長い付き合いのある住職が、葬儀や法事の金額をはっきりと掲げるようになった。時代の流れを思えば、それ自体は一つの誠実さとも言える。曖昧さが安心につながらない世の中で「見える化」はむしろ歓迎されるべきことなのかもしれない。


ただ、その額面を見たとき、胸の奥に小さな違和感が残った。他と比べても、かなり高い。思い切って本人に尋ねると「うちの宗派には格式があるから、このくらいが妥当だと思う」と静かに答えた。


その言葉を聞きながら、私はふと立ち止まる。果たして“格式”とは何だろうか、と。


思い返せば、宗祖が歩まれた時代は、今よりもはるかに厳しい世の中だった。貧しさにあえぐ人々、行き場のない者たち。その中に身を置き、同じ目線で語り、決して無理を強いることなく、ただ教えを説き続けた。その姿に、人々は救いを見出し、自然と手を合わせたのではなかったか。


そこにあったのは、格式ではなく、寄り添う心だったはずである。


時代が変わり、寺を維持することの難しさは増している。現実的な問題として、一定の収入が必要であることも理解できる。しかし、その根底にあるべきものまで変わってしまってよいのだろうか、と自問する。


「これくらいが妥当だ」と決める前に「誰のための寺なのか」と問い直すこと。宗祖の言葉や生き方に、もう一度耳を傾けること。それは懐古ではなく、これから先も寺が寺であり続けるための、大切な作業のように思える。


格式とは、掲げるものではなく、にじみ出るものなのかもしれない。


今から18年前、別府別院を立ち上げようとしたとき、まず頭に浮かんだのは仏像と仏具のことだった。信仰の拠り所となるそれらがなければ、寺としての姿はどうにも整わない。しかし現実は厳しく、建物だけで手一杯。必要と分かっていながら、すべてを揃える余裕など到底なかった。


そんな折「処分してほしいものがある」と声がかかった。聞けば、ある寺院が多額の借金を抱え、その抵当として仏像や仏具が差し押さえられたのだという。行き場を失ったそれらは、あまりに量が多く、引き取り手もなく、ただ持て余されていた。


「処分してくれればいい」という話で引き受けたものの、いざ中を見て驚いた。そこにあったのは、使い古された品ではなく、むしろ真新しい仏像と仏具が一揃い、整然と納められていたのである。まるで、誰かが次の居場所を待っていたかのように。


不思議なものだと思う。こちらが困り、どうにもならないと感じているときに限って、必要なものが思いがけない形で目の前に現れる。人の縁というのか、仏の導きというのか、理屈では説明のつかない巡り合わせがある。


振り返れば、これまでも幾度となく見えない力に支えられてきた。そのたびに思うのは、自分の力だけでここまで来たのではないということだ。あのとき手にした仏像や仏具もまた、単なる「物」ではなく、多くの事情や思いを背負いながら、ここへ辿り着いたに違いない。


だからこそ、今こうして日々手を合わせるたびに、その巡り合わせの重みを感じる。困難の中で与えられたものほど、深く心に残る。誠に、ありがたいことである。


26年ブログを書き続けていると、不思議なもので、自分の内側だけでなく、他寺の様子にも目が向くようになる。最初はただの日々の記録であったはずが、いつしか「これはどうなのだろうか」と感じる出来事に出会うと、言葉にせずにはいられなくなる。


もちろん、誰かを批判したいわけではない。あくまで注意喚起のつもりであり、同じ道に身を置く者としての小さな提言のつもりで書いている。しかし、そうした文章に対して、ときどき僧侶の方から警告や忠告をいただくことがある。


中には名乗られない方もおられ、返事のしようもない。ただ、その文面の端々から伝わってくるのは「もしかして自分のことではないか」という不安や緊張である。書いた側としては特定の誰かを指しているつもりはなくとも、読む側の心に引っかかる何かがあるのだろう。


言葉とは不思議なもので、発した側の意図を超えて、受け取る側の心を映し出す鏡のような働きをする。


私はもともと、長いものに巻かれることが得意な性分ではない。良いか悪いかは別として、違和感を覚えたことには、どうしても目をつぶることができない。そして幸いにも、組織のしがらみに縛られない単立寺院という立場にあるからこそ、思ったことを率直に言葉にする自由を与えられている。


その自由は、決して好き勝手に物を言うためのものではなく、寺院という場所を少しでも良くしていくための責任でもあるのだと思う。


耳に痛い言葉ほど、受け止めるのは難しい。けれども、その中にほんのわずかでも気づきの種があるのなら、それは決して無駄ではないはずだ。


これからも、波風を恐れずに書き続けていこうと思う。誰かを傷つけるためではなく、寺院運営の一助となることを願って。