ゴールデンウイークが終わりましたね。
前半は帰省し、中間でゴルフで芝生の上や砂場を歩き、
後半は自宅で二度料理を作りました。
ええ、料理は楽しい。
ゴールデンウイークに自宅、と言うとパッとしない感じだけれど、
いえいえどうして。
今、料理にはまっています。
二年前からパスタ作りに勤しんできましたが少し飽きが来た時期に、
「キチッとした料理を作りたいな」という思いが強くなって、
今は、和食に、中華、それにイタリアン主体の欧州系料理を順番に取り組んでいます。
料理初心者なのに、どうしてそんなにいろんな料理に取り組むのかと言うと、
僕は一つの事に集中して取り組む、ということが苦手なのです。
だからそば打ち一筋という風にはなりません。
それに人生57年も生きてきたのでそれなりに食経験があって、
どうしたって「これも作りたい、あれも作りたい」となってしまいます。
自分でも収拾がつかないので、
それじゃあ和中欧を順番に作るというルールを設定して、
飽きがこないようにしているのです。

あっという間に、料理本が10冊を超えました。
包丁も、5本になりました。
それを見つつ、週末に何を作ろうかとウィークデーにメニューを固めて、
週末に買い物に出かけて食事を仕入れて、
午後は料理です。
さっさとメニューが決まらないのが僕の特徴の一つで、
料理本を見ているとイメージが羽ばたいていってしまうところを、
現実の料理にするために抑制を利かせることが、
自分の中でちょっとした葛藤になってます。
そんな無駄を減らすために、
メニューを考える前にテーマを決めるようにしています。
例えば、今週は和食の中でも天ぷらにしてみよう、とか、
中華なら蒸し料理を入れてそれに会う炒め物を一品入れよう、とか。
メニューを決めても、
実際にスーパーやデパートで売っている食材によっては料理の内容が
変わってしまうこともあります。
決めたことを簡単に変更してしまうのも、
やっぱり僕らしい。

一回の料理で3品から5品作ります。
因みに昨日は天ぷらでした。
それに、刺身とサラダと味噌汁とご飯。
『天ぷらの全仕事』という豪華な本を参考にしました。
まずは鍋などを買いに行きます。
難波の道具屋筋に行き周辺道具などを買い、
5本目になる菜切り包丁も買い、
そして高島屋デパートの地下の食品売り場で食材探し。
車海老とさつまいもをゲットし、
桜海老を見っけ、それに季節の野菜やイカを仕入れました。
サラダは『サラダ・バイブル』の中の一品を作ります。
ドレッシングを作り、野菜を調理します。
イカを捌いて、結構もたついて妻にSOSし、刺身と天ぷら具材に分けます。
天つゆを作ります。
味噌汁を作ります。
天ぷら用に野菜を切り分けます。
海老を仕込みます。
結構ヘトヘトになります。
後は一品ずつ揚げて行きます。
そして食べて、満足。今回は比較的イメージに近い料理になりました。

でも、全てが順調に美味しいとはなりません。
時に家族の顔が曇り、僕も落ち込みます。
家族には笑顔で食べてもらいたいのは山々ですが、
それはそれで、ご愛嬌と考えています。又そうだからこそ次へとつながります。
うまくできなかったところを反省し、改善点をまとめておくのです。
こういうところは、料理は科学の実験にも似ています。

一番辛いことは、炊事場で料理していると、
足が疲れてくること。
普段は座って仕事をしているので、
長く立っていられないのです。
もっと体重を減らさないといけない。
立つことで少し痩せた気もするし。
食べながら痩せる、
これを実現するのが料理だと言ったら、
みなさん信じる?


韓国の大きな客船が転覆した。
転覆して仰向けになった船底の一部が海面から海上に出ていた。
そのことは、転覆した船内に空気が残っている証なので、
生存者がいるのではないか、との希望をもたらした。
客船に乗っている人たちの家族にとっては、
生存者がいるに違いない、我が子は生きているに違いない、との思いになった。
家族がそういう思いを持つことは自然なことだ。
客船には、高校生というまだ若い、
これから人生の航路に出る前の希望に満ちた人たちが270名ほど残されている。
韓国は大きな衝撃に包まれた。
人から聞いた話だが、韓国はイベントも中止し、
テレビでもバラエティなどの娯楽番組は自粛しているそうだ。
そしてニュースから流れてくる映像は、
家族と思われる人達が関係者を非難する強いアクションがほとんど。
韓国の人々が他者を非難する時の激越ぶりは、
日本を責める時などで何度も目にしている。
今回もその延長線上で見て取れるので特段の驚きはない。
でも、その映像が流れているうちに時間は刻々と過ぎて行く。
希望をもたらしたあの船底も、いつの間にか海の中に沈んでしまった。

一体全体、海難救助部隊や政府は何をしているのだろうか?
潜水士が船内に入ろうとしたり、
転覆した船の下側、つまり船の甲板あたりから、
空気を入れようとはしている。
しかし天候も悪く潮の流れも早いために、
救助作業は遅々として進んでいない。
朴大統領(と思われる女性)が事故現場付近を視察しているような映像が流れたが、
声明を発することもない。
日本政府は救助支援を打ち出しオバマ大統領も支援表明を行った。
だが韓国政府はこれら援助支援を断っているそうだ。
韓国政府は、支援を断るのに人命を救助するるための
目に見える自力行動を行っていない。
大型クレーンで船を浮上させる作戦を進めているが、
浮上までに1ケ月以上もかかるもので、
これでは全員の命を見捨てることにならないか。
人命救助という視点が欠けている気がするのは僕だけだろうか?

事故の初期段階で海外の支援を断ったということは、
東北大震災発生時の福島原発事故で菅・民主党政府も同じ行動をした。
民主党政府は大丈夫、大丈夫と言って具体的行動をしなかった。
今の韓国政府と民主党政府は、
具体的行動をしないという点で同レベルということになる。
当時の菅首相は関係者を怒鳴り散らすだけでリーダーシップを発揮しなかったが、
僕大統領も政府内で怒鳴り散らかしているのだろうか?
だけど、日本には自衛隊の事故救助という仕組みがあり、
大量のマンパワーと強力な機器を使って
倒壊した家屋に閉じ込められた人たちの救助が行われた。
残念ながら韓国にはこの仕組みがないようだ。
政府内では様々な討議が行われているのだろうと思うが、
その討議が結果として現状を打開できないようにしてしまっているのだろうか?
危機にあって行動の方向性が明確になっておらず、
結果として人命を後回しにするかのような選択をしているように見える。

大型客船転覆を題材にした小説、映画がある。
『ポセイドンアドベンチャー』というもので、
1970年代初期の大流行し、パニック・映画という言葉を生んだ。
転覆した豪華客船に多くの人々が閉じ込められた。
そこに牧師がいて(名優ジーン・ハックマンが演じた)、
彼は転覆した船から脱出するために人々を導く。
彼の導きに従わない人たちも大勢いる。
牧師のリーダーシップは、ある信念によって行動決定されていた。
彼は何度も苦難に遭遇し、その度に前進すべきか留まるべきか、
後退すべきかの選択に迫られるが、
その場面場面で彼は常に前進を選択した。
このことを映画評論家の荻昌弘氏は、
「そこにとどまるか前進するかといった時、必ず前進する方を選ぶ。
しないかするかといったときは必ずする方を選ぶ、
こうした考えがこの物語を力強いものにし、
私たちを励ましてくれるわけなんです」と語っている。
映画では最後の最後で人々を救助するためには、
誰かが犠牲にならなければならない状況に遭遇する。
牧師を突き動かしてきたものは、
強烈な自我だったのだが、最後の最後で自己犠牲を選択する。
よくよく考えると、こんな牧師がいるとも思えないのが、
それでもいそうな気にさせるのは、
牧師はアメリカ人のロールモデル、アメリカンスピリッツそのものだからだろう。
9.11の時に人命救助のために活動して自分の命を犠牲にした人たちもいたということだから、
アメリカ精神とはこういうものだと言って良いのではないか。
危機に遭遇すると、人は持って生まれた資質や精神で行動する。
それが国民レベルになると、国民精神という形になって顕れる。
良い悪いということを言っているのではない。
常に前進するという行動が、生き残るとは限らない。
時によっては留まったり後退した方が良い場合だって必ずある。
でもそういう理性的行動が取れないのが、
危機の差中なのだ。
危機にあって前進を選ぶということがアメリカ人の精神なら、
日本人は不幸を受け入れつつも回復に向けて少しずつ行動を起こす。
一人で行動を起こすというよりも、
寄り集まり助け合うことで危機から脱する道を探す。
アメリカ精神に比べれは力強さは欠ける。
アメリカがもみの木のような大木に例えるなら、
日本は柳の木に似ている。
柳は強い風に曲がるけれども、折れることはない。
では韓国人はどういう行動を取るのだろうか?
今のところ見えるものは、
コケンを気にし、やったことがないことはしない、
どう行動するのかと問われた時にだんまりを決め込むように見えるのだが、
本当のところは今後の韓国民と韓国政府の行動を見て見なければわからない。
事故が起きてもう5日ぐらい経ったはずだ。
初期のパニックから抜けて落ち着いた思考ができていい頃だ。
可能性が残っているうちに一人でも多くの人命を救うためにできることを、
見栄も外聞も一旦横に置いて決断し行動してもらいたいと願うばかりだ。

小保方さんの記者会見後の報道を見ていると、
この問題の主題から注目点がますます違った方に向かっている気がする。
この問題の主題はSTAP細胞があるのかどうかであり、
そして小保方さんはSTAP細胞を生成できたのかというところにある。
この問題について言うと、小保方さんは分が悪い。
論文に従って世界のあちこちで再現実験を試みているが、
誰も成功していない。
そして自分がSTAP細胞を生成したこと証明していない。
更に小保方さん自身が科学者としての自分は未熟だったと認めている。
これらのことから、小保方さんは分が悪いのだ。
でもSTAP細胞がないということを証明することは、不可能だ。
まして、小保方さんが「STAP細胞はあります」と言い続ければ、
ネイチャーに掲載された論文がある以上、合理的決着はできないことにある。
そうであるなら、小保方さんなり他の科学者が新たな科学的事実を提示されるまでは、
小保方さんの主張を信じるか信じないかということに焦点が当てられる。
マスコミもここに話題を持ってきている。
大雑把に言うと、女性は厳しい見方をしているようだし、
男性、特にオッさんは、包容力を匂わせるような見方をしている。
僕も、オッさんの一人なので、小保方さんをバッサリと切るようなことはしないのだが、
でも評価というものはできるだけ客観的事実をもって行うべきだぐらいは思っているので、
小保方さんの言うことを信じることはできない、
と思っている。
ただしSTAP細胞が存在したらいいなと期待もしているので、
「STAP細胞は無い」とは言わない。

オッさんが小保方さんに包容力を示そうとするのは、
オッさんは"小保方さんは健気に頑張っているじゃないか"という「心象」を持つからだ。
これは小保方さんの科学者としての実力とは別の見方であり、
(だってオッさんは科学者としての実力を全く評価できない)
男の鼻の下がのびたり、目尻が下がったりすることも踏まえて、
実力以外のものを評価しているからとなる。
それを虚力と言おう、とコメンテーターの小田嶋さんは言う。

マスコミは、今回の事件でもそうだし他のニュースでもそうだけど、
事実や実力をきちんと評価することに興味を失っているように見えるし、
ますます実力以外のことに注目してそれを笑の話題にしたり、
避難のネタにしている。
それはワイドショー的であり芸能レポーター的である。
芸人であれば、実力以外の視点で笑を取るのは彼らの実力なのだが、
それを真似て話上手になろうとしている一般人は知らず知らずに、
実力を正しく評価する力が身につかず、寧ろ虚力に関心を持つようになる。
それは、自分の実力をつけることよりも、
女子力をつけましょうというような女性雑誌に見られるような指導を
真に受ける若者を強化する。
世の中は、真実や事実や実力よりも、
どう評価されるかということが重要視される流れにある、ことは僕も認める。
ブログや評価サイトで、料理屋さんを点数評価することもこの流れを強化してるんじゃないか。

虚力を身につけることがいけないわけじゃない。
人が生きていく上で、人との関わりはどうしたって必要だ。
実力があればそれで済むというものでもない。
愛想も、時にはおだても、かわしも必要だ。
だけの実力をつけることなく、虚力だけだとしたらどういうことになるのか。

男子力を磨くことに一生懸命だった男性がいたとしよう。
恋人を作ることはできるし結婚はできるかもしれない。
しかし夫として普通に発揮しなければならないことができない夫に対して、
熱が冷めた嫁は愛想を尽かすだろう。
男子力によって上司の印象はいいのだが、
本来求められる仕事の実力がないために、
彼の回り同僚は彼の半端な仕事の後始末に追われてイライラすることになる。
当然の帰結として、彼は同僚の信頼が得られないし、
程度が悪ければ"いなくなってくれ"ということになる。
だけど当の本人は、どうして回りが自分に冷ややかな目をしていることがさっぱりわからない。
何故なら男子力を磨くことが成功の秘訣だと彼は信じているからだ。
このギャップを抱えたまま歳を重ねて行くと、
彼の将来は彼の希望と反対になるのではないか。
こんな、笑うに笑えない男子がここそこにいると思う。