この記事は、穂吉のブログの「2012-09-23 16:10:07」にUPした『日本の神話132. ~第四部 大和~ =第十一章 垂仁(すいにん)天皇=』という記事を再編成してUPしています。
最初のお話し 『日本の神話01』 前回のお話し 『日本の神話131』
この回も、大君、活目入日子五十狭茅命様の御世のお話しです。
さてこのお話しは、前回のお話しよりも数年遡ります。
大君は、今は亡き最初の皇后の狭穂比売命(さほひめのみこと)様が、最後に言われたように、新しき后をお迎えすることにしたのです。
新しい后には、日子坐王(ひこいますのみこ)様の皇子で、丹波比古多多須美知能宇斯王(たんばのひこたたすみちのうしのおおきみ)様の娘の、氷羽州比売命(ひばすひめのみこと)様と、その妹の沼羽田之入毘売命(ぬばたのいりびめのみこと)(弟比売(おとひめ))様、このお二人と、更にその下のお二人の妹の姫様方とで合わせて四人の姫たちをお召し上げになったのです。
しかしいざ大君はお会いになられた時に、下のお二人は容姿がみにくいと言う理由で、実家にお返しになられたのでした。
この返されたお二人内の、円野比売命(まとのひめのみこと)様は、
『同じ母より生まれた姉妹なのに、みにくいからと返されてしまった。こんなことが広く皆に知られてしまうのが恥ずかしい。』
そう言われると、帰る途中の山城国のと云う所まで来た時に、木の枝にぶら下がろうとなさったのです。
そのことから、この地を「懸木(さがりき)」と呼び、今では「相楽(さがら)」と呼ぶようになりました。
一旦は思いとどまった、円野比売命様ではありましたが、山を登っていくうちに、とうとう険しい崖から水の深みに身を投げられてしまわれたのでした。
それでこの地を「堕国(おちくに)」と呼ぶようになり、今では「乙訓(おとくに)」と呼ぶようになったという、今回は、悲しいお話しと土地のいわれでした・・・
- 追 記 -
『日子坐王(ひこいますのみこ)』様は、『狭穂彦王の謀叛1~8』に出てきた、大君の一番最初の皇后、『狭穂比売命(さほひめのみこと)』様と、その兄で謀反人の『狭穂彦王(さほびこのみこと)』の父でもあります。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
おしまい。