この記事は、穂吉のブログの「2012-10-03 16:27:56」にUPした『日本の神話142. ~第四部 大和~  =第十二章 景行(けいこう)天皇=』という記事を再編成してUPしています。



最初のお話し 『日本の神話01』     前回のお話し 『日本の神話141』



 この回も、大君、大帯日子淤斯呂和気命様の御世のお話しです。

 互いを『友』と呼び合うまでに至った皇子の倭建命様と出雲建は、連れ立って斐伊川(ひいがわ)へと水浴へ向かいました。

 倭建命様のお腰には、この日の為に自らお作りになられた詐刀(こだち)(偽物の剣)(木刀のこと)が佩びておりました。

 お二人は、斐伊川のほとりまでまいられました。

 互いに刀も着衣も小高い場所に御脱ぎになられ、そこで水浴をされたのです。

 どの位の時間でしょうか。皇子様は、出雲建より先に水より上がられました。着衣を身に纏い、そして出雲建の剣を持ち、

『出雲建殿、どうであろう。互いの剣を取り換えて、刀合わせ(試合)をしてみぬか。』

それを聞いた出雲建は川より上がり、衣をまとって皇子様の詐刀を手に取られ、

『良かろう。では、いざ勝負だ。』

と、刀を構えようとなさいました。

 しかし力の限りに鞘から刀を引き抜こうとしても、剣は出てこないのです。

 出雲建の持っている皇子様の刀は、木で作られた偽物の詐刀です。どんなに鞘が立派な葛(つづら)で巻かれて飾られていても中身はありません。ただの見せかけの木刀なのです。

 しまった、騙された、と気づいた時には、出雲建の目の前には、自分の刀を抜きはらった倭建命様が迫ってきておりました。

 ・・・そして、出雲建は打ち取られたのでした。

「やつめさす  出雲建が  佩ける大刀  葛さは巻き  さ身なし  あはれ」

(「出雲建が佩(お)びた刀は、葛(つづら)が巻かれ立派なのに、大切な剣がないとは、なんと哀れな事か」)

 葬った時に倭建命様は、その様にお詠いになられたのでした。

 こうして倭建命様は、朝廷に従わない西側の諸国をすべて服従させると晴れやかな気持ちで、父君のお待ちになる都へと上って行かれたのでございました。



- 追 記 -

「少年だから、幼いから残忍なのか?」、「騙し討ちをし、あまりに残忍だ。」という印象が付きまとうお話しでした。
武勇に長けると云う事は、「だまし討ち」も含めて、「策士」である必要もあるのでしょう。
しかしこの、『熊襲建(くまそたける)』と、『出雲建(いずもたける)』との武勇伝、またこの先の色んなエピソードがあるからこそ、『倭建命(やまとたけるのみこと)』様は、「武勇の神様」、「英雄の神様」、「立身出世の神様」として祀られ、崇められているのも事実です。

そんな『倭建命』様は、全国の「白鳥神社」にてお祀りされていらっしゃいます。



ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

おしまい。
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