茨城県東海村 久慈川 竹瓦橋(地獄橋)。 | 水辺の土木遺産

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水辺の土木遺産、冠水橋や流れ橋、石橋やレンガ樋門など、自転車で見て回りながら、ついでに狛犬なんかも追いかけています。

令和元年東日本豪雨災害を覚えているでしょうか?

あの時には久慈川周辺では水郡線の鉄橋が流されたり、

ところどころで土手の越流や決壊があったりと、大変な災害でした。

 

割合良く訪ねる地域という事もあり、

豪雨災害のすぐ後にも、橋の様子を見に出かけたのですが、

その時にはいくつかの木造の地獄橋が大破して分断されていたものです。

 

地獄橋というのは久慈川水系での沈下橋や潜水橋のような橋を指す呼び方ですが、

そうした橋が復旧されたのか? それを見に行こうというのがこの日の主旨でした。

ただし、久慈川水系には自転車では1日や2日では回り切れないほどの地獄橋があります。

残りの橋の様子確認も、近いうちに行わないといけませんね。

 

久慈川水系の地獄橋を回る場合、

コンパクトに数を見て回るなら常陸太田駅からのスタートがお勧めですが、

久慈川の河口近くから見て回る場合には、いつも大体は常磐線の東海駅からのスタートになります。

 

コロナ禍を挟んで久しぶりに降りた東海駅の駅前は、

ロータリーに鉢植えの街路樹(高さも直径も2m近い鉢植え)が新しく並べられ、

 

 

コロナ禍で全国に増えた冷凍食品自販機がこんなところにも。

……残念ながら、これから自転車で走り回るのに冷凍食品は持ち歩けませんね。

 

そうして久慈川の手前では、いつもとは微妙に違うルートだったので、

 

 

初めて見るデザインマンホール。

 

あとはいつも通りに土手を走れば目指す竹瓦橋。

 

 

場所はこちら。

 

 

前回訪問時には橋の袂が一面抹茶色の土むき出しでしたが、

 

 

すっかり以前の風景を取り戻しています。

 

 

久慈川水系には木製の橋も多いのですが、

ここはH鋼の流木除けにH鋼の橋脚と桁で路面もコンクリートスレート。

 

 

ですがまぁ、

 

 

これはこれで、なかなか風情のある橋です。

平成の初めの頃には、もっとずっと河口付近にもう一つ地獄橋がありましたが、

視界の悪い雨の日に、乗用車が転落する事故があって廃止されました。

 

その頃には竹瓦橋他の地獄橋も廃止されるのでは? と、

随分心配したのですが、幸いにも地域文化として、しっかりと保存されています。

 

 

それにしても、

 

 

随分と砂が堆積して、そろそろ川の浚渫が必要なのでは?

先日もNHKでは、建設用の川砂が不足しているなんて番組をやっていましたが、

昨今増えた豪雨も手伝って、砂で埋まった川、砂で埋まったダム湖、

そうしたものを浚渫すれば建設用の砂不足も解決するし、

なによりも、浚渫しないとますます水害が増えてしまうと思うのですが……。

 

 

こちらは対岸(左岸=北側)からの振り返り。

そう、この橋があるのは原発で有名な東海村だったりします。

 

看板の向こうを見ていただくと、

橋の路肩が上流側だけ白いのがわかるでしょうか?

あの辺りは令和元年の豪雨災害時に流木でごっそりと地覆いが欠落していた部分です。

 

<2019/10/21、被災状況>

 

こうして見直すと、路面も随分とガタガタしていたものが、

段差やすき間を埋める形でのメンテナンスが入っていそうですね。

 

それでもこの橋は被災具合も軽微だったこともありますが、

しっかりと復旧されていてまずは一安心。

 

このまま久慈川左岸から山田川の合流地点を目指して、

前回訪問した令和元年東日本豪雨災害直後には大破していた新落合橋を目指します。