千駄ヶ谷駅までお散歩:代々木公園から千駄ヶ谷まで 2/2 | まほろばのdaimal

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特にテーマがあるわけでもなく、自己満足の日記であります。

 ~ 前回投稿からの続きです ~ 

 

 寒いながらも抜けるような晴天の下、代々木公園を原宿門から出て、

 

 明治神宮の一の鳥居に黙礼。

代々木公園より一回りほど広い明治神宮も、人工的に造営された杜です。

 

 そして直ぐお隣には原宿駅。

建て替える前の駅舎にはレトロな味わいがあり良かったと、昭和翁は懐古するのであります。 次回訪れる機会があったら、中を探検してみようかと思います(でも人が多くてね。。。)。

 

 信号を渡って表参道を下り、

 

 左に折れて教会通りを登ると、

 

 太田記念美術館。

浮世絵「広重ブルー展」を拝見してきました(撮影NG)。

 

 

 

・・・ 太田記念美術館HPより借用&引用 ・・・

 

風景画の巨匠、歌川広重(1797~1858)。 その作品は今も高い人気を誇りますが、とりわけ空や海の深く美しい青が印象的です。 これは1830年頃から浮世絵に用いられたベロ藍(プルシアンブルー、ベルリンブルーとも)と呼ばれる青色の絵具によるもの。 その美しさに触発されさまざまな絵師がベロ藍を使って風景画を描きます。当時30代半ばの広重もまたそのひとり。 広重は、ベロ藍との出会いから風景画に開眼すると、刻々と変わる空模様や水面を繊細に表現し、人気絵師への階段をのぼっていきます。 その後も晩年にいたるまで詩情あふれる名作を続々と生み出し、浮世絵界に不動の地位を築いていきました。 』

 

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 小さめな美術館に平日と言えどもまあまの人数の鑑賞者が居られて牛歩状態。 皆さん広重の絵に魅せられてしまっているようなので、後から目を凝らして鑑賞させて頂きました。

 

 今回の収穫は「空摺り」という技法。 要は絵具を付けない木版でエンボスを擦り込む方法です。 エンボスですから光の具合で浮き出す線や紋様が見る角度で変化して、本物を所有している人だけに許される楽しみを与えてくれます。

 

 時々私も油性色鉛筆で紋様などを先に書き入れてから水彩で彩色したり色を抜いたりして柄や陰影を表現したりしています。 以前UPした羽黒山五重塔はその手法を使いました。

下手なくせに語るよねぇ(^_^;)。。。 用紙にエンボスで描く技法、試してみたくなりました。

 

 

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 ほんとうはじっくり拝見したかったのですが、そこそこで切り上げて教会通りを更に進んで下ります。

 

 明治通りに出る。 なにか行列。

 

 奥の人だかりは竹下通りの出口。

左はカキ氷屋さんかな? このまま北上して千駄ヶ谷方面に歩きます。

 

 少し歩くと左手に渋い鳥居が見えます。

ここは東郷神社で、旧日本軍海軍元帥 東郷平八郎氏を祀った神社です。 クールな直線で彫られた狛犬に守られた境内は撮影禁止なので散歩&参拝のみです。 個人的感想ですが、乃木元帥を祀った乃木神社の方が柔らかな雰囲気があるような気がします(そういえば乃木神社の狛犬も直線的でクールで頼もしい雰囲気だった)。

 

 さらに明治通りを北進し、”千駄ヶ谷三丁目信号” を右に入って東京体育館方面へ歩くと鳩森八幡神社に到着します。 写真は、通り過ぎてしまって戻るところ。

 

 案内図は左が南です。

南側には日本将棋連盟があります(が、今回は訪れず)。 参拝の目的は ”富士塚登頂” と、ちょっと休憩させて頂きました(ずっと歩きっぱなしで腰が)。

 

・・・神社HPより引用・・・

 

『 鳩森八幡神社は、応神天皇と神功皇后の二柱の神様をお祀りしています 』

 

 

『 大昔、この場所の林の奥深くに瑞雲(めでたいことの前兆として現れる雲)がたびたび現れていました。 ある日、青空から雲が降りてきたので、不思議に思った村民が林の中に入ると、突然たくさんの白い鳩が西に向かって飛び去っていきました。 この霊瑞(不思議でめでたい現象)から、神様の宿る小さな祠を建て、鳩森「はとのもり」と名付けました。 その後、貞観二年(860年)に慈覚大師(円仁)が関東を巡り教えを広めていいる途中でこの地に寄った際、鳩森のご神体を求める村民達の強い願いがありました。 そのため、山城国石清水八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給わった古故事にのっとり、神功皇后・応神天皇・春日明神等の御尊像を作り添えて、正八幡宮として崇敬し奉ったと伝えられます。』
                                        

・・・ ・・・

 

雄々しい中にもまろやかな風合いの狛犬。

三諸さんのページを読ませて頂くと、ブロンズ製だそうです。

 

 少々ごちゃっとした花手水のいいとこ撮りをして、お清めを済ませ、 

 

 お散歩の無事御礼と腰痛退散をお願い致しました。

 

 そして富士登頂・・富士塚へ詣でます。

 

・・・再び神社HPより引用・・・

 

『 冨士塚とは富士山に行くことが難しい人達のために作られた、富士山を模した塚です。 江戸時代中期多くの冨士塚が作られましたが、当社の冨士塚もその一つで、寛政元年(1789年)の築造と言われています。 大正12年(1923年)の関東大震災後に修復されていますが、旧態をよくとどめ、都内に現存するものでは最も古く、江戸中期以降、江戸市中を中心に広く庶民の間で信仰されていた冨士信仰の在り方を理解する上で貴重な遺構です。 この冨士塚は円墳形に土を盛り上げて作られており、富士山の溶岩は頂上近くに配置されています。 山腹には要所要所に丸石を配置し、土が露出している部分には、クマザサが植えられています。 頂上には奥宮を安置し、山裾の向かって左側に御影石の里宮の建物があります。 頂上に至る登山道は、自然石を用いて階段としています。 七合目には洞窟が作られ、その中には身祿像が安置されています。 塚の前面には冨士塚を築造した際に、土を採掘した凹地を利用して造られた池もあります。 円墳状の盛り土と前方の池という形は、江戸築造の冨士塚の基本様式となっています。』

 

・・・ ・・・

 

登山口鳥居の影が、なにかしら招かれているような。。。

 

 結構険しい印象の登山(?)過程は省略して山頂に到着し一礼。

 

 下界を望む

 

 下山後に能楽殿前のベンチで暫し休息。

このまま東京体育館に出るか将棋会館をチラ見して行くかとスマフォで地図を見ていると、近くに国立能楽堂を発見しました。

 

 鳩森八幡神社から北西に向かう。

漫画「三月のライオン」をモチーフにしたマンホールがところどころにあります。

 

 三月のライオンは将棋をテーマにした作品で、映画にもなりました。

 

 この界隈、そこここで結構キッチンカーを見かけます。

美味しそうではあるのですが、徘徊散歩人Daimalには弁当を広げる場所がありません。

 

 国立能楽堂に到着。

 

 誰もいないので入り口近くにおられた職員と思しきご婦人に「見学出来ますか?」と聞いてみる。 本日は休館であり改修工事もあるので見学は出来ないとのこと、残念! 博物館ではないので致し方なしですね。 休演日には有料でも見学出来るといいのにと思うと、腰の痛みを思い出すのでした。

 

 首都高新宿線高架に出て右折し、日本バレーボール協会前を過ぎると、

 

 東京体育館に出ます。 以前も書きましたが、これは宇宙船が擬態しているに違いない。

 徳川宗家所有の土地を1943年(昭和18年)に東京府が買収し ” 葵館 ” という鍛成道場でスタートし、戦後に体育館として整備されて1964年の東京オリンピックでも利用されました。 現在の建物は故・槇文彦氏が設計し1990年に完成した ” 宇宙船のような体育館 ” です。

 

 東京体育館の真後ろが新しい国立競技場でその隣が明治神宮外苑なので、神宮外苑の銀杏の様子を見て迎賓館を回ってみようかと思ったのですが、、、

 

足が勝手に踵を返して隣の千駄ヶ谷駅に進んでしまったのでした。

 

 千駄ヶ谷駅ホームの北側に見えるのは新宿御苑の南側。 公園南側の1/3くらいは新宿区ではなく渋谷区です。 因みに新宿駅南の高島屋とかバスタ新宿は、渋谷区千駄ヶ谷だったりします。

 

 総武/中央線を御茶ノ水駅で降りて(だいぶ改修工事が完成してきていた)、

 

 お隣の地下鉄千代田線に乗り換えて帰路についたのでした。

 

 

 11/19撮影@渋谷区千駄ヶ谷あたり

 

 

 散歩もブログ記事も長くなってしまいました。

亀有駅に到着したDaimalは、中華定食屋さんでニラレバ定食でスタミナ補給をするのでした。 どうでもよいけど右利きの私は、御飯は左側に置いて欲しかった(爺は細かい)。