台八百七十四話 | 台所放浪記

台所放浪記

料理とか随想とか

前回からの続きです。起こっていない過去の想像としては、

台所が学生時にまだ学生運動のブームが続いていたとしたら

それに参加しただろうかと。多分、加わらなかったと思います。

桐島容疑者らの政治思想に全く共感できないのと、法と言語学に

ついて勉強する過程で政治理論や思想史は避けて通れない

ので、一通り勉強はしましたが、理想の政体について探求したり

その実現を目指すというのとは学問の根本動機が異なっていて、

共産主義だか無政府主義だかを実現するために国や現体制を

打破しましょう!と言われても「は?」みたいな。

 

報道によると、死亡した桐島容疑者の遺族(親類)は、遺体の

引き取りを拒否したそうで、さもありなんという感想です。

そこで思い出したのは、かなり昔に読んだ寺田克也の【6時の

サイレンでぼくらは走って家に帰るのだ】(COMIC CUE Vol.5

イーストプレス)という漫画。あらすじは、主人公と友人が公園

で遊んでいるうち、同い年ぐらいの見知らぬ少年と知り合って、

一緒に遊び続けます。主人公がふと公園の時計を見ると夕方の

6時前になっていて、もっともっと長い時間遊んでいたような気

もしたものの、夕ご飯の時間なので少年と別れて友人と2人で家

に帰ろうとします。別れ際に見知らぬ少年は楽しく遊べたお礼に

と言って、トレカの超超レアなカードをくれました。主人公達と

別れた後の少年が語る独り言「そのカードは子どもの願いを叶え

てくれるんだ。それを持っていれば、ずっと子どものまま永遠に

遊んでいられる」(註・うろ覚えのため要約です)。続けて

「ただ、僕もそろそろ家に帰りたくなったからさ」という台詞で

アップになった少年は、姿形だけは子どものままで、その顔は

寂しそうな笑みを浮かべた皺だらけの老人に変わっていました。

主人公が走って帰る途中で、ズボンの後ろのポケットから貰った

カードが転がり落ちる場面で物語は終わりですが、めちゃくちゃ

怖かったのを覚えています。

 

何が悪かとか、その軽重というのは個人によって感じ方の差が

大きいですが、爆弾テロで死傷者を出すというのは、まごうかた

なき悪だと思います。そこから約半世紀の逃亡、本名で死にたい

という思い、後悔、捜査官に「警察には自分は勝った」と語った

勝利宣言、親類による遺体引き取り拒否。う~んという感じ。

後悔先に立たずというか、人生には二度と戻れない分岐点の

ようなものがあって、悔いの無いよう一生懸命生きるって

大事だなと考えさせられるニュースでした。