冒頭部分だけ時間差で後から書いていて不自然ですけど、
案件ゲットおめでとうございます。やったじゃん!すげー!
観る観る観る観る。これが良い宣伝になって雪崩現象で他の起用
にもつながるといいですね。自分にとってもこれは横やり入らず
で公然と視聴できる大好機。がつーんとぶちかましてくだされ。
あとねー、御園座からきたっぽい人がミュート解除してくれて
いて、現地の雰囲気の片鱗だけでも窺い知る事ができました。
ベリーハッピー&多謝多謝。
唐突にすみません。ここからが本来予定していた記事です。
現在ストック持たずで、時間的に差し替えは不可能でした。
インターネット動画のインタビューを見ていたら、日本在住7年
だというアメリカ人男性曰く「アメリカに住んでいた時は
社交性を求められていたが、日本に来てからは無理に社交的に
ふるまう必要がなく自然な自分でいられて、こっちの方が性に
合っている」との事でした。ここでいう社交性とは、道端で
知らない人と出くわした際の挨拶からのちょっとした会話という
事らしいですが、自分もそういうのが得手ではないので、日本
生まれ日本育ちで助かっているんだなあと思いました。
別の動画の日本在住のアメリカ人男性の配信主によると、その手
のちょっとした会話というのは、日本社会に置き換えるとすれば
会釈やお辞儀のようなもので、会話したからといって、その相手
と気が合うとか仲が良いという訳ではないのだという事でした。
それでも前述の男性や自分にとってはハードルが高いというか、
〈何気ないちょっとした会話をしてすぐ切り上げて下さい〉
とか〈何か面白い事言って〉みたいな。自然さを装えば装う
ほどぎこちなくなりそう。人間、向き不向きがありますからね。
以前に掲載した動画で「アメリカは自由の国じゃない」と語って
いた人がありましたが、同調圧力的にそういう社交性が求められ
て、それが個人に対する重圧になっているのだという意味では、
主張としてこれと似ている部分がありますね。そう考えてみる
と、本音と建前というのは、社会が考える平均値としてそれが
許容され得る状況というのが異なっているだけで、日本以外でも
存在しているような気がします。日本人的な感覚からすると、
話したくないのであれば、道行く知らない人と話をしなければ
いいじゃない?と思うんですけど、アメリカ人の平均的感覚から
すると、そういう部分ではずいぶんフランクなんだね君たち。
というような。この話題のまま次回に続きます。