このブログは、私(鯛)の元に現れてくれた様々な偉人・神々との会話を記していくものです。
現れた偉人たちは皆、口をそろえて現代の日本人に伝えたいことがあると言っています。
神々には日本の行く末が見えてはいますが、あくまでも人間の意志を尊重していると言います。
神々に救ってもらおうと考えるのではなく、人間が自分たちの手で社会をどう変えるかが大事なことのようです。
信じる、信じないはあなた次第。
一つの物語としてお楽しみください。
さて、この辺りで、鯛と平目の元に最初の神が降りてきた時のことを
少し遡って紹介していきたいと思う。
何年も仏壇と神棚に手を合わせて、仕事に行く時は、「行ってきます」と、
帰宅した時には、「只今、無事に戻りました」と感謝の思いを伝えるだけの毎日から、
何年経ったことだろうか。
それが或る日、晴天の霹靂みたいなことが私の身に起こったのである。
鯛の元に神々が現われた最初の日は、忘れもしない2017年5月3日のことである。
その頃、平目の意識は、だいぶ霊的に反応することが度々あった。
この日は鯛が神棚の前に立つと、
神棚の左側に祀ってある大国主命像の目がきらりと光ったと平目が言う。
それと同時に平目の意識に、「ここは居心地の良い所じゃのう…」という
大国主命様の声がメッセージとして送られて来た。
鯛がさらに神棚の前で心を鎮めていると、今度は神棚を守っているという神が現われ、
「鯛と接点を持ちたい」と言ってきた。
「朝夕の挨拶の時に少しでもいいから毎日時間を取ってくれ」と平目にメッセージが伝わってきた。
日本神道系の神に対する祈りは、
個人的な祈りよりも国家や家族の安寧を祈ることだと教えられていたので、
鯛としては、毎日のように今日一日の無事と感謝の思いを捧げて来ただけである。
霊的に敏感になりつつある平目を通してとはいえども、
大国主命様と神棚を護っている両方の神から声が聞こえてくるとは予想外であった。
神棚にいる神は、「神のほうから鯛に伝えたいこともある」と続けられた。
そして、「すべての仕事が終了した際に一分でもいいから神棚と対面してほしい」と言われた。
きっと朝夕の時間に割と簡単に切り上げる鯛を見ていて、
神棚に現われた神としては物足りなかったのだと思う。
以前から仕事が忙しく慌ただしい毎日が二十年以上も続いているのに
なぜ今日なのか?という疑問も湧いて来た。
神から話しかけられることを想定していなかったので、
古い表現を借りると狐につままれたようである。
兎も角も、この日から神々とご対面する毎日が始まった。
神々との会話は、ただ単に神が言っている事を鵜呑みにするのではなく、
その真贋がどこにあるのかを精査しながら進めて行った。
大部分の人は、自分の身に神が降りるとすぐに、
自分が優れた霊能者であるかのような勘違いをする者が後を絶たないようだが、
鯛はそういう人たちの末路を何人も見て来ている。
いつしか神が降りることで、自分も神と同じ立ち位置にいると勘違いするようである。
鯛はそうはなるまいと思いながらも、
まだ神々との対話は始まったばかりだと強く自分に言い聞かせていた。
初めは本物の神が降りたとしても、
その者がこの世の欲得に徐々に傾いていくと、いつの間にか神が入れ替わって
その者の人格を破壊するような魔に魅入られてしまうことがよくある。
つまりは、現世利益を追求し出すようになると、その者に本物の神は降りなくなるようだ。
私はこの七年の間、個人の執着を一切捨てて神々と対面する努力を怠らないできた。
そして、それが現在でも続いている。
神々が降りてからの七年は、長いのか短いのか私には分からない。
一つ言えることは、
私が慢心するようになったら、神はあっという間に降りなくなってしまうだろう。
そのことだけはなぜか分かるのだ。