父親が27歳で寿司屋を開店させた時、

私は1歳で妹は0歳だった。



父親は54歳でアルコール性の肝硬変になり、その後も酒を飲み続けて60歳で亡くなった。


私は後を継ぐことを目標にして父親と寿司を握っていた。


アルコール依存症で酒を飲み続ける父親が身体を壊していく姿を横目にしながら、見殺しにすることしかできなかった。



    

父の酒と私の酒の振り返り



父親が亡くなり、寿司屋の二代目になった私は35歳だったがすでにアルコール依存症だった。


「父親とは同じにならないぞ」と思ってみたり、「もう充分にアル中だよ俺は」と自己嫌悪をしたり不安で鬱症状もあった。


私は結局、父親よりも10歳早くアルコール性の肝硬変になり、アルコール依存症の専門治療のある精神科病院に3ヶ月間入院をした。


退院と同時に寿司屋を閉店して5年。

私は断酒を続けられていて、第2の人生を生きている。


父親の人生はなんだったのか。

私が生きているのは何のためなのか。


同じテーマでたまに考える。


3パターンのアルコール依存症者


アルコール依存症者には主に3つのパターンがあると思っている。


①→心身は健康だが、酒を飲み続けてアルコール依存性になっていく人。


②→心身の病気を抱え、アルコール依存症になっていく人。


③→トラウマを抱え、アルコール依存症になっていく人。


この3パターンで、これら3つが絡み合ってアルコール依存症になる人もいる。


私と父親は、

③のトラウマを抱え、アルコール依存症になっていく人。にあてはまる。


しかし同じトラウマ体験を持つアルコール依存症者であっても、私と父親では時代と環境に差があった。


私のトラウマ


私は幼児期に育児放棄をされるという環境の中で育っていた。


『良い子でいれば両親から愛情を貰える。』と解釈をし、本心を殺して生きていた。


自分の幼少期に体験したトラウマに気付けず、恨みの感情を様々な方面に撒き散らしたタイプだった。


クラスや部活で目立つ役割りをやたら引き受けたがる。


気持ちもないのに『大きくなったら“すし屋”になる。』と言ってみる。


一方では、絶対に見つからない万引きを繰り返す。早い年齢からの恋愛依存。引きこもり。


人前では八方美人なのに、裏では悪いことはバレなければ何でもしている。


幼児期のトラウマ体験で獲得した愛情飢餓感は、私の不安の原因であり続け、最後には「俺は酒を飲んで死ぬ。」というまでになった。


44歳で精神科病院に入院するまで解消されることはなかった。


いや、私の場合は退院後に寿司屋をやめ転職して、断酒会に入り、ブログに体験を書き、自分を振り返り、認めて、ようやくトラウマ体験から解放されていった。


意識していた訳ではなかったが、時間をかけて認知行動療法を続けていた結果、生まれてから身に染みついていた恨みの感情を、認めては解き放つを繰り返していた。


父親のトラウマ


一方父親はというと、私と同じくトラウマを抱えてアルコール依存症になったタイプであった。


ただ、私と違ったのは時代の差。


父親の生き時代は、自身のトラウマ体験を吐き出す術がない時代だった。


私からみて祖父になる、父親の父は大正生まれの戦争体験者。戦時召集で20代に2度、支那に行った。


辛くも生きて帰国した祖父だったが、仕事も家族も、友人も結婚も、戦争によって全て塗り替えられたかの様な人生だった。


あの時代、全ての日本国民が同じく壮絶な体験をして、話す事がはばかれるようなことも沢山あったわけで、、


そんな両親を持つ父親の人生の中では、父親は自身のトラウマ体験を「意識して、認める」ことができなかった。


高校卒業と同時に寿司屋に弟子入りして、少しでも早く独立開業したいと27歳で寿司屋を開業した。


借金を返し、私たち子供に飯を食わせ、客の注文に追われ、来る日も寿司を握るしかなかった時代。


自分のトラウマ体験を振り返る時間なんて、かた時も無かっただろう。


いつしか父親はアルコール依存性になり、医師から「アルコール性の肝硬変」と診断を受けた。


「このまま酒を飲み続ければ、6年は生きられません。」と言われても、その頃にはもう酒をやめられない体になっていた。


息子の私に「酔っ払いは店に出るな。」と言われ、朝から家にこもり酒を飲み続けた。


入退院を繰り返し、正常な人間の見た目とは程遠い姿になっても酒への渇望はおさまるところを知らず、命は無くなった。


振り返る時間の無い、走るだけ走った末の死。


認める時間「ある」「なし」


私と父親には同じくトラウマ体験があった。

私には、その体験を振り返る時間があった。

父親にはなかった。


父親と同じ年代でも、たくさんの断酒経験者がいるわけで、一概に時代の差とはいえない。


いえないのだが、それでも私と父親との時代の差はある。

それはここ20年での精神科医療に対する意識の変化であるし、私と父親、生まれて来たそもそもの目標が違っていたからということにもなる。


しかし、ここで父親のアルコール依存症を取り上げたのは、父親はトラウマと向き合って生きたかったのか。という事だ。


父親は医師に「このまま飲酒を続ければ、命が無くなります。」と言われたのにもかかわらず酒を飲み命を落とした。


それはアルコールが薬物であることの証明でもあるが、当時私が今ぐらいアルコール依存症治療に知識があり、父親に対してアプローチをしてみたところで、父親の人生は幸せになり得ただろうか。


かなり前のブログでも書いてあるが、父親は早くして酒で命を縮めたが、父親らしい人生であったし、私が酒をやめるようアドバイスをしたところで結果は変わらなかった。


父親は自分を認める時間が欲しかったのではなく、自分らしく生きたかった。


父親の人生には、振り返りの時間を目的に入れてなかった。


というのが、断酒5年の私の考えだ。


トラウマを抱える依存性者が断酒する時には


私と父親のようにトラウマを抱え、アルコール依存症になっていく人であっても、まず断酒するのか、断酒が必要ないのかが違う。


また、お酒の害からの回復を目指し、トラウマ体験を認めて振り返りをしたい私のようなタイプ。


トラウマを認めたくないが、断酒をして回復をしたいタイプの依存症者もいる。


トラウマが昔のこと過ぎて、記憶が本当に無く思い当たらないタイプと様々だ。


トラウマ体験を持つアルコール依存症者でも、本人の環境によって回復への過程、目的が違うということを認識したいと思う。


という記事になった。











記事の最後に、父親の魂の幸せを願う。