阿部政権支持率が依然6割の上部にあり、高い支持率を維持している。
政権誕生後一番力を注いできた経済浮上策は、
株価が上がり円相場が安くなり、先行期待感がふくらみ「見える」成果が出ている。
支持率が高い一番の理由はここにあるのだろう。
でもその裏には、国民が消極的選択をしている状況にあることを忘れてはならない。
何と言っても、民主党に対する強い「ノー」がある。
そして、維新の会に対する懐疑が広がっている。
この状況で自民党を否定してしまうと日本は政権を保つ政党がなくなる。
選択権があるようで実はない、というとても厳しい状況にあるのだ。
そして何年も短期政権が続いてきた。
その結果、日本は一つの政策を成し遂げることをできずにきた。
首相の首をすげ替えて政治に対する鬱積を晴らしたところで政治は一つも良くはならない、
ということに少し気付いたということもあるだろう。
さらに日本の周辺で、きな臭い事件が頻発している。
中国との尖閣問題に加えて、
北朝鮮の核実験やミサイル発射問題が浮上している。
直接的危機感ではないものの、
pm2.5や中国大陸の鳥インフルエンザ問題がある。
日本を取り巻く多くの混乱状況に危機感を募らせる日本人が、
意識的か無意識かはわからないが国内政権の安定を望んでいるのではないか。
石破自民党幹事長も最近は「阿部政権は長期政権」にならなければならない、と言い出している。

自民党は高い支持率に気をよくしているのか知らないが、
外交的にはタブーとされている重要閣僚の靖国神社参拝は、
麻生太郎副大臣・財務大臣の参拝実施によってあっさりとタブーは覆された。
麻生さんは「日本のために命を捧げていただいた多くの御霊に対し
鎮魂の参拝をすることが何故他国から揶揄されなければならないのかわからない」と述べている。
靖国神社参拝は第二次世界大戦で東アジアを蹂躙された周辺国にとっては
忘れたくても忘れることができない被征服の記憶を蘇らせられることなのだが、
(戦争責任者となっている東条英機らが靖国神社に祀られているので、
靖国参拝は周辺国にとっては戦争遂行者を祀り、
再び周辺国を蹂躙する用意があると危惧する)
そんなことは筋違いであると麻生大臣は強弁している。
靖国神社参拝は、戦死した御霊の鎮魂の意味と戦争を正当化する意味の
どちらにも取られかねない行動である。
見る人の立場が変われば汲み取る意味も変わるものなのだ。
中国と韓国はすぐに不快感を露わにした。
でもマスコミは麻生大臣の靖国神社参拝を表立って取り扱っているようには思えない。
マスコミもかつてほど中国や韓国の意見寄りではなくなっているようだ。
自民党は、少なくともパフォーマンスにおいて、
外国の内政干渉は受けない態度に務めているようだ。

僕の見るところ阿部政権はTPP推進に見られるように、グローバル経済の賛同者と考えられる。
グローバル経済はとどのつまり、日本国家のいろんな資産を消耗させる経済である。
(「グローバル資本主義の正体と日本への影響」のブログを読んでください)
そういう経済思想を持ちながら、一方で「日本は日本であるべきだ」ということを
政策で国民を説得するのでは無くて、靖国神社参拝のような感情に訴えるような態度をしているようである。
矛盾した行動なのだが、その矛盾が矛盾として露呈するのはもっと数年後のこと。
不思議な振る舞いだが、そうすることで支持率は高いまま維持されるし、
野党も追求しにくいのだから、お構いなしに国民にパフォーマンスを見せつけているようだ。
鈴木健さんが『なめらかな社会とその敵』の中で、民主主義には二つの制度が自然と設計されるものだと書いている。
一つは自分たち自身で自分たちのことは決める、という考え方から出てくる特徴であり、
自分たちのことを決めるための意思決定プロセスが整備されている必要がある。
もう一つは、自治、国民主権などの概念が自然と生まれ、国民国家、民族自決、内政不干渉という概念も生まれたとある。
阿部政権は、この二つを「ちゃんと実行していますよ」と一生懸命パフォーマンスしている。
TPP参加も、日銀のインフレ目標化も「選挙公約に挙げて選挙に勝って自分たちで決めたことだ」と主張している。
そして、民族自決主義を強く押し出し、内政不干渉を進める。
一見自民党は民主主義を実行しているのだが、
残念ながら今の日本に健全な野党は存在しない。
だから、自民党は民主主義のもと、単独政党化が続きそうな気配である。


先週のブログを少し引きずってる。
オルテガがエリート論を展開したのは大衆と対比するためだったのだが、
オルテガの言うエリートは、実は特別な人間のことを指すのではなくて、
一人の人間の中の一つの性質や要素として捉えている。
オルテガは大衆の性質もエリートの性質も一人の人間の中に混在していると考えた。
これはニーチェの超人と決定的に異なる(ニーチェはエリートを地位として捉えた)考え方であり、
それが為にオルテガのエリート論を批判する人は多いらしい。
現代においてもエリートを地位と捉える人が多数を占めるだろうから、
オルテガのエリート論は多分劣勢だろう。
そして僕自身もこのオルテガのエリート論を知る前は、
エリートというものを地位とか立場として捉えていた。
でもオルテガのエリート論に、
理由はわからないけれど共感するところがあり、
その共感がオルテガを引きずった理由だと思う。
そして、共感していた訳は、オヤジ殿にあることがわかった。

僕のオヤジは僕が18歳の時に他界した。
オヤジ56歳の冬のことだ。
ある朝突然、誰にもあばよとも言わずに、布団の中で寝ているように死んでいた。
心不全とか脳卒中だったかだと思う(僕は混乱していて死因を冷静に飲み込むことができなかったのだと思う)。
子供の頃からオヤジと一緒にいるのが好きだった。
オヤジは小さな町工場を経営していて配達とかで車を使うのだが、
僕はその車に乗って何処でも行くのが好きだった。
車に乗るのが好きでオヤジのそばにいるのが好きなのか、
オヤジが好きで車に乗っていたのかはわからない。
オヤジは息子に向かって、こうあるべきだとかそうすべきだということを一切言わない人だった。
(キビシかったという声もあるのでそれは僕に対してだったかもしれない)
子供を自由にさせてくれるところが好きだった。
オヤジは仕事中はどこに行くのでも作業服のままで、
誰と話をしても、相手が仕事をくれる取引先の社長であっても融資してくれる銀行の人であっても
年下の人であっても親戚の人でも媚びることなく偉ぶることなく、態度が変わらない人だった。
自分を飾るということをしない人だった。
もしかしたら自分を飾るという高度な人間力を発揮する能力を、
有していなかっただけなのかもしれない。
人から頼まれたことはホイホイするし、
でも自分の好きなこと(と言っても釣りぐらいだが)もホイホイするし、
会いたいと思ったらホイホイ訪ねて行く人だった。
仕事を終えたら一風呂浴びてお袋の料理を食べながらお酒を飲むのが毎日の楽しみで、
そしてご飯を食べる頃にはおかずが無くなっていて「おかずはないのか」とお袋にねだって、
毎日のように軽く小言を言われていた。
可愛げがある人だったというのがオヤジの葬式にきてくれた人たちの評価だったと思う。
でも親としての心構えは別だった。
それについて特別な記憶がある。
18歳の頃僕は尿に蛋白が出ていることがわかって、腎臓に疾患があることがわかった。
お袋はそのことに動揺し僕の将来のことを心配していた。
そのどうにもならない心配を(医者からは良くなることはありません、
悪くならないように用心するだけです)僕が横に座っている時に
オヤジにどうするんだとぶつけるように問うたら、
オヤジはまんじりともせず、改まった様子もなく、当たり前のように
「俺の腎臓の一つをくれてやるから大丈夫だ」とさらりと言った。
お袋も(そんな返事が返ってくるとは考えていなかっただろうけれど)もう次の言葉をつなぐことはなかった。
僕は蛋白尿についての実感が全くなかったこともあって、
親父の心境を考えることもなくやり過ごしたが、
この発言の重みは後々自分が年輪を重ねて行くにつれてわかっていった。
家族に何か大事があったらオヤジは家族の長として、
自分の持ち物を、それが自分の肉体の一部であっても、投げ出す心構えができていたのだろう。
オヤジは大人びたところが少ない他はごく普通の一般人だったと思うが、
親としての気構えはしっかりしていたと思う。
失うことに躊躇しないところは、
「他の人々よりも少なく受け取ること、他の人々よりも先に傷つくこと、
他の人々よりも多くを失うこと、という「犠牲となる順序の優先権」というかたちをとる。」
というオルテガエリート表現の「他の人々よりも」を
「家族よりも」に置き換えた文章に通じる。

僕は男三人兄弟の三番目で長兄とは七歳、次兄と五歳離れている。
男兄弟三人で兄弟ゲンカはしていたが、今も良い関係にある。
三人ともグレることなく悪に染まることなく生きてこれたのは、
オヤジとお袋、そしてオヤジ殿のおかげだろうと思う。
数年前に兄弟三人でお酒を飲んでいた時、
それは長兄がオヤジが死んだ56歳という歳を超えて僕も50歳を超えた頃だが、
長兄が「三人とも50を超えたが誰一人としてオヤジを超えていないな」と
次兄と僕に言った。
断定形ではなく質問形で言ってくんないかなと僕は内心思わぬではなかったが、
続いて次兄も「超えてない」と長兄に同意して僕の方を見るので
「そうだね」と同意した。
長男の突然の話題展開だったが、次兄も僕も何の不思議も感じなかった。
誰もオヤジについて具体的な思い出を語るわけではないのだが、
兄弟それぞれの胸の内にオヤジの像があって自分を振り返っていたりしていたのだ。
ただそれぞれのオヤジ像は、兄弟三人がそれぞれ口にして表現したら違ったものかもしれない。
でも違う可能性について兄弟三人は別に重みを感じていない。
大事なのは、それぞれの胸の中にあるオヤジの像なのだ。
その像に比べてオヤジが死んだ歳になってもオヤジを越えられていない。
その不足感が兄弟三人にとって又明日からの活力になっている。
死んだオヤジは自分の息子たちの胸の内に、それぞれのオヤジ殿になって生きている。
それを言葉にするなら、自分のロールモデルになったオヤジと言えるだろうか。
地位とか資産で人を差別しないオヤジ殿。
来る者は拒まず去るものを追わないオヤジ殿。
ホイホイ動く活動力あるオヤジ殿。
可愛げのあるオヤジ殿。
やると決めたら躊躇しないオヤジ殿。
自分の責任範囲のことは全てを投げ出してでも全うするオヤジ殿。
それらの何処かを中心にして、
それとも僕が気づいていないオヤジの要素をオヤジ殿として、
兄弟三人はそれぞれのロールモデルにしていった。
僕たち兄弟は若くしてオヤジを失ったけれども、
僕たち兄弟三人の幸福はオヤジがロールモデル足り得る人間だったことと、
オヤジ殿を胸に抱いて生きているところにある。
タイには何度も来ているのです。
でも、いつも飛行場とホテルと仕事場、それと食事と車内で時を過ごすだけで、
タイらしいところは何も知らずにいました。
今回有名なアユタヤに立ち寄ることができ、
初めてのタイ観光を経験しました。
わずかな時間で、
ワット・ヤイ・チャイ・モンコンという寺院跡しか観れなかったけれど、
十分楽しめました。
何と言っても空に高く伸びる仏塔が印象的です。
どっしりした円柱形の土台部分から、ぐっと絞り伸ばすように高くなり、
先端が細くなる円錐形の巨大な仏塔。
この仏塔が幾つもあるのですが、中心にある仏塔が一番大きい。
その仏塔にやや傾斜がきつい階段があり、仏塔の中に入れます。
仏塔の中には何体かの仏像があって、どれも黄金色に輝いています。
そして人々は買い入れてあった小さい金箔を
その仏像に貼り付けています。
だから仏像はいつも金ピカです。
この仏塔を中心にして大きな仏像が二体左右に鎮座し、
さらにその周りを塀に沿って沢山の仏像が仏塔に対座するように置かれています。
仏像の特徴を記しましょう。
お顔は面長で柔和、肩幅はわりとあって胴は長めだけれど均整は取れています。
仏像の特徴は、頭のてっぺんにある、
ロウソクと点灯した炎が一体となったようなものが、
すっと天に向かって伸びていることです。
見た感じは、小さな仏塔が頭のてっぺんに乗っている風です。
これってなんなのでしょうか。
日本人にとって仏像の頭のてっぺんにあるものといえば、
肉ケイと言って、鎌倉の大仏様にも東大寺の大仏様にもあります。
これは如来の知恵が尋常でないことの証と考えられています。
でもアユタヤのそれは、とても肉ケイのようなコブを連想させるものではなくて、
髪の毛を束ねたもの、それを宝ケイというそう、です。
それは悟りに到達した如来の証ではなくて、菩薩以下の修行中の仏の姿らしい。
ただし、如来そのものは大乗仏教の系譜だから、
小乗仏教であるアユタヤの仏像がこの説明で良いかは定かじゃありません。
言えるのは、仏塔も仏像も全てが天に向かって伸びようとしていること。
それは終着点でもある完成形(如来形)を表しているのではなくて、
今も伸びようとしている躍動を表しているように思える。
装飾はこの「先に伸びるところ」だけに限られていて、
それ以外は抑制されています。
天に伸びる建造物と言えばゴシック様式の教会を思い起こさせますが、
ゴシック様式は華美であり、
発展とか繁栄という言葉を連想させます。
アユタヤのそれは発展とか繁栄を連想させません。
伸びるためには装飾物はむしろ余計で邪魔である、と言わんとしているかのようです。
仏像について言うなら、もう一点日本の仏像と違うことがあります。
日本の仏像は、須弥山にあるお釈迦様を中心とした諸仏の
ヒエラルキー構造をモデル化したものです。
如来の左右には菩薩が侍り、その周りを四天王などが取り囲みます。
そして、それぞれの仏像が手にしている仏具はその仏像の性格によって別々であり、
姿勢も装身具もお顔も違う。
でもアユタヤの仏像は日本と全く異なる。
何体もある仏像の姿も顔も同じです(もっとよく見たら違うのかもしれないけれど)。
仏像が何体もあるということは、沢山の仏があることを表しているのでしょう。
でも同じ姿をしているところは、「違うけれど同じである」ことを暗喩しているようです。
どうしてこういう形になったのかわかりませんが、
この地はタイの南方、タイの北方領土、東部のラオス・カンボジア、西部のビルマから
いろんな影響を受けた土地なのだそうです。
だからアユタヤ古墳群にはそれらの影響の痕跡を見ることができるそうです。
アユタヤはこの天高く伸びる形に収斂していったようで、
そしてこの形が今のタイの寺院に影響を与えています。

感覚的ですけど、アユタヤに文明を感じました。
文明の定義はいろいろあるでしょうが、
その本質は、自分と違うものを同一の共同体の構成員として受け容れること、
と言えるでしょう。
これは『大衆の反逆』を書いたオルテガの文明論であります。
オルテガは語ります。
他者との共同生活を可能にするもの、
それは愛とか思いやりとか想像力とか包容力とかいう個人レヴェルの資質ではない。
そうではなくて、公共的な水準におけるコミュニケーション擬制であると。
他者との共同生活を営めるために必要とするコミュニケーション能力のうち
愛とか思いやりとかを個人的資質に依存するのではなくて、
公共的な水準で擬制的に構築するもの、それが文明だとオルテガは言います。
更にオルテガは畳み掛けます。
「手続き、規範、礼節、非直接的方法、正義、理性!
これらはなんのために発明され、
なんのためにこれほどめんどうなものが創造されたのだろうか。
それらは結局文明というただ一語につきるのであり、
文明はキビス(civis)つまり市民という概念のなかに、
もともとの意味を明らかにしている。
これらすべてによって、
都市、共同体、共同生活を可能にしょうとするのである。
文明はなによりも共同生活への意志である。」
このオルテガの文明論は、僕には今までサッパリ理解できませんでした。
でもアユタヤに来て理解が進んだ気がします。
オルテガの理論をアユタヤに当てはめて、
アユタヤが形成された歴史を想像すると、こういう風になります。
「アユタヤには四方から集まってきた色々な文化が混在していた。
この混在する文化に根ざした人民は、
文化内では纏まっても、アユタヤとしては分裂していた。
これを一つに纏めることに思い悩んでいたアユタヤ王朝は、
人民を共通の理念の元に纏め共同生活を営める方法を、小乗仏教に求めた。
小乗仏教の、身を捨てて解脱を目指すその思想性に、共同生活を営む理念を求めた。」
となります。根拠はありませんが、筋は繋がります。
例えば、色んな仏像が同じ姿をしているのも、
一人一人は別だけれども同じ理念を求め共有しているのだ、という意味です。
そういう理念が昇華して、形にして示されているので、
アユタヤ文明は美しくて印象的なのでしょう。

もう一つ、今まで無縁だったオルテガのエリート論が、
小乗仏教を介して理解が進みました。
オルテガは、エリートを次のように言います。
エリートとは、義務についての激しい使命感、
それが「孤独な」少数者にのみ求められていることについての自覚を持っている人です。
エリートにとって「選ばれていること」の特権とは、
他の人々よりも少なく受け取ること、
他の人々よりも先に傷つくこと、
他の人々よりも多くを失うこと、
という「犠牲となる順序の優先権」というかたちを取ります。
正に小乗仏教の修行者の姿と重なるではありませんか。
何故、オルテガはエリートを必要としたのでしょうか。
その理由をオルテガは、野蛮への退行を阻止するためだと言います。
大衆は自己満足、自己閉塞の結果、個人が原子化し砂粒化します。
それが野蛮への退行であり、放っておけば大衆は野蛮に退行する。
エリートはそれを阻止する役を担う、というわけです。

武力を持って人民を抑圧的に統治するのではなくて、
人民よりも犠牲となる順序が優先される小乗仏教者たちエリートの理念を
人民が共同生活を送るコミュニケーションとする文明をアユタヤは築いた、
と僕は仮説してみました。
アユタヤはビルマの進軍によって滅びましたが、
タイ国は今もこの影響を強く受けています。
人々は仏教信仰を持っていますし軍隊はあまり表に出てきません。
文明とは本来そういうものなのかもしれないのに、
普段の我々はそう思わない理由は、
近代文明が余りにかけ離れているからでしょう。
我々の文明でコミュニケーション擬制となっているものは、
多分間違いないと思いますが、紙幣でしょう。
近代文明が終わって別の文明になった500年後の人々が、
今の文明の象徴である紙幣を見て何と思うでしょうか。
こんな紙ペラに感動するでしょうか。
こんな紙ペラを崇めていた人々をどのように思うでしょうか。
つい恥ずかしくなって、想像することを止めてしまいました。







$西川大司のブログ