こんにちは、結城大作です。

2009年も差し迫って参りました。

世情的にも、個人的にも、あまり良い出来事の少ない一年だったように思います。

そんな一年でしたけれども、それも短い一生の中の、長い一年間のひとつ。

きっと僕自身の、未来の一部となってくれることでしょう。


今日は大晦日です。

みなさん、12/31をどうして大晦日と言うかご存知ですか?

もともと月の末日を、すべて晦日と呼びます。

晦日(みそか)とは三十日(みそか)の意味で、月の末日をそう呼ぶのです。

そうです三十路の”みそ”の部分と同じ読み方です。

その晦日の中で、十二月の晦日は晦日も晦日、大晦日というわけなのです。


過ぎゆく2009年。

そして、もうすぐ迎える2010年。

こんなに不景気で良くない情勢でも、やはり新しい年には期待に心震えるものです。

新しく訪れる一年が、皆さんにとっても、僕自身にとっても、良い年でありますように。


ではでは。
こんにちは、結城大作です。

先日、我が家族のひとりが亡くなりました。

愛兎のラビヲ、享年推定12歳です。

ラビヲのことを、少し書かせて下さい。

ラビヲはネザーランド・ドワーフラビットという種類のウサギで、我が家に来たときにはちょうどアンパンにカビが生えたような、大きなマリモのような、そんな姿でした。

当時暮らしていた池袋のデパートのペットショップで彼を見付け、一人暮らしの僕は飼えるかどうかを2時間近く迷ったあげく、とうとうつれて帰ってしまったのを覚えています。

いっしょに小さな飼育ケージと、黄色と青の餌入れを買いました。

ウサギ用の餌入れを買ったのですが、まだ子ウサギだった彼はその中に入れてしまう程小さかった。

当時住んでいたマンションの角という角に歯形を付けて回って、そこを引っ越すときに大家さんにとても叱られました。

ラビヲは何歳の時だったか、多分3歳ぐらいだったと思いますが、大きな病気に掛かってしまいました。

尿管結石なのですが、尿にカルシウムを多く含むウサギは、気を付けないとよく煩う病気です。

数日餌も食べずに具合が悪そうにしている彼を、僕はウサギ専門の獣医を捜して連れて行って、その病気を知らされました。

しかもその病気は手術が必要で、手術をしないと3日も保たないというのです。

聞かされた手術費用は高額でした。

保険などないウサギ君です。

彼を購入した金額の6倍近く掛かるとのことで、しかも成功率は50%以下だと言われました。

体の小さいウサギは、手術に耐えられず死んでしまうケースが多いそうなのです。

正直、迷いました。

当時の僕には家賃より高い手術費用を、ポンと出せる余裕などありません。

でも、やはりお願いしました。

即日入院し、首尾よく成功して退院できるのは2週間後とのこと。

今でも良く覚えていますが、彼を迎えに行った日は、大雪が降っていました。

僕はお出かけ用のケースにタオルをいっぱい入れて、電車とバスを乗り継いで迎えに行きました。

人の心配をよそに、元気な顔で待っていたラビヲ。

しかも今まで食べてくれたことのなかった、生野菜をもぐもぐとかじっていました。


ラビヲには、不思議な癖がありました。

座布団やマットなどの上に置くと、そこから出られないのです。

もちろん囲いなどはないのですが、まるでマットの境界の外は断崖絶壁かのように、その上だけをぴょんぴょん跳ね回っていました。

ラビヲも大きくなって、ウサギ用の大きめのケージも買い、そこが彼のお家になりました。

生涯通して、彼の最も好きな場所が、そのケージの中でした。

部屋に放して自由にさせていても、しばらくするといつの間にかケージに戻っているのです。

以後、我が家にはいろいろな動物たちがやってくることになります。

フェレットが、2匹。

知人が飼いきれなくなった、種類不明のウサギ。

フェレットなど肉食なので始めは心配でしたが、ラビヲは全く平気な顔をしていました。

ウサギはメスだったのと、かなり気性が荒かったせいで、ラビヲとは別のケージで飼っていました。

それぞれ10年と生きていましたが、ここ数年で次々と先立って逝きました。

まったくラビヲの生命力には脱帽です。

手術後、やはり体力をかなり消費しているはずなので、長生きは無理と言われていたのにです。

ウサギの平均寿命は5年といいます。

彼はなんと、倍以上もがんばってくれたのです。

あのとき僕が無理をしてでも手術したことに、恩を感じてくれていたのでしょうか。

今年に入ってからは毛も抜け出し、ローストチキンのような姿になってもがんばっていたラビヲ爺さん。

僕の生活に振り回されて、何度も引っ越しを経験させてしまいました。

ここ最近は目も患い、毎日目薬が必要でした。

片目はどうやら、見えていない様子でした。

たかがウサギと侮るなかれ。

冷たくなって横たわっていた彼は、骨と皮のように痩せ衰えていましたが、どこか生ききったような誇らし気な顔に見えました。

ケージを片付けていたら、すっかり忘れていましたが、ずーと同じ黄色と青の餌入れを使っていたんです。

黄色にお水、青にペレット。

やるなぁ、爺さん。

歴史だね。

ずっと長い間、動かなくなるまで、一緒に居てくれてありがとう。

$結城大作の名刺-ラビヲ

ではでは。
人は、己自身を焼くための炎に、せっせと薪を焼べている



Doomsday clockという、人類終末までの時間を刻む時計は、1995年を境に刻一刻と針を進めています。

なぜ人は、自分自身のためにしか努力をしないのでしょう。

もし他人に捧げる努力が、自分へのそれと同じ労力ならば、皆でそれが出来ないのでしょうか。

それはたった一人でも足並みを揃えぬ者がいれば、実現しないものだから。

有史以前には出来ていたそんなことが、もう夢物語になってしまったのです。

足並みを乱した者が、力を得てしまったから。

力を持った者は、足並みを戻すことはないからです。

では人類には希望は無いのでしょうか。

未来とは相対的なものではなく、普遍的なものでもなく、ただ終わりへと続くのでしょうか。


その昔、囚人たちは己の埋められる穴を掘らされた後に、殺されてその穴へと放り込まれたといいます。

いまはまさに、そんな喜劇にも似た悲劇を演じる、影絵のような世界に見えます。


あなたが居ない世界は暗闇でも、私の居ない世界は、昨日と何ら変わらぬ世界でしょう。

もっと暗い過去の教訓も、過酷な境遇の別世界も、今を慰める希望にはなり得ないのです。


希望が、人々を勇気付けます。

希望が、人々を力を与えてくれるのです。


人々はもう、犠牲を充分すぎるほど味わいました。

今一番必要なのは、なにを置いても、明るい未来への希望ではないでしょうか。