だいちとハッピーライフ~ADHD子育て日記~ -10ページ目

だいちとハッピーライフ~ADHD子育て日記~

日々の些細な出来事や子育てで感じたこと等々を書いてます

肺癌末期のおとうさん、調子が悪い日もあるにはあるけど、、、病院に居たときと比べられないほど、食べるし、寝れるし、体調がいい!!




つい、おとうさんが肺癌の末期だと言うことを忘れちゃうくらいね。




おとうさんのとこに顔をだすと決まって「おとうさん、調子どう?」って聞くんだけど、最近は決まって笑顔で「絶好調!!」って返してくれるんだ。




本当はしんどい時もあるんだけどね。。




今日も隣で一緒に夕飯。おとうさんもソファーに座り談笑。




本当におとうさんの病気、忘れちゃうくらい元気なんだよー




今年も残すところ…と言う時期になっちゃいましたね。。




前回更新した、修学旅行の引率の帰りの電車の中、ブログを書き終えた後にダンナからの電話があった。




電車の中だと伝えてすぐ切ろうとしたら「じっちゃん(ダンナの父)末期の癌だった」と涙声で言って電話が切られた。




体調不良の中、病院に行くも原因が分からず、そんな中でも自営の居酒屋を続けてた、義父。日に日に体調が悪くなる一方で家族は心配していた。




だいちの修学旅行の前日に体調が更に悪くなり、ダンナの車で病院へ行き、そのまま入院になったのだ。




その時に分かったのが「肺癌」




その後はわかることが悪いことばっかりで病名がわかってから、まるで坂道を下るかのような日々を過ごしてた。




肺癌は肝臓や腰などにも転移、手術は不可能。抗がん剤を受けるも肝臓の数値が悪化し中断。セカンドオピニオンにも行ったが主治医との見解は同じ。食事が取れず、痛みも激しく、呼吸すら辛く、睡眠もとれない、過酷な入院生活。




最後の望みがオプチーボと言う免疫療法。二度目のオプチーボを打ってから、念願の退院をした。




退院して一週間。体調が悪い日ももちろんあるが、家に帰って来た義父はとても嬉しそうで穏やかな日々を送っている。病院に
いた頃は殆ど食事をとらなかったが、少しずつ食べるようになった。




ダンナは義母と一緒に義父の介護をするために仕事をお休みして支えている。




オプチーボの効果と義父の癌の進行とどうなのか?副作用?いつまで自宅で過ごせる?不安だらけの日々。わたしたちにやれる親孝行をしようと決め、今は家族が何より大事に思ってくれている義父と時間を大切にしたいと思ってる。




だいちも大好きなじぃじの為にお守りを作ったり、千羽ならぬ百羽鶴を作ったり、トイレの介助を手伝ったりと頑張ってる。




今は無事にお義父さんとお正月を過ごしたい。それが家族の願いです。










面談での先生の提案はだいちが好きな授業(苦痛に感じない教科)は教室で過ごし、それ以外の教科は通級教室が空いていればそこで空いていない時は保健室。あとは遅刻、早退をするなどして登校すると言うものだった。




でもだいちは好きな教科だけ教室に居るとかは嫌だと。。相談の結果、比較的だいちが嫌な授業が少ない、月水曜日の二日間の登校しようと言うことになった。




こうして今週から再び登校、月水曜日二日間登校し、木曜日からの修学旅行に参加することが出来たのだ。




当初、修学旅行も行きたくないと言っていたんだけど、休んでるうちに「本当は行きたい!でも怖い…」と言っていて、先生から日帰りで参加してはどうか?と話があった。でもだいちは「うーん。。でもやっぱり泊まりたい…」と。




去年、フリースクールに通っていたので行きたがってたキッザニアの遠足も林間学校も参加出来なかった。せめて、修学旅行は行かせてあげたいとの思いもあったので「母ちゃんが近くのホテルに泊まって、無理だったら、すぐに迎えに行く!それだったらどう?」と聞くと「それだったら行ける!!」となったんだ。




さっき、担任の先生から電話があり「だいちくん、大丈夫です。夜も友達と楽しそうに過ごしてましたし、今日の予定のハイキングも行けると言ってます!お母さんが近くに居て安心出来たんだと思います。ご協力ありがとうございました」と嬉しい報告を頂いた。




わたしのお役目は必要なしだった!本当によかったぁー(^-^)/




当面は週2日登校だが、だいちと中学校生活に向けて、少しずつ登校日を増やす、もしくは行かない日はフリースクールに登校するなどにし、卒業までには週5日登校を目標にした。




焦らず一歩、一歩。




さーてと、美味しいものでも食べて帰ろっと(*^^*)