ある日、葬儀社の方からこんな言葉を投げかけられた。
「住職の葬儀料(お布施)は、寺を維持するために必要でしょう。しかし、役僧として呼ばれた方が、わずか一時間ほどで数万円を受け取るのは、一般の感覚からすると高すぎるのではないでしょうか」と。
一瞬、言葉に詰まった。だが、否定できない現実でもある。僧侶の世界に身を置いていると、いつの間にかその“当たり前”に慣れてしまう。しかし、外から見れば違和感として映ることもあるのだろう。
私はこれまで、大きな葬儀であっても一人で勤めることを心がけてきた。そのため、他寺のように複数の僧侶を招くことはない。確かに、二人、三人と僧侶が並べば、読経の響きも厚みを増し、荘厳さも感じられる。いわば「整った葬儀」として受け取られるのかもしれない。
しかし、その背景には僧侶同士の相互扶助の関係がある。お互いに声を掛け合い、支え合う。その仕組み自体は尊いものだと思う。ただ、その負担が誰にかかっているのかを考えたとき、答えは明白である。最終的にはご遺族が担うことになる。
僧侶の人数が多いほど「ありがたい葬儀」とされる風潮が、もしあるのだとすれば、それは本質なのだろうか。故人を偲ぶ心や、ご遺族の悲しみに寄り添う姿勢は、人数の多さで測られるものではないはずである。
葬儀とは、本来、静かに故人を送り、残された者が心を整える時間であるべきだ。形式や見た目の立派さよりも、無理のない形で、真心を込めて営まれることの方が大切ではないだろうか。
だからこそ私は、できる限りご遺族に負担のかからない葬儀を目指したいと思う。華やかさではなく、誠実さを。数ではなく、心を。そうした積み重ねの中にこそ、本当の意味での「ありがたさ」が宿るのだと信じている。


