材もよく、音色も澄んだ木魚を一ついただいた。手に取ると、ころりと愛らしい。あまりにも小ぶりで、打ち鳴らすというより、まず眺めていたくなる。
読経の場よりも、今は卓上が似合いそうだ。ふと目に入るたび、静かな響きが心の中に蘇る。音を出さずとも、もう十分に役目を果たしている気がしている。
材もよく、音色も澄んだ木魚を一ついただいた。手に取ると、ころりと愛らしい。あまりにも小ぶりで、打ち鳴らすというより、まず眺めていたくなる。
読経の場よりも、今は卓上が似合いそうだ。ふと目に入るたび、静かな響きが心の中に蘇る。音を出さずとも、もう十分に役目を果たしている気がしている。
船旅には不思議な縁がある。限られた時間と空間の中で、初対面とは思えない人に出会うことがある。船友の中にも、そんな存在がいた。
乗船二日目の朝、船尾で一眼レフを構え日の出を追う男性に声をかけた。大阪の「まっちゃん」だ。私より一つ年下だという。
足を痛め、癌で胃を摘出したと聞いたが、いつも穏やかな笑顔だった。
食事の席でも寄港地でも、自然と行動を共にしていた。多くを語らずとも通じ合う空気があり、前世からの縁ではないかとさえ思えた。
別れ際にハグを交わし、再会を約束した。次に会う日が、もう心に浮かんでいる。
別府に滞在していた新渡戸稲造さんが、ある日ふらりと本院のある日出町まで足を延ばされたという。城にほど近い料亭に腰を下ろし、静かに景色を眺めておられた。
目の前には別府湾。その向こうには高崎山がやわらかな稜線を描き、背後には山々が折り重なるように連なっている。湯けむりを抱いた別府の町並みが、その間にすっと収まり、海と山と人の営みが不思議な調和を見せていた。
その光景を前に、新渡戸さんは一言「東洋のナポリだ!」とつぶやいたという。
日出町資料館の一文を読みながら、同じ海、同じ山を、私たちもまた眺めている。時代は移ろっても、心を打つ風景は、静かにそこにあり続けているのだ。