いま流行のパワースポット。
誰がどんな定義でそう呼ぶかは知らないが、
思いつきと思い込みだけで、信じられている場所も少なくはない。
細かいことは改めて取り上げますが、
今回はそんなパワースポットという言葉さえ、
広まる以前より全国から山のエネルギーを求め集う、
とある聖地を地理風水の観点から見つめてみたいと思います。
そこは、九州の真ん中に位置する熊本県へ出かけた際に、
たまたま見つけ、まるで引き寄せられるかのように辿りついた場所。
何気なく眺めていた山の稜線に、
とても不思議な物体を発見しました!
それが何なのか、まるで分からなかったのですが、
人間が形あるものと感応し合う無意識の存在を感じた瞬間でした。
近づけば近づくほど、その特異な形をした物体は、
「無言で何かを語りかけてくる・・・」そんな感覚の中にいたのです。
舗装はされているものの、狭く離合箇所も少ない道を進み、
降り立った目の前には言葉では表現できない存在がありました。
【 不動岩 】
ただただ自然界の存在という凄さに見とれるばかり・・・・・
昔の人々は、こんな巨石や大木、そして山そのものを、
神の存在と認め、大切に敬い、未来へ託してきた歴史があります。
そしてまた、
そこには何かしらの偉大な力が宿ると考え、
山伏達はそこへ籠もり、修験道を極めることになります。
そもそも【籠もる】とは、山野で生活すること。
それは自然界のエネルギーを存分に得るための行為であり、
正統風水において定義される龍の恩恵を受けることと同義です。
また、存在という概念は、
人間の目に映るその姿・形などから、
そこにどんな意味や象徴性が表れるかを学び続け現代に至ります。
もう何度もこのブログに登場した言葉ですが、
風水の専門用語でいう『巒頭(らんとう)』と呼ばれ、
目で確認することのできる、形あるものへの作用のことです。
※方位や時間などの目に見えないものへ作用するのは『理気(りき)』。
この不動岩が存在しているということだけで、
人間を惹きつけるだけのエネルギーを充分に持っていますが、
これらの姿・形が、私たちにどういう影響を与えているのかを、
地理風水に基づいて検証してみたいと思います。
例えば、皆さんの家の正面に、
こんな姿・形をした山や構造物があるとします・・・・・。
右上の図は【実践・地理風水大全】より抜粋した『合掌』。
こういう姿・形からもたらされる象徴性は、
無意識であっても人の意識に感応することになり、
理を超えた超人が現れ、念仏を唱えたり宗教家を輩出するとされる。
実際にこの不動岩があるこの地は、
全国から山伏達が霊力を磨くために集まる場所となっています。
また、本当にもう偶然とは言えないようなことですが、
この場所に数年もの間ずっと毎夜通われ続けていた方こそ、
以前にご紹介させて頂きましたあの先生だったのです!
さらに、来週セミナーの講師としてお招きする、
大田篤先生も密かに通う、
エネルギースポットだったとは、全く知らずして通りがかった場所!
(残席は少なくなりました。ご予約はお早めにお済ませ下さいませ。)
後になってこの二つの話を聞いたときは、
何か不思議なものに導かれ辿り着いた場所だと感じました。
ぜひ九州近郊にお住まいの方は訪れてみることをお勧め致します。
とくに修験道を志す人じゃなくても大丈夫ですから(笑)。
一般の方でも大地の発する氣の強さを感じることが出来るので、
不動岩の前にあるベンチに座りゆっくりと時間を過ごされてみて下さい。
また、雨天時や強風時でなければ、
頂上に登る山道(約10分)を上ってみて、
下界と周囲の山並みの美しさを堪能してみるのも良いかも知れません。
その際はビニル袋を1枚ポッケに入れて行って下さいね!
(心ない方が大地に還らない物を残していることがあります。)
そう、なるべく早い時期に・・・・・
まだここがパワースポットと呼ばれている内に・・・・・
この不動岩には確かに龍が来ています。
西岳より続く龍脈がつながっています。
平安時代から神の宿る地と大切に守られてきた存在。
山が山であることの意義を忘れられ、
現代人が都合の良いことだけに利用して、
まるで人の心を映すかのように変わり果ててしまった姿・・・・・
【採石場】
不動岩のある熊本県山鹿市の説明では、
西岳(648.3m)・震岳(231.6m)・彦岳(335.1m)・高取山(328.4m)
これら山地周辺は、はんれい岩でできており、
岩質が堅いため採石し道路工事や建設工事の資材として使うとのこと。
だが、この辺りの地質が強固なのは、
決して人間の都合に合わせているのではなく、
自然界のあるべき姿としてそこに存在しているのであって、
好き勝手に破壊してしまっても良いということには決してならない。
自然の摂理を壊すということは先に説明した『合掌』の、
人の理を超える超人が現れるという意味さえも滅ぼし、
人の理を超える災害や災厄を招く結果を覚悟しなければならない。
人が心の前で両手を合わせる『合掌』とは、
何か最悪な出来事が起きた後にすることではなく、
そうならないために神や仏、そしてこの大自然に対して、
己の存在以上の有り難たみを持って行うべきことなのでは!?
山鹿市の目差したいことは、
「人と自然が共生する環境づくり」だと、
市の環境基本条例にも堂々と謳ってありますよね?
人は過去の過ちを認め、
行いを改めることのできる素晴らしい生き物です。
多くのことから学び、
未来へ活かすことのできる知恵を授かる生き物です。
目に見えるものから意味を知り、
目に見えないものから意義を感じて下さい。
私が今できる精一杯の祈りと共に・・・・・
【関連記事】
口蹄疫と地理風水
龍の伝説と地理風水
以前に紹介したあの先生
【関連情報】
山鹿市環境基本条例
Produced by ~大渓水~