この記事は、穂吉のブログの「2012-10-10 16:24:34」にUPした『日本の神話149. ~第四部 大和~  =第十二章 景行(けいこう)天皇=』という記事を再編成してUPしています。



最初のお話し 『日本の神話01』     前回のお話し 『日本の神話148』



 この回も、大君、大帯日子淤斯呂和気命様の御世のお話しです。

 弟橘比売命様の形見の櫛を御陵(ごりょう)(墓)に納め、再び、倭建命様は、その旅の目的である、国の平定を行うべく、朝廷にたてつく者がいる国へとご出立されていきました。

 この御陵のある上総(かずさ)(千葉県東部)より、北の常陸(ひたち)(茨城南部)へと向かい、その途中の気の荒い異部族の者共を説得しては、徐々に懐かせていかれました。

 また山や川の粗暴な神たちを平定し穏やかにした後、再び都へと歩みを上らせていったのでした。

 歩き歩いて足柄山(あしがらやま)の麓までやって来られた時、皇子様は一刻の休憩をとられると、その場にて昼のご膳を召し上がらました。

 するとこの峠の坂に住まわれる神が、白鹿となって倭建命様の御前に現れたのです。

 皇子様は、この鹿に食べ残した蒜(ひる)の端を投げました。

 するとその蒜が鹿の目に当り、鹿はあっけなく死んでしまったのです。

 これに驚いた皇子様は坂を駆け上がり、峠の頂きに立たれ深いため息を幾度もつかれた後に、

『吾妻(あづま)はや。』

(愛しい私の妻よ。)

と、泣き叫ばれたのでした。

 この皇子様の悲しみの叫びにより、その後、足柄山のこの峠の坂から東にある国は、すべて『あづまの国』と呼ばれるようになったのです。

 さて皇子様は、この峠を越えて甲斐国(かいのくに)(山梨)の、酒折宮(さかおりのみや)にご逗留になられました。

 その時に、

『にひばり 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる』

(常陸国の新治(にいばり)、そして筑波を過ぎて、一体、幾晩、私は一人寂しく寝ているだろうか)

そうお歌いになられたのでございます。

 するとそれを聞いた火守りの老人が

『日々(かが)並べて 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を』

(日数を勘定してみたら、夜は九晩、日は十日でございます)

と、お歌を返されたのでございます。

 この御返歌を気に入られた皇子様は、老人をたいそうお褒めになられ、その場で、『あづま国』の長官と云う称号を、お授けになられたのでございます。

 この後、皇子様は信濃国(しなののくに)(長野県)へとお入りになられたのです。



- 追 記 -

先日から、この神話に出てくる『東国(とうごく)』とは、今の山梨~静岡と南関東の全域を指しています。

これに対し、今回出てきました『あづま国』とは、『古事記』においては、『足柄山』より東側を。
『日本書紀』においては、『碓氷峠』より東側とされています。

因みに『あづま国』とは別名、『坂東(ばんどう)』とも呼ばれています(坂よりも東と云う意味)。

ついでに・・・『坂東太郎(ばんどうたろう)』とは、暴れ川「利根川(とねがわ)」の事です。

また「弟橘比売命」様をお祀りしている神社は、茂原市と川崎市にある「橘樹神社(たちばなじんじゃ)」です。



ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

おしまいっ。
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