前回からの続きです。
当時の日本で、黒人奴隷が一般的な存在であったとは考えられま
せん。弥助は極めて特殊な例だったはずですが、それでは奴隷と
いう身分についてはどうなのかと考えると、これは普通に存在
していました。戦禍や災害等によって発生した寄る辺のない
天涯孤独のような人々が乞食となったり、それよりはマシだと
いうのでどこかの家で召し使われたりしていたはずで、武田信玄
は、戦で落とした城に籠っていた武士ではない非戦闘員を連行
して、市でこれはいくらあれはいくらと値段を付けて売り飛ばし
ていたという記録が残っています。
豊臣秀吉がキリスト教を禁止した事について、宣教師らが日本人
の奴隷を母国に輸出していた事が逆鱗に触れたのが原因で、
彼を現代人的感覚の正義の体現者というような解釈をする人が
ありますが、自分はこれは秀吉を美化しすぎだと思います。
宣教師のザビエルが、大内氏の領土を通行していた時に、道沿い
の子供らが「この坊さんは、神様は一つ、嫁さんは一人、何でも
一つでなければならんと言うとる阿呆坊さんじゃ」と囃し立てた
という話がありますが、秀吉の場合もこれに近い異国や一神教に
対する無理解と敵愾心が、禁教という措置につながったと想像
しています。晩年の朝鮮出兵や、実姉の子である豊臣秀次を切腹
させた際に、秀次の側室、幼児、乳母、侍女に至るまで一人
残らず処刑している事を考えると、人身売買なんて許せない!
というようなクリーンな道徳的正義感の持ち主であったとは到底
思われません。
日本の戦国時代の身分というのは、キリスト教圏の西洋諸国と
比べて曖昧な部分が多く、契約書等によって「はい、君は今日
から自由人。あなたは来月から奴隷の身分」というように、
厳然とした区別が存在していなかったように思います。先述の
天涯孤独のような人が、武士の家で召し使われるうち、郎党に
なったり、出世して侍や武将になるという例も多くありました。
長いので、さらに次回に続きます。