何かの文章を書こうとしたら、昔は必ず辞書が必要だった。
机の上には国語辞典や漢和辞典、英訳に和訳、古語辞典もあったし類語辞典などもあって、
机の上を陣地と言うなら、その陣地内で辞書はかなりの強国だった。
辞書は何も言わないけれど、
「我輩の助けがなければ君は何もできんだろう」とばかりに堂々と鎮座していた。
そんな辞書の無言の声に僕は反発するどころか、
むしろ分厚い辞書が自分のそばにいつか鎮座している状況を夢想した。
本屋さんの辞書コーナーに行ってなん万円もする辞書に手を触れて
「いつか僕のそばにおいで」と無言で囁いたことがある。
わかりもしないのに白川静さんの字通を手にいれて、
パラパラ適当に開いて楽しんだこともある。
その時の感情を今になって分析するなら、
辞書が僕の「格」を高めてくれるとでも考えていたのだろう。
今はネットが発達しウィキペディアを検索すれば大概のことはわかるし
(正しいかどうかは保証されてはいない、という前置きはあるけれど)
そもそもあの厚くて重い辞書の内容がインターネットで検索できるようになって、
僕は辞書をめくって意味を調べることがなくなり、
辞書は、僕に恨みの一言も陣地を失った敗戦の弁も語ることなく、
僕の周りからいつのまにか姿を消した。
そもそも「字を書く」ということすらなくなったから、
机もなくなった。
(商品分類上の机はあるけれど、
それは小物類入れと小物置き場になった)
このブログもソファーに座って、
片手でiPadを持ってもう片方の人差し指をタッチパネルに触れて入力している。
簡単に修正できるし、どこでも入力できるし、
解らない言葉があってもその場でネットで検索でき
とん挫することもなく文章は前に進むことができるので、
ちょっとした時間があれば入力して文章にすることができる。
機能性で考えたら、
それは文字数という定量的秤で考えたらということと同じことを指すが、
ネットで文章が綴れるようになって機能性が向上し文章文字数が増えた。
それは圧倒的差と言っていい。
400字詰め原稿用紙分の文章を書く時間を、
自筆で書く(字の美しさは問わないとして)時とiPadで書く時とでは
数倍の差がある。
僕のそばに辞書はもういないけど、
文字を埋めていくことは機能的であり苦痛を感じない、
そういう時代に僕はいる。
便利だが、一方で自分の文章が上辺で文字が羅列されているだけのような気分も
時々感じるようになった。
定量的尺度では文章は向上したが、
質という定性的尺度でいうならば、
僕の文章は向上しているとは決して言えないんじゃないか。
誰でも書けるようなことが並んでいるような文章が書きたくて
僕はブログを書いているわけじゃない。
僕の身体性をかけた文章でありたい。
身体性とは、人格や知識や経験、それに美意識をベースとしつつも、
好みや五感を伴う皮膚感覚、それに体を動かすことと連動するような感覚も包含する。
だから僕の身体性は他者のそれとは違っているはず。
身体性という言葉がわかりにくいなら独自性でも、まあ遠くはない。
僕は独自性を求めてなどいないけれど、
自分の身体は一つしかないから結果的に独自性が表に出ることはあると思う。
でも身体性をかけて、本当は汎用性を求めている。
勿論、そんな文章に遠く及んでいないことは自覚してますけど。
身体性は身体をどれだけそのために時間と身体を費やしたかに連動していると思う。
僕の文章に身体性がないのはもしかしたら、
辞書を開いて言葉を探し、その幾つかの意味を読んでどれが今一番相応しいのか
考えるプロセスを省いてしまったことが一つの理由ではないのか、
と考えるようになった。
そしてそれなら、自分だけの字引を作ることにした。
読んだ本の中で気になったところをキーワードと共にアーカイブしていって、
自分の字引を作ろうと思った。
辞書のような網羅性はないけれど、
その字引には僕が感応しキーワードを決めてワードで記録するまでの動作が内在しているので、
間違いなく自分の身体性がある。
その時感応した記録がある。
そこにある言葉の美しさにハッとさせられた跡がある。
それらの言葉が僕の身体の中で種撒かれそれが芽吹いて成長したなら、
僕の文章の何処かで小さな煌めきとなることも期待している。
今回はそんな字引から
小林秀雄と岡潔の『人間の建設』対談集から幾つか紹介します。
小林秀雄氏は有名な文学評論家であり、岡潔氏は有名な数学者です。
対談の話題は多方面にわたり取り止めがなかったように思うが、
たくさんの煌めきがあった。
「文章を書くことなしには思索を進めることはできません。
ことばで言い表すことがなければ人は長く思索はできないと思います。」
は僕がブログを書くことを後押ししているし、
特に理性と愛情の関係はわかっているようで
現実の世界ではこういう評価になっていないことをズバッと書かれていたので、
ハッとした記憶がある。
(現実の世界で理性高い人と愛情深い人のどちらが偉いかと問えば、
多くの人が理性高い人と答えるだろう)

「好きになる」
人は極端に何かをやれば必ず好きになるという性質をもっています。
好きにならぬのがもむしろ不思議です。
好きになると易しいことはつまらんと感じます。
難しいことが面白いということが誰でもあります。

「無明」
人には無明という醜悪にして恐るべき一面がある。
人は自己中心に知情意し感覚し行為する。
その自己中心的な広い意味の行為をしようとする本能を無明という。

「個性」
本当の個性は無明とは違う。本当はもっと奥深くからくるものである。
アメリカという国は、個性を尊重するようでいて実は個性を大事にすることを知らない国です。
だから食べ物に個性がないのです。
「個性」
本当の詩の世界は個性の発揮以外に無いのです。
一人一人個性はみな違います。
それでいていいものは普遍的に共感する。
個性はみな違っているが他の個性と共感するという普遍的な働きを持っている。
それが個人の本質です。
不思議ですがそうです。

「おもしろい」
人は無明を抑えさえすればやっていることが面白くなってくるのです。
丹念に長い間取り扱ってきたものを見ているうちに、
自分の心のほしいままのものがとれることがある。
ほしいままのものがとれさえすれば、自然は何を見ても美しいのではないか。

「調和ある芸術」
絵の調和とか不調和というものに、生理、とくに胃の生理と結びついていると思う。

「制作」
モノを生かすということを忘れて、
自分が作り出そうという方だけをやったら良いものはできない。

「詩人」
発信する人。
本質は直観と情熱。

「勘は知力」
勘は知力です。それが働かないと一切が始まらない。
勘でつかんだものを表現するために苦労するのです。
勘で探り当てたものを主観の中で書いて行くうちに内容が流れ始める。
それが文章であるはずです。

「暗黒時代」
世界の知力が低下すると暗黒時代になる。
暗黒時代になるとモノの本当の良さが分からなくなる。
真善美を問題にしようとしてもできないからすぐに実社会と結びつけて考える。
それしかできないしそうしようとする。
それが功利主義です。

「思索と文章」
文章を書くことなしには思索を進めることはできません。
ことばで言い表すことがなければ人は長く思索はできないと思います。

「情緒」
情緒は人本来のものです。
情緒を形に表すという働きが大自然にはあるらしい。
文化はそのあらわれである。
数学などもつながっている。
形に現れるもとのものを情緒と呼んでいるわけです。

「情緒と形」
いったん形にするともうそこには情緒はなくなっている。形だけが残ります。
情緒がなかったら熱意も起こらないでしょう。
それを情熱と呼んでおります。
言い表しにくいことを言って聞いてもらいたいときは人は熱心になる、それは情熱なのです。
そしてある情緒が起こるについて、それはこういうものだということを直感というのです。
そして直観と情熱があればやるし
、同感すれば触れようとし読むし、
そういうものがなければ見向きもしない、そういう人を詩人という。

「不易流行」
これは歴史哲学ではありません。
不易というのはある動かない観念ではなくて、記憶の力に関してです。
誰でも歴史をを背負っている。
否定したとしても、記憶がよみがえるということがあるのです。
この記憶が何らかの感動を与えたりするということはその人の意思ではないのです。
記憶がそうさせるのです。
そこに立ちかえることを芭蕉は不易と呼んだのではないでしょうか。
本当の記憶は頭の記憶より広大である。

「理性」
愛情には理性が持てるが、理性には愛情は持てません。
理性というものは、対立的、機械的に動かすことしかできませんし、
知っているものから順々に知らぬものに及ぶという働き方しかできません。
僕の父は僕が18歳の時に亡くなったが、母とは今も会話ができる。
母が父と死別してから38年もの間、母は一人で兄弟三人を支えてくれ、
僕ら3人を褒めてくれる。
その母の米寿の祝いを、金沢近郊にある湯涌温泉という場所で、
母の子孫たちが集まった。
僕ら子供とその妻、孫と結婚した孫のパートナー、
それとひ孫がいて、母と17人の子孫だ。
この会を企画したのは二人の兄で、僕は何の手伝いもせずに宿にやってきた。
日頃の母の面倒見も兄たち家族に任せていて、本当に兄たちには申し訳ないのだが、
宿に着いた僕をみんな温かく迎えてくれた。
米寿のお祝い会は長男の挨拶と謡曲から始まった。
兄はこの会が決まった時に自分に何ができるかを考えた結果、
謡曲を謡うと決意し先生に習い始めた。
金沢は謡曲を習う人が多い街だが、
父が謡曲が好きだったことも影響しているかもしれない。
長兄はしっかりした声を出すので、
謡曲によってこの会がちゃんとした会であると言う雰囲気ができた。
ただ飲み食いして隣どうしがしゃべっているだけではこういう雰囲気は出ない。
長兄の頑張りのおかげだ。
次兄は母と父が結婚し今日までどういう生活をしてきたのか、
母と父とそして僕たちの小さな物語を語った。
自分たちの妻も知らないこと、
孫や孫のパートナーにとってははじめて聞くことを話した。
今日の主役がどういう人生を歩んできたのか、
日頃母との接点が薄い人たちも知っておいた方が良いと次兄は考えたようだ。
この物語のことは宴会前に3人で和んでいる時に聞いた。
すでに印刷されていたものを読むと、
母のことより父のことが多く書いてある。
どうして?問うと、次兄は
「親父の人生を明らかにすることで母の人生がわかるんだよ」と言う。
そういうもんかなと思いつつも、
「それにしても半分は母さんのことじゃないと始めて聞く子たちには不自然に
聞こえると思うよ」ということになり、
三人でこういうこと、ああいうことがあったと加えていった。
最初は記憶がぼんやりしていたのだが、誰かがきっかけを見つけると
それがフックになって胸の奥にしまわれていた記憶が呼び出されていった。
それにしても、母の会で父のことを話そうとするなんて、
僕らはやっぱファザコンだよ。
次兄が小さな物語を披露して会は益々盛り上がってきた。
この会の年齢幅は88歳の母が最年長で、
最年少は生後10ケ月のひ孫と広い。
その中でそのひ孫と母に今日は一番視線が集まっていたと思う。
僕は集まった人たちから、一人一言を言ってもらうために
インタヴュアーの役を請けたまった。
白いおしぼりをマイクに見立てて、
それを受け渡ししながら一人一人に母(義母であり、おばあちゃんであり)への
祝言を言ってもらった。
祝言が何層にもなって、それに全員参加の会になったので、会はさらに良い空気になった。
その場に集まった人の手のぬくもりを集めたおしぼりを母に渡した。
最近の母は以前から比べると口数は減ってきているが今日は元気だ。
会が始まってから何度も何度も感謝の言葉を言っていたが、
改めて感謝を述べた。
二次会は年寄りグループと若者グループに部屋を別けて、
年寄りは幾つもの昔の写真を見ながら回顧を楽しみ、
若者はゲームで楽しんだ。
翌日はゆっくりした朝食を楽しみ、
午前で米寿の会を終えた。
僕ら兄弟は「とても清々しい気分で、やって良かった」という思いを共有した。

結婚式のようにとても幸せな人の周りに集うと、
幸せ気分が伝染し周りの人たちも幸せな気分になる。
今回はそういう集いでは無いが、清々しさはそれよりももっと強かったと思う。
特別に幸せな人がいたわけでは無い。
母もこの会で元気さを発揮していたけれど、
それでも自分の老いも抱えていた。
(痩せた体を見せたくないと言って温泉に入ろうとしなかった)
集まった人たちも不幸な人はいなかったと思うが、
問題が無いというわけではないと思う。
この会の清々しさはある人が作り上げたのではなくて、
一つの仕掛けが作り出したものだったのだ。それに今気づいた。
それは祝福というものだ。
ある本で祝福について書いてあることを抜き出してみる。

祝福とは叙景の歌である。
山が高い、森が深い、水が流れている、景色を細かに記述することである。
鳥がさえずっているとか花が咲いているとかを並べることである。
万葉集にある「国誉め」のスタイルが祝福である。
目に見える一つ一つのものを「その名でいう」ことが祝福である。
別にことごとしい形容詞を並べ立てる必要がない。
讃える言葉が無くても、
そこにそういうものがあると言い切るだけで祝福として聞き取られる。
祝福という行為は名付けるという行為に集約できる。
名前を付け歌に歌ったら固有の厚み、存在感が出てくる。
それは単なる記号じゃなくなる。
祝福とは良いことが起こることを願うことではなく、何もないこと(障りがないこと)を願うこと。
祝福とは古代中国の「譜」の系譜にある(『呪の思想』白川静・梅原猛)。
呪いが記号的、汎用的、集合的である一方で、
祝福はその逆である。
それは記述であり、列挙でありエンドレスである。
祝福は複式夢幻能のたぐいである。
祝福に評価はいらない。

米寿の会を振り返ってみると、
長兄が謡った謡曲はまさに複式夢幻能の祝福の装置だったのだ。
次兄が話した小さなものだ物語は、母誉めの祝福だった。
みんなが一言言った言葉も祝福だった。
誰も示し合わせて話をしたわけではないので、
各自の言葉の間に脈絡はなくて
言葉の羅列でありいつ終わるというものではなかった。
僕らは知らぬ間にこの会を祝福で埋め尽くし、
この会から清々しさという贈り物をいただいた。
僕らが祝福されたような気分になった。
現代は、人が集まって話をすると一つの結論を出すことを
無意識的に強制されている。
言語的に言うなら、それは記号的であり汎用的に
集約することを暗黙強制されている。
そんな集会は、知らないうちに疲れをもたらす。
でも現代は、社会と個人が二極化した現代では、
目的もなく人が集まるという設定そのものが困難を伴う。
前にも書いたが、人々は功利的に考える癖がついてしまっていて、
「何のために?それって自分にとってどういう意味がある?」
と発想するからだ。
そういう人々を集めるためには、
会の目的を設定せざるを得なくなる。
祝福が、記号的、汎用的、集合的であることの逆というなら、
名前や叙景の羅列で会が成り立つものには何がある?
その一つが今回のように親族が集まることだ。
それも弱者を共にした集まりがいい。
(老いた母やはいはいしかできない幼児がいたように)
弱者をいたわる集団であることで、
その集団を引っ張るリーダー性が薄まる。
目標に向かう動性は無いが、優しさが前面に出る。
親族が集まりそこで叙景的なことを述べ続けること、
記号的なことではなくて(こうすれば儲かるとか、
この政治はあかん、とかじゃなくて)
名前や生きてきたことを述べるだけでその会は開放系になり、
そこに集った人は清々しく、
風が吹き渡ったあとのような開放感が訪れる。
それは問題を抱えながら生きていかなければならない現代において、
一つの緩衝帯に身をおいたような安らぎであり、
空を飛ぶ鳥が一服の休息のために降りた止まり木のようだ。
現代を生きる僕たちにとって
改めて祝福の大事さ
祝福が多層的に織りなす集合の大切さ
緩衝帯となるコミュニティーの必要性に思い至った。













ワールドカップアジア予選の日本ーオーストラリア戦は
後半戦の半分を過ぎて両チーム無得点という状況で、
「この試合を引き分けてもワールドカップ出場は勝ち取れる。
なので、このまま引き分けでもしょうがないかな。」
という気持ちが芽生えはじめていた。
ところが試合終了まで残り時間がわずかというところで、
ドリブルで抜けたオーストラリア選手が左翼から蹴り出したセンタリングと思しきボールが、
あってはならないことに、
ゴールキーパー川島の頭上を超えて日本のゴールネットを揺らした。
自宅のTV前で応援していた僕は(おそらく同じ時間にこの試合を見ていたほとんどの日本人は)、
血の気が引いて行った。
それでも何とか1点を取り返さなければと気を引き締めるものの、
残り時間も少ないし、負けを覚悟しなければいけないかと、
少しずつ少しずつ心の整理も行っていたその時に、
本田選手の蹴ったボールをオーストラリア選手が
何とペナルティエリア内でハンドのファールとなった。
(テレビから見る限り自らハンドをしに行ったようにも見えるほど奇跡的なこと)
本田選手がペナルティキックをしようと準備している時に僕は、
本田選手のPKの癖は多分読まれていると思う、
だから頼むからど真ん中には蹴らないでくれよ、と願っていたが、
本田選手は僕の心の忠告など一考することもなく、
ど真ん中に蹴った。
オーストラリアのゴールキーパーが横っ飛びした。
本田選手のボールはゴールネットを激しく揺らした。
1点取った。同点になった。
奇跡だ。
めでたい!
そして、オーストラリア戦を劇的な引き分けで終えて、
日本は来年のワールドカップブラジル大会出場の切符を手に入れた。
よくやった。
めでたーい!
ハラハラした分、勝利の喜びのボルテージは上がる。
そのボルテージは自宅のTVで見ているよりも、
スポーツバーや各地のスタジアムや国立競技場で観戦応援していた人の方が
はるかに高い。
そういう状況においては喜びの感情を自己制御できなくなって、
時として公共ルールを無視することがある。
公共視点から見れば、妨害行為となるようなことをする人たちが大勢出てくる。
その妨害行為を統制しようとする警察隊と
喜びの表現に規制をかけられたくはない人々の間で、
小競り合いや時にもみくちゃが起こる。
そしてさらにもっと熱くなれば、補導されたり逮捕されたりすることもある。
いつからかはわからないが、そういうことが重要な試合の後で起こるようになった。
国立競技場から出てきた喜び勇んだ集団とそれを統制しようとする警察が
相対峙するホットポイントが、渋谷の駅前交差点だ。
ところがこの日は一人の警察官のマイクによる誘導の甲斐あって、
トラブルは起きなかった。
おお、めでたーーい!

警察官の誘導は翌日のニュースで知ったが、
彼の誘導が日本チームのワールドカップ出場に喜ぶ集団の
気持ちを和ませ伝わっていることは、ビデオからでも見て取れた。
警察官のことはツイッターなどで伝えられ、
DJポリスというニックネームを命名された。
「みなさんは12人目の選手です、ルールを守りましょう」
「お巡りさんさんだって、日本を祝いたい。みなさんと気持ちは同じです」
ということを話していた。
その画像を見て僕の胸が少し熱くなった。
日本もまだ捨てたもんじゃないかも、と思った。
その時渋谷交差点にいた若者たちも彼らの琴線に触れたのだろう。
DJポリスのマイクトークがどのように若者達の琴線に触れたのか、
それを僕なりに書いてみようと思う。
内容は日本人の深層心理で起こっていること、
そしてキーワードは喪失の発見、だ。
現代日本は中間と言われるいろんな曖昧な集団や組織、
それらは共同体(=コミュニティー)と位置づけられると思うが、
崩壊し喪失した。
中間共同体は、地域レベルで見れば町の青年団とか寄合とかにあたり、
親族レベルでみれば家族とか親類の集まりや付合いなどがある。
大きな社会と自分との間に、
もう一つ中間的に存在していた共同体のことを指す。
1980年代から町の青年団のような曖昧な団体は急速に消失し、
核家族化により親類付き合いは疎遠となり
又家族内の絆は希薄化した。
個人は、地域に縛られることを嫌い、自分の自我や個性を主張した。
その結果、中間共同体が喪失しただけでなく、現代日本はいろんな切り口で社会が二極化した。
お金をたくさん持っている人と、わずかなお金しか持っていない人たち。
官僚を代表するように強固な社会システムの中に組み込まれた人たちと、
一大衆の一人としてしかカウントされない人たち。
権力サイドと、自分の体を提供してその分の見返りを受け取るだけの被権力サイド。
二極化した社会が日本人のメンタリティにも強い影響を及ぼした。
社会構造は人間構造を模して構造化されるものだが、
実はその人間構造もその人が属する社会構造の影響を受ける。
そういう相互影響の関係性を社会と個人は持つ。
社会の二極化が日本人の自我に影響したことにより、
個人は自分の中の中間的なもの喪失した。
権力や情報や資本は脳に集中し、身体はただの機械のようなものに成り下がった。
脳は命令するもの、体は命令されて動くだけのもの、という風に役割が分離された。
それは心と体が別物として自分自身を認知するような構造になったと言えよう。
ところが日本人は、ごく一部の人を除いて、
心と体は別物という観念を持ったことがない。
むしろ心と体は一体のものという観念を受け入れる体質の方が強かった。
心と体を一体と考えるためには、両者を繋ぐ緩衝帯が必要となる。
心理学者河合隼雄さんは、日本人の深層構造の中心には空なるもの、
と言っているが、それは曖昧で緩衝帯のような役割を果たしていると僕は考える。
キリスト教のような中心教義を持たず、
宗教は嫌うが信心は誰も疑わない
(だって結婚式も葬式も初詣も何も疑わずやっているでしょ)日本人は、
深層心理の中心を空にすることでバランスをとって心身の健全を保ってきた。
ところが、その緩衝帯、曖昧なもの、中間的なものが、なくなってしまった。
その結果、1980年代以降に思春期を迎えた日本人は、
自分が何者なのかわからなくなっていった。
「自分探し」という言葉が一般用語として確立していった。
自分探しの旅に出ます、と誰かが言ったとしても
誰も不思議がらない社会、それが今の日本だ。
普段の生活では自分とはいかなるものなのか確信が持てないということであり、
社会にあって多くの人と接していても喪失感を拭えず、
自分のアイデンティティーが分からない。
そんな気持であるならば、いろんな先輩とか同僚とかと付き合えば良いではないか、
地域の集いに参加すれば良いではないか、
と中年以上の人々は付き合いの悪い若者達に不満を持つが、
これが若者にとってそう簡単にできることではない。
今の若者はいろんなことを功利的に判断することを、
周りの人や学校教育で小さな時から刷り込まれてしまっている。
だから先輩や上司から誘われた時に、
付き合うことにどれほどの功利的意義があるのか、
考えないわけにはいかない。
そういう思考をするようにプログラム化されている、と言って良いほどだ。
功利的に考えた結果、そういう曖昧な付合いはできないので、
個人は社会と自分という二極構造化に自ら追い込まれていくしかない。
その結果の喪失感であり、自分探しとなる。

自分を見出す一番の方法は、
実は「捧げる」ことだ。
自分を捧げることで、自分がわかる。
捧げて傷を負えば、痛みがわかるように、
そこに自分が間違いなくあるということがわかる。
キリスト者の受難は何故キリスト者にとって幸せであるのと
同じ構造になっている。
日本人の若者は彼らの意思はどうかはわからないが、
深層心理的には自分を捧げ自分を見出す場所を探している。
その一つが日本チームを応援することになる。
日本のチームが国対抗の試合を行う時、
日本チームを応援することは取り敢えず簡単に
自分は日本人なのだというアイデンティティーを感じることができる。
普段は日の丸の国旗を見ても何も感じない人でも、
勝利の日の丸の掲揚の時はちょっと胸が熱くなる。
サッカーの日本チームを応援する時も、
自分が日本人だということを実感する。
そこには老人と若者の区別はない。
そして日本人が日本チームを応援することは、
功利的に考えても正しい行為だ。
しかし若者にとって日本チームを応援する深層心理は、
老人のそれより切実だ。
自分を捧げることで、日本チームが勝つかどうかに強い影響を及ぼす。
もっというと、日本チームが勝ってくれるならば、
自分を捧げることは厭わないと(深層心理では)考えている。
彼らは真剣に「代表チームの12番目の選手」なのだ。
DJポリスさんが「みなさんは12人目の選手です、ルールを守りましょう」と語った時、
12番目の選手に彼らは共感した。
自分のことをわかってくれている、と自らのアイデンティティーは充足されたに違いない。
共感は親しみにつながるから、この時点で若者たちはDJポリスさんにシンパシーを持ったに違いない。
その上に、「お巡りさんさんだって、日本を祝いたい。みなさんと気持ちは同じです」と語った。
これは権力側と大衆側を繋ぐ言葉であり、中間的な発言だ。
若者が喪失して自分を見出せていなかった原因となった中間的な言葉に、
彼らの深層心理が求めていた求めていたものを無意識的に見出した。
それがDJポリスさんが一夜にして若者達の間を瞬く間に伝わった原因だ。
深層心理の中で失ったものをDJポリスさんに見出したのだ。
だから、若者は強く共感した。
以上が僕の筋立てだけれど、わかっていただけたでしょうか?