「都会に引っ越してきてはいけません」という法律があった | いくつ知ってる?法律トリビア【第一法規】

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こんにちは、第一法規「法律トリビア」ブログ編集担当ですカナヘイピスケ

 

日本は人口減少社会に突入しました。

どの自治体も、地場産業を発展させたり、新たな企業誘致を図ったりするなど、

地方創生に取り組んでいます。

しかし、東京への人口集中は今も続いています。

とはいっても、どの街で暮らすかというのは自由に決められることで、

東京に引っ越してくるのを禁止することはできません。

自分がどこに住むかを自由に決められる権利は、居住、移転の自由として、

憲法にも書かれています。
 

日本国憲法(昭和21年11月3日公布)
 第22条

  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。


しかし、かつて、都会に転入してくることを禁止した法律がありました。

それは、「都会地転入抑制法」という法律です。

この法律は、1947(昭和22)年に、

それまでの「都会地転入抑制緊急措置令」という勅令を改正して定められました。

 

 

都会地轉入抑制法(昭和22年法律第221号)
 第1条
  この法律は、都会地における人口の過度の集中に因る窮迫した住宅、雇用及び食糧の事情並びに災害に対処するため、必要な轉入の制限をすることを目的とする。
 


このように、「都会地転入抑制法」は、終戦直後の状況で、

都会に人口が集中し過ぎることにより、住宅、雇用、食料の事情が悪くなること、
また災害対応の面から、他の土地から転入してくることを制限することを定める法律でした。

まず、転入ができないとされる「都会地」とはどこのことだったのでしょうか。

 

 

都会地轉入抑制法
 第2条第1項
  何人も、別表に掲げる地域内に轉入することはできない。・・・・・
 

条文には、「別表に掲げる地域内に転入することはできない」とあり、
別表には次のように書かれていました。

 

 

都会地轉入抑制法
 別表
  東京都
   特別区の存する区域
  神奈川縣
   横濱市
   川崎市
   横須賀市
  京都府
   京都市
  大阪府
   大阪市
   堺市
   布施市
  兵庫縣
   神戸市
   尼崎市
  和歌山縣
   和歌山市
  山口縣
   下關市
  福岡縣
   福岡市
   八幡市

 

この一覧を見ると、
東京、大阪、神奈川、福岡など、大都会と並んで、和歌山市、下関市といった、
それよりは小規模な都市が掲げられています。

これはどういうことでしょうか。

先ほど書いたように、この法律は、1946(昭和21)年3月の勅令にもとづいて行われていた
都会地への転入制限を引き継いで制定されたものですが、
その勅令の時代には、より多くの都市が指定されていました。

その後、食料や住宅の状況をふまえて、富山市と豐橋市が指定解除され、
さらに、この法律への改正に伴い、
函館、長崎、佐世保、名古屋、靜岡、岐阜、仙台、広島、呉が対象外とされ、
14都市が対象として残ったという経緯がありました。


〇例外的に、転入してよい場合とは

上に見たように、法律に掲げられた都市への転入が禁止されていましたが、
例外的に、転入先の市区町村長の承認を受けた場合は、転入できるとされていました。

そのように、例外的に転入が認められる場合とは、どのような場合だったのでしょうか。

法律の規定を見ると、国民生活の復興に必要な業務に従事している人や、
その地域内の官公庁に勤務する公務員、その地域内の学校の学生と、その人たちの扶養家族は、
転入が認められる場合とされていました。

 

 

都会地転入抑制法
 第2条第1項
  ・・・但し、左の各号の一に該当する者で当該地域内に轉入しなければならないやむをえない事由のあるものが、轉入先の市町村又は特別区の市町村長又は区長の承認を受けた場合は、この限りでない。

 

  一 國民生活を再興するため当該地域内において必須の業務に從事する者
  二 当該地域内に在る官公署に勤務する官公吏
  三 当該地域内に在る学校で都道府縣知事が指定するものの学生、生徒及び教職員
  四 前各号の一に掲げる者と同一の戸籍内に在る者でその者の扶養する親族
  五 外國又は外地から帰還する者
  六 当該地域内に在る社会事業施設に收容される者その他主務大臣の定める

 


○不正をして都会に入ると、罰金刑

この法律には罰則がありました。

それは、先ほどの、転入してもよいという承認を、不正な方法で受けた人は、

最高3000円の罰金刑などを科されるというものでした。

ちなみに、昭和22年当時の銀行の初任給は、220円でした。

 

都会地轉入抑制法
 第4條
  第2條の規定に違反し又は詐欺その他不正の方法により同條の承認を受けた者は、これを3000円以下の罰金又は拘留に処する。
 

○転入制限はいつまで続いた?

この法律は、公布の翌年である1948(昭和23)年の1年間、
有効な法律として用いられました。

 

都会地轉入抑制法
 附 則
 第1項
  この法律は、昭和23年1月1日から、これを施行する。
 第2項
  この法律は、昭和23年12月31日まで、その効力を有する。

今では、このような法律が作られることはなかなかないでしょうね。


(この記事は、2018年11月27日時点の法令情報に基いています)
 

 

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いかがでしたでしょうか。

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是非、次回もお楽しみにつながるうさぎつながる花1

by 第一法規 法律トリビア編集担当