(団体)の意見は当事者の当然の発露では無い。
彼らは日本に存立することに益が無いと判断すれば、
間違いなく日本を捨てる。
自らグローバル経済の旗手を任ずる経済界の重鎮は同じ日本人の顔をしているが、
日本の主権を守り発展させようと日々もがき苦しみ努力している人々とは違うのだ。
当事者で無いものたちの意見は話半分で聞いておけば良い。
それが大人の聞き方であると思う。
TPPに参加するか否かは日本並びに日本人にとって
とても大きな分岐になる重要な問題なので、自分の考えは明らかにしておいた方が良いだろう。
ブログでははじめて取り上げるテーマだが、実はツイッターでは何度かコメントしたことがある。
自分はTPP参加反対の立場を取る。
自分の立場とは、職業社会人という立場から導かれる利害意識を外した純な日本人としての56歳(3月16日に56歳になった)の日本男子の立場である。それを簡略に書いておく。
TPPの出発点は、シンガポール、ブルネイ、ニュージーランド、チリ四カ国による自由貿易協定であった。
それが参加国が増える中でアメリカが交渉に加わるようになり、
アメリカ(オバマ政権)はこのTPPにアメリカの国益を見出し、日本にも参加を求めてきた。
日本は何年も前からこの問題を抱えて起きながら
明確な意思表示をせずにズルズル中途半端な態度であったが、
安倍首相が訪米しオバマ大統領と会った以降はいっきに交渉参加に傾いていった。
ズルズル中途半端だったのはこのTPP参加におけるメリットとデメリットが拮抗していて簡単に答えを出せないからである。
もう少し言葉を加えると、政府関係者が考えるTPP参加後の予想がバラバラであるために意見集約ができなかったからだ。
自分の立場をわかりやすくするために、まずは推進派との違いを明らかにしておこう。
推進派は大きく3つに分類できるのではないか。
最大の推進派はTPPの自由貿易という理念や制度が多くのメリットをもたらすと考える経済界、中でもグローバル企業群である。彼らは一貫してTPP参加を支持している。
次のグループはTPP参加によって自由化など間接的メリットを確保できると考える集団である。TPPは幾つもの業種分化を定めている。その該当分化業種が閉鎖社会という悪い体質に陥っている時に、TPP参加により閉鎖社会に風穴が通ると期待する人々である。
最後は日本の安全保障上アメリカと強固な関係を築く必要があるために、アメリカが求めるTPPに参加しなければならないと考える人たちである。
この人たちはTPPをアメリカへの献上物かのように考えているように思える。
経済発展は、フロンティア(未開拓地)を見出すことによって始まる。
フロンティアはズバリ土地や地域のこともあれば、新しい産業、新しい商品であることもある。
勿論経済を立ち上げるには、交易が行われ、
人、物、金(21世紀では情報も)が投入されることが必要である。
だから、経済発展できる集団とは、交易ができて、
人、物、金を投入できてフロンティアを見出した集団である。
アメリカは人、物、金が投入できる地位にあるが、
TPPにフロンティアと更なる交易を見出したからTPPに積極的なのである。
そしてアメリカがこのフロンティアに投入する商品(対象物、実弾)は
薬や医療、大量生産食物だが、隠し玉にシェールガスがある。
このシェールガスは石油価格高騰に悩みTPPに二の足を踏んでいる国に対して、
横っ面を張り倒すような効き目を持っている。
一方日本はどうか。
アメリカと同じ立場に立てるものは、人、物、金が投入できるところにある。
ではフロンティアは見出されるかというと
アメリカに比べてそれほどのことはないと自分は考える。
それはアメリカにとって日本はフロンティアになり得るが、
日本にとってアメリカはフロンティアではない、というところに収斂される。
日本が投入できる実弾は自動車であり、
その自動車は今でもアメリカのかなりの市場を押さえている。
簡単に言ってしまうと、自動車以外の実弾が見出されない限り、
TPPで経済バトルをした場合、日本はアメリカに負ける。
日本が負ける最大の業種が農業である。
TPP参加により日本の農業生産は10兆円から7兆円に激減すると日本政府は試算している。
単純に言ってしまえば、農業に従事している人の3割の方々が職を失うのだ。
TPP推進派の経済団体は、農業で失うであろう3兆円の消失を
上回る益を獲得するからTPPに参加せよと主張する。
数字では合理性があるように見えるが、ここがちょっと疑わしい。
日本国家にとって何が合理的かというと、
国家を維持するための税を払ってくれるかどうかにある。
しかるにTPPを推進するグローバル企業はそもそも国に税金を払うテンションが低い。
できれば払わない方法を考えるのがグローバル企業なのである。
都市銀行というグローバル企業に30年務めた自分が言うのだ。
現に大手銀行は長い間税金を払っていない。
はっきり言ってしまえばグローバル企業がTPPで得る益は、
日本の懐にそのまま入ってくるものではない。
つまり、TPP参加は日本にとって失うものは多く得るものは少ないのだ。
安全保障上の対策としてTPP参加という考え方がある。
安倍首相はここを重視しているように思える。
確かに隣国中国、それに暴走する北朝鮮の脅威は大きく、
それに対抗するには日米同盟が日本にとっての生命線であることは論を待たない。
だからと言って、日米同盟とは直接的関係がないTPPに無理やり入らなければならないのか?
これじゃあ、TPPはアメリカへの貢物と考えているとしか思えない。
貢物とは属国が宗主国に贈るものであり、
日本はアメリカの属国であることを実質的に認めることとなる。
日本政府が日本はアメリカの属国であると認めて(表明して)、
そして国家としての主権は無いと認めてTPPに参加するならば、百歩譲ろう。
何を譲るかと言えば、農業の大打撃である。
日本が農業生産のかなりの部分を放棄し食物自給率が世界の中で最下位になったとしても、
宗主国アメリカは属国日本が食いつなぐだけの食料(まずくても危険でも文句は言えない)を
売ってくれるだろう、という推論が成り立つからである。
もっと言うと、アメリカの51番目の州になりたいと表明したらどうか。
英語を国語と定め自衛隊は海外派兵する。
日本語は弱体化し日本文化の弱体化を招く。
戦争放棄を放棄し、アメリカの正義のもとに派兵され戦争が行われるだろう。
アメリカの正義で痛めつけられた人々はテロで報復しているが、
テロリストの矛先は日本領土と日本人にも向かうだろう。
でも非核三原則を放棄し日本国内に核を持つことに反対できる近隣国はなくなる。
隣国たちは本気でアメリカと戦争すると決意しない限り、日本を攻めてくることはない。
しかし、日本政府は日本に主権がない、と表明することはないはずだ。
そんなことをすれば、日本国内が大混乱に陥ってしまい、政府が転覆するに違いない。
だから表明しないで、主権国の自主的判断としてTPPに参加するがのごとき装おうとしている。
しかしこのツケはとても大きく
(属国と同じような振る舞いをすれば宗主国は宗主国としての要求を日本に求める)
日本の主権は今後大きく毀損し
(TPPすらアメリカの意向と違うことが出来ない日本は
これからもアメリカの要求を拒否出来ないだろう)
結果的に主権国家である地位を失い、日本国憲法にある戦争放棄は守れなくなるだろう。
日本の安全保障の重要なテーマは、防衛力と資源とエネルギー確保である。
この二つが経済よりも先である。
防衛力は核を持つことによる抑止力が今現在の最大の安全保障になるが、
第二次世界大戦で隣国に侵略した日本に核保有を認める国があるはずがなく、
日本はアメリカに抑止力を求めざるを得ない。
それが非核三原則に隠れた真意である。
真意であるが、非核三原則を建前に国内に抑止力の核はないと言う。
まことに不可思議なロジックである。
ただアメリカを起点にして、環太平洋諸国と戦略的に軍事協定を作り上げて行く手段はあるはずだ。
又、資源の問題も環太平洋で協定を結んで行く手段はあるはず。
インドネシアは資源国だしオーストラリアも期待できる。
四島返還問題が解決できず、平和条約が結べていないロシアに対しても
樺太さらにはシベリアの資源に着目すれば、戦略的に協定を結ぶことはあって良いと考えられる。
TPPの前にそういう議論をするべきだ、と申しているのだ。
これは日本国家の主権にかかわることであり国益にかなうことである。
要は安全保障問題の主題は防衛力と資源確保であり、
その議論をしないでいきなりTPPに頼る戦術は、
結果的に防衛力と資源確保問題を置き去りにしてしまい、
日本の主権は毀損されて行くと考えるから、
反対なのである。
TPPの問題の根本は、国家とグローバル経済のどちらが21世紀の主導権を握るのか、にある。
日本にはその問題がTPPというテーマで現れたのである。
グローバル経済は経済合理性だけが活動原理であり、国家の利害を離れて活動する。
一方国家は人民と領土を持ち、人民の最大利益を追求することを目的に政府と官僚を持つ。
国家は農業しかできない人も含めて国民の利益を守らなければならない。
グローバル経済にとって大事なものは、今手に入る利益であり富である。
グローバル経済の主体であるグローバル企業は、
10年後も存続しているかどうかもわからない存在であるために、目先の利益を求める。
国家は100年後も存続しているだろうことを前提に制度設計されている。
当然目先の利益よりも長く続く富の形成を目標化する。
この違いが社会資本の対応に現れる。
国家は長い繁栄を形成するために、社会資本の充実を行う。
道路を整備し交通を整え施設を作ることで、人民の利益を図る。
つまり社会資本は国家の富の一部である。
グローバル経済はその社会資本を只のように使い自己利益の最大化を図る。
社会資本の使用に一生懸命になるが、社会資本の増大には消極的である。
グローバル経済の利害は国家の利害とは決して一致しない。
しかし20世紀後半からグローバル経済は国家の束縛を外れてどんどん巨大化した。
この巨大化はグローバル経済が発展したアメリカで起こり
アメリカ政府もその巨大化を支援し、今も支援しているように見える。
(アメリカの内向き化傾向もあって必ずしもそう言い切れないケースも見られるが)
アメリカが世界のリーダーである限り、
グローバル経済の振る舞いはアメリカの国益の範疇にある。
このロジックは世界のリーダーであるアメリカにだけ通用するロジックであり、
アメリカ以外の国々には通用しない。
ヨーロッパがユーロ経済圏を形成した理由もグローバル経済問題が根本にある。
一国の経済では国家の主権を維持できないので、
ユーロでまとまりグローバル経済に合わせる一方で、
それぞれの国は限定された主権を守ろうとした。
欧州がユーロで纏まることができたのは、
400年前は神聖ローマ帝国として一つであったこと、
国家という概念が生まれたウェストファリア条約は自らの意思で作ったものであること、
幾多の戦争を経てこれ以上の戦争は益が無いと認識を共通したこと、
ソ連に対抗するためにNATO軍事同盟を作り
ECという共同体を作ってきた歴史的積み重ねと関係があるからである。
だか環太平洋には欧州のような歴史的事実も関係もない。
アメリカから見ても世界経済から見ても、環太平洋はフロンティアであることと、
中国の巨大化に対抗する必要に迫られているという状況がある。
この状況をTPPで解決を図るという考え方があることは自分も認める。
しかし、それは考えなければならない防衛問題と資源問題を抜きにしてしまうことであり、
取り返しがつかないことになると考える。
グローバル経済重視は必ず国家の主権を脅かす、
ということをわかっていないとTPP問題を見誤る。
400年続いてきた(国民)国家が制度疲労を起こしている、ということは認めざるを得ない。
国家という制度枠を新たな枠組みで作り直さなければならないのではないか、
という思いは自分にもある。
しかしその取って代わるものが、グローバル経済だとは思えない。
理由はすでに書いたことの繰り返しになるが、
グローバル経済は社会資本の蓄積に興味がないために
世界の富の底上げ貢献が期待できないからであり、
自己利益優先原理が人民の格差を生み社会を荒廃させると思うからである。
グローバル経済が進めば
一握りの集団に富が集中しそれ以外の人民は貧しい。
そして世界の富を有する王たる者が社会資本に興味がなく人民の生活に興味がないどころか、
そういう人民たちを敗者と切って捨てる社会にだってなりかねないのだ。
そういう社会にしてはいけないし望んでもいけない、と自分は考える。
自分にとって、
日本の土地、日本の人民、日本の食、日本の自然と風土、
2000年以上の歴史、日本の文化そして日本の勤勉性が
失いたくない国富であると考える。
人口減少社会になって経済が少々小さくなっても守るベキものだ。
そしてこれらの富を支える経済理念はグローバル経済原理と一線を引く、
国民経済原理であり経世済民思想の延長にある。
国民に職を提供しどうやって食わせていくかが大きなテーマとなる。
富の集中ではなく、富の適正な循環が大事であり
そのためには相互扶助の精神は失ってはならない。
人民は守られなければならない、それが原則であり
守られる人民は応分の努力を社会に提供しなければならない。
守るべきものがあれば、独自の意見が必ずできる。
それは「当事者の当然の発露」である。
それは時にアメリカの意とそぐわないことがあるかもしれないが、
それでも日米同盟に則して果たすことはあるはずだ。
それは、戦後日本の振る舞い方と一部異なるところが発揮されることになるだろうが、
それは国家が存立する基盤がグローバル経済の発展によって
変わってしまったから起こることである。
何も言わずに日本国家の主権が守られる時代は終わった。
何も言わないことはグローバル経済に国家が屈服することを指す。
しかしマスメディアはそれを言わない。
農業団体が自分の利権を守るために反対している、
という構図でしか描けないことこそが日本国民の悲劇である。
グローバル経済(団体)の意見は当事者の当然の発露では無い。
彼らは日本に存立することに益が無いと判断すれば、
間違いなく日本を捨てる。
自らグローバル経済の旗手を任ずる経済界の重鎮は同じ日本人の顔をしているが、
日本の主権を守り発展させようと日々もがき苦しみ努力している人々とは違うのだ。
当事者で無いものたちの意見は話半分で聞いておけば良い。
それが大人の聞き方であると思う。