先日全国から前向きな僧侶が集まり、充実したセミナーを受講した。講師から「おたくは無宗派といいますが、元は何ですか?」と聞かれたが、この手の質問は多い。

そのほとんどが、「以前の宗派は何ですか?」ではなく、「元となる宗派やお経は何ですか?」なのです。『うちは何方にも属さない、完全な無宗派単立です』この答えでは理解できなくて、言葉が足りないようだ。

禅宗の住職でありながら、「何宗のお経でも唱えます」と、真言でも題目も念仏も唱えていた方がこれまでに二人おられた。その一人はキリスト教の教会に行き、天理や金光も自ら進んで学んでいたが、最終的には神道を好み、最後はそこで亡くなられた。

その影響も少しあってか、他宗教や他宗派に対してのわだかまりがなく、私はどの宗派のお経でもありがたく唱え、讃美歌も歌う。

宗祖が素晴らしい教えを説きながら、それを都合よく歪曲していくのが組織だと思う。信者を増やせ、大殿堂をつくれ、寄付を集めろは、組織がそうさせる。原点に戻るときだと思います。
今日は年金の手続きをするため、役所にうかがった。事前に電話で確かめたが、役所の手続きはややこしく面倒。いつもはスタッフに行かせて済ましているが、今回は年金だけに私がおもむいた。

以前「消えた年金」で調査してもらった嫌な思い出があり、それも2度調べてもらったのだが「記録にありません」と冷たい返事。住職である間は寺から給料をいただけるが、年金だけでは生活ができない。という事は、死ぬまで住職として働けということなのだろう。

満額を受け取れば10年で元を取り戻せるというが、私のように消えた年金を差し引くと長生きをしないと取り戻せない。坊守も同じようにかけていたので同じ。

この件は相互扶助と考え、1度も貰えないで亡くなる方のことを考えると、感謝しなくてはいけませんね。
昼過ぎから時間をいただき、別府別院→大分別院→日出本院と移動した。時間の余裕があったので、電動アシスト自転車をこいだのだ。

「住職、それだけの距離でバッテリーがもちますか?」『大丈夫!電動をオフにして負荷をつけ、老体にムチを打って鍛えるんじゃ』といっても、急坂はオンにして楽々走行。

というよりも、スピードが25kmを超えると勝手にオフになる仕組みで、オンにしても作動していないのだ。元トライアスリートはサドルにまたがると、ムキになってこぐ習性のようだ。

年金受給者となったが、「健全なる肉体に  健全なる精神が宿る」無理のないように、鍛えます!