その家では以前、先代住職の時代に高額な費用を納めて生前戒名をいただいていた。もちろん家族は、その戒名が故人の戒名になるものと思っていたので、保管していた書類を現住職に見せた。
すると返ってきた言葉は「その戒名は先代の時ですから、私の代には通用しません」というものだったそうだ。にわかには信じ難い話である。
戒名とは本来、仏弟子としての名前である。俗世の名前が親からいただくものであるならば、戒名は仏の弟子として歩む証しとして授かる名前である。まして生前戒名は、生きているうちに仏弟子となる決意を表すものであり、その意義は住職の代替わりによって消えるものではない。
もし住職が代わっただけで無効になるのであれば、それは戒名ではなく商品ということになってしまう。
もちろん事情を詳しく聞かなければ分からない部分もある。しかし、話を聞く限りでは「先代のものだから認められない」という理屈には無理があるように思える。
寺院は代々続いていくものであり、住職個人の所有物ではない。先代が授与したものを後代が受け継ぎ、守っていくのが本来の姿ではないだろうか。もし代替わりのたびにすべてが無効になるのであれば、過去帳も位牌も法名も成り立たなくなってしまう。
近年「生前戒名をいただきたい」という相談を受けることがある。その時、私は必ず戒名の意味を説明するが、これからはもう一つ確認しておくべきことがあるのかもしれない。
それは「将来住職が代わっても、その戒名は引き継がれますか」ということである。
まさかそんなことを確認しなければならない時代が来るとは思わなかった。しかし現実にそのような話がある以上、後になって困らないためにも確かめておく必要があるだろう。
仏教は本来、人を安心させるための教えである。ところが、その教えに携わる者の言動によって人々が不安になるとしたら、それほど悲しいことはない。
戒名とは、お金で売り買いされるものではなく、仏縁の中で授かる尊い名前である。その原点だけは、いつの時代になっても忘れてはならないと思う。

