いよいよ今年も残り僅かになってきました
お客様とお話をしていると
年末に息子夫婦が帰ってくるの(^_^)とか
お正月に孫が来るからお年玉用意しなきゃ(^_^)とか
楽しそうにお話しされるお客様がちらほらと見えます
そういえば来週、名古屋城の近くのホテルで郷ひろみのディナーショーに行くという方も見えました
もうそんな時期ですね
20数年前、僕の送別会の時の写真
当たり前のことですが、お店は1人ではやれないと思います
周りのみんなに助けられているんです!
少し前に書きかけた僕が洋服屋の店長だった頃の話の続きをしますね
僕が新人店長となったのは千葉稲毛メテオ店でした
JR総武線で千葉駅から東京方面に2駅
稲毛駅近くの
サティー(現在はイオンに吸収されました)を中心とした3階建てのわりと大きなショッピングセンターでした
当時はやっていたマウンテンバイクでたまに通勤してました
確か30分位かかったような…
(店長会議で、名古屋に戻ったとき1晩千葉駅に停めておいたら盗まれました、警察官に鍵が1つじゃだめだよーと怒られた思い出があります😅)
確かお店の年商は8000万円位だったと思います
(渋谷店は3億5千万円位だったような)
店長見習いの渋谷店では、ニットのコーナー担当でした
辞令があってから、店長としての心得は少し教えていただいたんですが、準備不足でした
正直言って店の運営はわかるはずなかったです
マニュアルとにらめっこの毎日でした
当時の僕は不安でいっぱいだったと思います
なぜなら、僕以外はみんなパートさんとアルバイトさんだったからです
それも6人ぐらいの女性ばかりでした
1人40代の方、後は僕より年下のフリーターや大学生や短大生でした
女性ばかりだったので、派閥ができでいて不穏な空気が漂ってました💦
最初の頃新人店長の僕は、これには本当に苦労させられました!
それぞれの派閥の長から、お互いの悪口を聞く毎日😥
気の弱い僕は振り回されっぱなしでした💦
その時渋谷店の森本店長に泣きの電話を入れました
その時の店長の答えが
「大桑~誰の店なんだよー、お前が店長だろう、お前が好きなようにやれよー、もしダメだったらお前1人で店をやれ!」
そう言われて我に帰りました
覚悟ができました!
話をしてダメなら休みなしで仕事しよう
別々に話をして、思っていることを伝えました
今ならもう少し優しい言葉で伝えられたかもしれませんが…
1人のスタッフが泣きながら止めていきました
正直にいろいろな思いを話をしてお互い言いたいことを言いました
そして残ったスタッフが土屋くん
それからは、見違えるように僕の力になってくれました
みんなをまとめてくれました
他のスタッフと僕の間に入ってくれました
僕が休みの日は土屋くんが代わりをしてくれました
土屋くんにはすごく助けられた思い出があります
スタッフみんなで飲みに行ったり
(未成年者は飲んでないですよ💦)
みんなでボーリングやったり
みんなが僕を助けてくれました
今考えるとすごく幸せだったと思います
お店の売り上げは正直よくなかったです
毎月予算目標が来るんですが、達成できたのは僕がやめる最後の月だけでした
僕が辞める数ヶ月前に、隣のお店が閉店しました
そうしているうちに、両親からそろそろ帰ってこないかと連絡ありました
(当時、お店が4店舗あり人手不足で大変だった)
RIOもマニアルが変わり本部一括仕入れになりました
要は店長が自由に追加発注をできなくなりました
店長としてのやりがいや勉強することも少なくなりました
当時の地区長の話だと、まともに発注できない店長がいるため効率化のためそうなったそうです
そして会社を辞めることを決意して実家に帰ってきました
今これを書いていて思ったんですが、今現在も僕はいろんな人に助けられているんだなぁと
その人たちに笑顔にさせてもらってるんだなぁと
周りの人たちに感謝して
お客様にも感謝して
履きやすい靴を提供すると言うミッションを持って
周りの人たちを笑顔にしたいと思います(^_^)
僕にしかできないことがあると思いますから…
24年前の写真を見ていてそう思いました
シューズ&バック大丸蒲郡店
店長 大桑
蒲郡市八百富町7-34
(サンヨネ蒲郡店内)
蒲郡駅から東に徒歩10分
0533-68-0186
am 10時からpm7(日曜9時30分から)
年中無休
シューズ&バック大丸一宮店(豊川店)
店長 大桑
豊川市一宮町いずみ33番地(チアーズいちのみや内)
(豊川インターから北へ約5分)
0533ー93-5712
am10~pm8(日曜am9時30~)
定休日 第1第3火曜日