台千五十四話 | 台所放浪記

台所放浪記

料理とか随想とか

前回からの続きです。

当時の日本で、黒人奴隷が一般的な存在であったとは考えられま

せん。弥助は極めて特殊な例だったはずですが、それでは奴隷と

いう身分についてはどうなのかと考えると、これは普通に存在

していました。戦禍や災害等によって発生した寄る辺のない

天涯孤独のような人々が乞食となったり、それよりはマシだと

いうのでどこかの家で召し使われたりしていたはずで、武田信玄

は、戦で落とした城に籠っていた武士ではない非戦闘員を連行

して、市でこれはいくらあれはいくらと値段を付けて売り飛ばし

ていたという記録が残っています。

 

豊臣秀吉がキリスト教を禁止した事について、宣教師らが日本人

の奴隷を母国に輸出していた事が逆鱗に触れたのが原因で、

彼を現代人的感覚の正義の体現者というような解釈をする人が

ありますが、自分はこれは秀吉を美化しすぎだと思います。

宣教師のザビエルが、大内氏の領土を通行していた時に、道沿い

の子供らが「この坊さんは、神様は一つ、嫁さんは一人、何でも

一つでなければならんと言うとる阿呆坊さんじゃ」と囃し立てた

という話がありますが、秀吉の場合もこれに近い異国や一神教に

対する無理解と敵愾心が、禁教という措置につながったと想像

しています。晩年の朝鮮出兵や、実姉の子である豊臣秀次を切腹

させた際に、秀次の側室、幼児、乳母、侍女に至るまで一人

残らず処刑している事を考えると、人身売買なんて許せない!

というようなクリーンな道徳的正義感の持ち主であったとは到底

思われません。

 

日本の戦国時代の身分というのは、キリスト教圏の西洋諸国と

比べて曖昧な部分が多く、契約書等によって「はい、君は今日

から自由人。あなたは来月から奴隷の身分」というように、

厳然とした区別が存在していなかったように思います。先述の

天涯孤独のような人が、武士の家で召し使われるうち、郎党に

なったり、出世して侍や武将になるという例も多くありました。

長いので、さらに次回に続きます。