この記事は、穂吉のブログの「2012-09-24 16:38:50」にUPした『日本の神話133. ~第四部 大和~ =第十一章 垂仁(すいにん)天皇=』という記事を再編成してUPしています。
最初のお話し 『日本の神話01』 前回のお話し 『日本の神話132』
この回も、大君、活目入日子五十狭茅命(いくめいりひこいさちのみこと)(垂仁天皇(すいにんてんのう))様の御世のお話しです。
大君は、三宅(みやけ)の連(むらじ)らの祖先にあたる、多遅麻毛理(たじまもり)を、常世国という未知の異郷にお遣わしになり、「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」を探すよう命じられました。
ほうぼうを探し回った多遅麻毛理は、ついに常世国に着き「非時香菓」見つけ、その木の枝を八蘰八矛(やかづらやほこ)の形に設えて、倭へと持ち帰ったのでした。
ところがその時は既に大君はお隠れ(亡くなって)になってしまっていたのです。
嘆き悲しむ多遅麻毛理は、持ち帰った八蘰八矛の「非時香菓」を、四蘰四矛ずつ2つに分けて、分けた片方を皇后に奉(たてまつ)り、残り半分の四蘰四矛の「非時香菓」を大君の墓である御陵の入口にお供えたのです。
そしてその実を墓前に捧げながら、泣き続けられ、
『常世国の「非時香菓」を持ち帰りました。』
そう申し上げられながら激しく泣かれ、ついにはその場で亡くなってしまったのです。
この「非時香菓」とは、今の「橘」のことです。
そしてこの大君、活目入日子五十狭茅命様、垂仁天皇は、御年、153歳でご崩御されたのでございました。
また先にお亡くなりになられた、後の皇后、氷羽州比売命(ひばすひめのみこと)がまだご存命のおり、この大君、活目入日子五十狭茅命様は、殉職(じゅんしょく)を禁止され、その身の代わりに土器(どき)や埴輪(はにわ)を納(おさ)めるという風習をお作りになられた大君、天皇でした。
- 追 記 -
『「八蘰八矛」の「非時香菓」』の「八蘰八矛」とは葉っぱや木の実が付いた状態の枝を8本という意味だと穂吉はとらえてます。
『八』とは沢山という意味もありますが、『四蘰四矛ずつ2つに分けて』という部分もあるので、8本かなと?「沢山あるものを半分ずつにした」と捉えることも出来るでしょうが、あえて8本かなと?
つまり『挿し木に出来る状態にした枝を8本』と云う状態であろうと考えます。
「殉職」とは、「主君などの死のあとを追って臣下などが死ぬ(死に殉じる)」ことです。
主君の後を追って自ら命を落としたり、強制的に殉死させられる場合もあったようですが、それらの全てを禁止されたのが、この「垂仁天皇」です。
さて明日からは、『第十二代天皇 景行天皇』の章に入ります。
かの有名な『倭建命(やまとたけるのみこと)』様もご誕生あそばします。
また、読みに来てくださいね(*^_^*)
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
おしまい。