今日でソチオリンピックが終わるんだね。
二週間前に大会が始まって、日本人選手たちは頑張っているのだけれど
なかなかメダルに届かなかった。
メダルを期待していた気分が萎みかけていた頃に、
平野歩夢、平岡卓君の、十代の二人の男子がそのムードを打破してくれた。
あっけらかんとした感じが、それまでの気分を変えたと思う。
そこからは、毎日メダルのニュースがあり、イケる気分になった。
僕たちに最高の贈り物をくれた羽生結玄くん、
団体ジャンプの四人とラージヒルの葛西紀明さん、
ノルディック複合の渡部暁斗さんに、
スノボ大回転の竹内智香さんにスキーハーフパイプの小野塚彩那さん、
みんなありがとう。
でものオリンピックの後半になって、
メダル以上の感動を、
トップアスリートたちは僕たちに与えてくれたと思う。
オリンピックの魔物という言葉がにぎわった。
それは、協議会場の雰囲気が醸し出すものかもしれないし、
選手の内面の重圧なのかもしれないし、
僕たちやマスコミの必要以上の期待が作り出すものかもしれないが、
多分これらの相乗作用なのだろう。
だから、ワールドカップや世界選手権では実力を発揮できるトップアスリートが、
その圧力に苦しむことになる。
オリンピックの魔物は全てのトップアスリートにかかってくるのだろうが、
アスリートによってその重圧に差があるところは、
その選手が自分にプレッシャーをかけるタイプか否かということと、
周りの期待を背負いこむタイプか否かというところにあるのだろう。
女子スケートのキムヨナ選手を外目から見る限り、
(彼女の内面は本当のところはわからない)
自分にプレッシャーをかけるタイプに見えず、
又周りの期待を背負いこむようにも見えない。
浅田真央選手の、信じられないショートプログラムの成績に、
日本国民の誰もが大きな失意(失望ではない)を味わった。
しかし、彼女はその翌日のフリーの演技では一転して
素晴らしい演技を行い、僕たちに大きな感動を与えてくれた。
浅田選手の二日間の演技は、メダル云々とは次元の異なる記憶になるのではないか。
演技後に茫然としている真央ちゃんを見る限り、
次のフリーの演技もかなり厳しいものになるのではないかと危惧された。
それでも多くの真央ちゃんファンは眠い目をこすりながら、
真央ちゃんの復活を信じて、そして少しでも真央ちゃんを応援するために、
テレビの前で応援を送った。
僕たちは真央ちゃんを通して、
オリンピックで競技することの重圧と、苦悩や絶望、
そしてそこから復活する精神力と類稀なる実力というものの価値に気づかさせてもらった。
真央ちゃんは多くの人たちに恩返しができたとコメントしたが、
僕たちの方が多くのものを貰った。
浅田真央を知らない日本人はいないと言って良いほどの知名度抜群の真央ちゃんは、
アイドル以上に人気があると思う。
その真央ちゃんがオリンピックでやり遂げたことは、
強く僕たちの脳裏に焼き付いた。
何度も何度もオリンピックにチャレンジする人が注目されたオリンピックでもある。
葛西紀明さんは、自身の銀メダルではどうも達成感は満たされなかったようで、
次のオリンピックで金メダルを狙いたいと言う一方で、
それぞれ順風でなくオリンピックに臨んだ四人で獲得した銅メダルに、
感極まって涙した。
彼の発言からは、葛西さんにとっての金メダルというのは一つの象徴であって、
そこに向けて努力することを求めているようにも聞こえた。
上村愛子さんは、残念ながらメダルに届かなかったけれど、
爽やかな気分で5回目のオリンピックを終えた。
葛西さんと上村さん、それに何と言っても真央ちゃんの競技への真摯さに、
僕たちのオリンピックに対するマインドが変わっていくような気がする。
嘗てオリンピックは「参加することに意義がある」と言われていた。
そこには、スポーツのアマチュアリズムを守る意思があった。
ところがオリンピックが商業的色彩を強くし、
競技もどんどんプロ化する流れの中で、
メダルが全て、勝たなければ意味が無い、という風潮がとても強くなった。
一人の選手をオリンピックに送るにはたくさんのお金がかかっているのだから、
メダルを取ってくれなければ困るという、
功利的思考が支配した。
しかし、今回のオリンピックでこの流れに変化が出てくるのではないか。
メダルの重要性は衰えるわけではないが、
メダルが取れなくても、
技術を磨き他者に抜きんずるために努力すること、諦めないことが超一流であれば、
それはトップアスリートとして僕たちを鼓舞するエネルギーを与えてくれる。
競うことの意義とは本来そういうことだということに、気づいたからだ。
二週間前に大会が始まって、日本人選手たちは頑張っているのだけれど
なかなかメダルに届かなかった。
メダルを期待していた気分が萎みかけていた頃に、
平野歩夢、平岡卓君の、十代の二人の男子がそのムードを打破してくれた。
あっけらかんとした感じが、それまでの気分を変えたと思う。
そこからは、毎日メダルのニュースがあり、イケる気分になった。
僕たちに最高の贈り物をくれた羽生結玄くん、
団体ジャンプの四人とラージヒルの葛西紀明さん、
ノルディック複合の渡部暁斗さんに、
スノボ大回転の竹内智香さんにスキーハーフパイプの小野塚彩那さん、
みんなありがとう。
でものオリンピックの後半になって、
メダル以上の感動を、
トップアスリートたちは僕たちに与えてくれたと思う。
オリンピックの魔物という言葉がにぎわった。
それは、協議会場の雰囲気が醸し出すものかもしれないし、
選手の内面の重圧なのかもしれないし、
僕たちやマスコミの必要以上の期待が作り出すものかもしれないが、
多分これらの相乗作用なのだろう。
だから、ワールドカップや世界選手権では実力を発揮できるトップアスリートが、
その圧力に苦しむことになる。
オリンピックの魔物は全てのトップアスリートにかかってくるのだろうが、
アスリートによってその重圧に差があるところは、
その選手が自分にプレッシャーをかけるタイプか否かということと、
周りの期待を背負いこむタイプか否かというところにあるのだろう。
女子スケートのキムヨナ選手を外目から見る限り、
(彼女の内面は本当のところはわからない)
自分にプレッシャーをかけるタイプに見えず、
又周りの期待を背負いこむようにも見えない。
浅田真央選手の、信じられないショートプログラムの成績に、
日本国民の誰もが大きな失意(失望ではない)を味わった。
しかし、彼女はその翌日のフリーの演技では一転して
素晴らしい演技を行い、僕たちに大きな感動を与えてくれた。
浅田選手の二日間の演技は、メダル云々とは次元の異なる記憶になるのではないか。
演技後に茫然としている真央ちゃんを見る限り、
次のフリーの演技もかなり厳しいものになるのではないかと危惧された。
それでも多くの真央ちゃんファンは眠い目をこすりながら、
真央ちゃんの復活を信じて、そして少しでも真央ちゃんを応援するために、
テレビの前で応援を送った。
僕たちは真央ちゃんを通して、
オリンピックで競技することの重圧と、苦悩や絶望、
そしてそこから復活する精神力と類稀なる実力というものの価値に気づかさせてもらった。
真央ちゃんは多くの人たちに恩返しができたとコメントしたが、
僕たちの方が多くのものを貰った。
浅田真央を知らない日本人はいないと言って良いほどの知名度抜群の真央ちゃんは、
アイドル以上に人気があると思う。
その真央ちゃんがオリンピックでやり遂げたことは、
強く僕たちの脳裏に焼き付いた。
何度も何度もオリンピックにチャレンジする人が注目されたオリンピックでもある。
葛西紀明さんは、自身の銀メダルではどうも達成感は満たされなかったようで、
次のオリンピックで金メダルを狙いたいと言う一方で、
それぞれ順風でなくオリンピックに臨んだ四人で獲得した銅メダルに、
感極まって涙した。
彼の発言からは、葛西さんにとっての金メダルというのは一つの象徴であって、
そこに向けて努力することを求めているようにも聞こえた。
上村愛子さんは、残念ながらメダルに届かなかったけれど、
爽やかな気分で5回目のオリンピックを終えた。
葛西さんと上村さん、それに何と言っても真央ちゃんの競技への真摯さに、
僕たちのオリンピックに対するマインドが変わっていくような気がする。
嘗てオリンピックは「参加することに意義がある」と言われていた。
そこには、スポーツのアマチュアリズムを守る意思があった。
ところがオリンピックが商業的色彩を強くし、
競技もどんどんプロ化する流れの中で、
メダルが全て、勝たなければ意味が無い、という風潮がとても強くなった。
一人の選手をオリンピックに送るにはたくさんのお金がかかっているのだから、
メダルを取ってくれなければ困るという、
功利的思考が支配した。
しかし、今回のオリンピックでこの流れに変化が出てくるのではないか。
メダルの重要性は衰えるわけではないが、
メダルが取れなくても、
技術を磨き他者に抜きんずるために努力すること、諦めないことが超一流であれば、
それはトップアスリートとして僕たちを鼓舞するエネルギーを与えてくれる。
競うことの意義とは本来そういうことだということに、気づいたからだ。