台九百九十八話 | 台所放浪記

台所放浪記

料理とか随想とか

冒頭部分だけ時間差で後から書いていて不自然ですけど、

案件ゲットおめでとうございます。やったじゃん!すげー!

観る観る観る観る。これが良い宣伝になって雪崩現象で他の起用

にもつながるといいですね。自分にとってもこれは横やり入らず

で公然と視聴できる大好機。がつーんとぶちかましてくだされ。

あとねー、御園座からきたっぽい人がミュート解除してくれて

いて、現地の雰囲気の片鱗だけでも窺い知る事ができました。

ベリーハッピー&多謝多謝。

 

唐突にすみません。ここからが本来予定していた記事です。

現在ストック持たずで、時間的に差し替えは不可能でした。

インターネット動画のインタビューを見ていたら、日本在住7年

だというアメリカ人男性曰く「アメリカに住んでいた時は

社交性を求められていたが、日本に来てからは無理に社交的に

ふるまう必要がなく自然な自分でいられて、こっちの方が性に

合っている」との事でした。ここでいう社交性とは、道端で

知らない人と出くわした際の挨拶からのちょっとした会話という

事らしいですが、自分もそういうのが得手ではないので、日本

生まれ日本育ちで助かっているんだなあと思いました。

 

別の動画の日本在住のアメリカ人男性の配信主によると、その手

のちょっとした会話というのは、日本社会に置き換えるとすれば

会釈やお辞儀のようなもので、会話したからといって、その相手

と気が合うとか仲が良いという訳ではないのだという事でした。

それでも前述の男性や自分にとってはハードルが高いというか、

〈何気ないちょっとした会話をしてすぐ切り上げて下さい〉

とか〈何か面白い事言って〉みたいな。自然さを装えば装う

ほどぎこちなくなりそう。人間、向き不向きがありますからね。

 

以前に掲載した動画で「アメリカは自由の国じゃない」と語って

いた人がありましたが、同調圧力的にそういう社交性が求められ

て、それが個人に対する重圧になっているのだという意味では、

主張としてこれと似ている部分がありますね。そう考えてみる

と、本音と建前というのは、社会が考える平均値としてそれが

許容され得る状況というのが異なっているだけで、日本以外でも

存在しているような気がします。日本人的な感覚からすると、

話したくないのであれば、道行く知らない人と話をしなければ

いいじゃない?と思うんですけど、アメリカ人の平均的感覚から

すると、そういう部分ではずいぶんフランクなんだね君たち。

というような。この話題のまま次回に続きます。