この記事は、穂吉のブログの「2012-09-25 16:41:03」にUPした『日本の神話134. ~第四部 大和~  =第十二章 景行(けいこう)天皇=』という記事を再編成してUPしています。



最初のお話し 『日本の神話01』     前回のお話し 『日本の神話133』



 先の大君、活目入日子五十狭茅命(いくめいりひこいさちのみこと)(垂仁天皇(すいにんてんのう))様の二番目の皇后がお生みになられた、第二皇子である、大帯日子淤斯呂和気命(おおたらしひこおしろわけのみこと)様は、纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)にて天の下をお治めになられ、のちに景行天皇(けいこうてんのう)と呼ばれます。

 この大君の、最初の皇后になられたのは、第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の皇子の若建吉備津日子(わかたけきびつひこ)様の娘で、播磨稲日大郎比売(はりまのいなびのおおいらつめひめ)様です。

 ご結婚をされお生みになられた御子様は、角別王(くしつのわけのおおきみ)、大碓命(おおうすのみこ)様、小碓命(おうすのみこ)(またの名を 倭男具那命(やまとをぐなのみこと)(のちに倭建命(やまとたけるのみこと)と呼ばれる)様、倭根子命(やまとねこ)様、神櫛王(かむくしのみこ)様の五人です。

 また後の皇后には第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の皇子の八坂入日子命(やさかいりびこのみこと)様の娘で、八尺之入日売命(やさかのいりひめのみこと)様がなられました。

 ご結婚されお生まれになられた御子様は、若帯日子命(わかたらしひこのみこと)(のちの成務(せいむ)天皇)様、五百木入日子命(いおぎのいりひこのみこと)様、押別命(おしのわけのみこ)様、五百木入比売命(いおぎのいりひめのみこと)様の四人です。

 それ以外にも、この大君の御子様は、記録に残っている御子様が、御二十一人と、記録にない五十九人、合わせて八十人の御子様方がいらっしゃいます。

 しかしこの八十人の御子のうち、日嗣(ひつぎ)の皇子(みこ)すなわち太子の名を頂戴したのは、若帯日子命(のちの政務天皇)様と、小碓命(のちの倭建命(やまとたける))様、そして五百木入日子命様の御三方だけでした。

 それ以外の七十七の御子様方は、国々の国造(くにのみやつこ)へ、あるいは別(わけ)・稲置(いなぎ)・県主(あがたぬし)にまで配置をお決めになり、諸地方を治められたのでした。

 やがて若帯日子命様があとを継がれ、天の下をお治めになられます。

 また小碓命(のちの倭建命)様は、東方西方の不穏な神々や、天皇に従わぬ者共を平定なさいます。

 さて大君、大帯日子淤斯呂和気命様、すなわち景行天皇の御世のことでございます。

 大君は、美濃国(みののくに)に美しい姫君がおられると聞き、その姫を后の一人に迎えようとなさることから、次のお話は始まります。

 この続きは、また明日にでも。



- 追 記 -
「国造(くにのみやつこ)」、「別(わけ)」、「稲置(いなぎ)」、「県(あがた)」とは、古代の日本にあったとされる地方行政の単位のことです。



ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

おしまい。
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