さてさて、またサークルの話。

この前、といっても10月22日(かなり前!)、

近くのE塚市で、

Eづかどんたく宿場まつり(表記ミスあるかも?)

が開催されました。


このEづかどんたく宿場まつりを知らない方は、

どんなあやしい人たちがどれだけ放送コードぎりぎりの仮装で出てくるのかと、

おっかなびっくりな心境でしょうが(それはない)、

1日目は踊りの競演会、2日目は武者行列がメインという、

それだけのお祭りです。


また武者かよ!

と思われるかもしれませんが、

私たちが出たのは初日の踊りの方。


私たちのサークルは幾年もこのイベントに出続け、

今年でもう5年目。

ここ3年ほどは、しつこいぐらいにE塚市のことをネタにした

いえ、題材にした楽曲とダンスでコンテストにトライしてきました。


そのまま最優秀賞の高みへとタッチダウンできればよかったんでしょうが、

毎年なんか知らんけどその賞を逃し続け、

一番のニアピン賞が一昨年の優秀賞。

賞金は10万円。

その半分は、主にE塚市の商店街でしか使えない伝説のローカル商品券


今年こそは取ってやるぞ!!と。

それで早5年です。



初参加だった4年前はどんな曲だったかというと、

それこそパラパラアレンジの炭坑節


そして2年目は炭坑節を沖縄っぽくアレンジ(アバウト!)したやつ。


ここまでがひとつの区切りとなります。

3年目から今年までが、私たちの新境地を開拓することになった、

(内輪の)人呼んで“E塚三部作”での挑戦となったわけです。


3年目は三部作の筆頭、「E塚川筋応援歌」。

この年はE塚市が水害に遭い、

かのK穂劇場も水没してしまった年です。

E塚がんばれ!!という気持ちで踊ったものです。


4年目は「E塚ラブファン富(トム)」。

E塚は宿場町だよ、という曲。


そして5年目となる今年、記念すべき三部作の最終章、

E塚-EZUKA-慕情」がお目見えしました。

イニシャルトークなもんで、すっげー書きづらかった。

この曲では、これまでの私たちの特徴にもなっていた、

ガンガンいく「祭りじゃ~!!」という勢いは抑え、

ちょっと小粋な感じ、カルい感じの踊りにしました。

まあ曲が曲だったもんで、そういう踊りの方が合った、と思う。


で、今年はこの曲でいこう、と。


ついでに、前にここで少し紹介したんですが、

サークルの女子メンバーを集めた、

女子十二楽坊みたいなチーム名のも一緒に出そう、と。


このチームは強いんです。

踊り、衣装、女性、平均年齢20歳ぐらい、厚化粧(殺される!)という、

要するに審査員のおっさん方から

点数をぶん取る要素満点なチームなんです。


これを出せば確実に賞が取れるという自信があった。

あと、1チームだけで出ると皆ステージに乗れないってことと、

他にも出したいチームがあるけど実質無理でせめて1つはってのと、

ライバルとして競い合えば技術の向上が図れるというのと、

私たちの演目「E塚-EZUKA-慕情」では、

ちょっと賞を取る自信がなかったからと、

あと、いろいろ出れば楽しいだろう、と。

なんか様々な理由から両方出しました。




そして肝心な結果は?

というところで次回。

夢に小泉首相が出てきた!!


これだけでもレアなことだと思います。

しかし、私の見た夢は、

小泉首相が終戦頃にタイムトラベルしたのを追って、

私も同時代に行くという、なんともSF調なもの。

このネタは書かずにいられるか、と。

でも、ただ書くだけじゃ面白くない。

ちょっとお話をつくってやれ。

というノリで、K氏や彩都くんが登場することと相成りました。



本来夢って一瞬ですよね。

細切れのようにいくつかのシーンが見えるだけ。

それなのに頭が話をつくって、それらをうまくつなげている。

そんな感じがします。

少なくとも、私の見る夢はそんな感じです。



だから、今回長く続いてきた話も、

思い出してみれば10にも満たないシーンから、

勝手に広がった話です。

書き進めながら、頭のなかで勝手に話が広がっていくんですから、

ある意味で夢と同じつくられ方をしているといえるでしょうか。


私が本当に見た夢は、

①小泉さんが原爆投下を食い止めに過去に行く

②私もそれを監視するために過去に行く

③小泉さんとは会えないまま、トヨタ製の人工衛星墜落現場に居合わせる

④それにびびった連合軍が原爆投下を敢行(一気に2つも)

⑤過去は変えられず、現代に連れ戻される私

⑥小泉さんは現代には帰れず、冷凍睡眠装置で現代まで氷漬け

⑦テレビをつけると、小泉さんが厚生労働相になったことが報道されている(!)

⑧「小泉さん、がんばるなー」と思う私

以上の流れが猛スピードで過ぎていくものでした。


ダラダラと書いてきて、全12話となりました。

自己満足の一品ですが、よければ読んでいただけると嬉しいです。



しかしこの夢は一体、私のどういう内面の現れなんだろう???

   味の濃さ:   こいめ

  こってり度:    なし

   にんにく:   1/2片分

     ねぎ:    青ねぎ

チャーシュー:    あり

 秘伝のたれ:    基本

 麺のかたさ:    かため

  オプション:   とりあえずラーメンを食する前後に半熟塩ゆでたまごを1個ずつ食べます。

            あと、私は福岡県在住ですが、北九州市の方の一蘭にしか行ったことないので、

            煮たまごや究極の酸味は知らないですねえ。

そして当日。


私は数人を連れて、その他メンバーより一足先に現場近くの体育館に到着。

早速、そこに待機していらっしゃった(鎧の)着付けの人により、

私への甲冑の取り付け作業が開始されました。


私が到着した時間は、もう武者行列が出発した後でしたので、

(鎧の)着付けの人は手持ち無沙汰な状態でした。

ですから、鎧を着て踊ることについて、いろいろ相談することができました。

その結果、兜はつけないことに決定。

(鎧の)着付けの人も、役場職員の方も反対したんですが、

これは私の強い希望でそうさせてもらいました。

なぜって、

兜というものは結構重く、

これをつけて存分に踊り狂った場合、

首が折れるからです。


それは言い過ぎ。

でも、本当に首を痛めそうだったので、

残念ながら兜はつけないことにしました。

その代わり鉢金をつけました。



甲冑の装着が完了したら、急いで現場へ。

この道中、私は甲冑を着た状態で車を運転しました。

なかなかチャレンジャーでした。

なぜチャレンジャーだったのかわからない方は、

試しに甲冑着て運転してみてください。



私が甲冑を着て踊るという衝撃的事実を、

サークルのほとんどのメンバーが知らなかったため、

騒然とする現場。

まあ、知ってても騒然としたでしょうね。



いよいよ本番。

まず会場に武者行列が到着。

そのタイミングで私たちが踊り始める。

という計画でしたが、少しトラぶったため、

武者たちが完全に陣を敷いてからスタート。


毎年、このタイミングで踊っていたのは、

この町の婦人会の方々のみであったらしいです。

私たちのような団体がここで踊るのは初めての試みなのです。


珍しがった目でこちらを見てくる武者たち。


そして、私も武者。


炭坑節を踊る武者。

パラパラを踊る武者。

踊っている最中に甲冑の紐が絡んで

四苦八苦する武者。



踊り終えての感想は意外にも、

「あ、こんなもんか」

といった感じでした。


普段とはちょっと違う衣装でやってみました。

そんな感覚。


不感症でしょうかね。


しかし、実際にそうだったのだから仕方がありません。



だがしかし、後でビデオを見てみてびっくり。

炭坑節の輪の中に一人武者が混じっているのは、

極端に不自然な光景でした。


あんなことを私はやったんだな。

びっくりだけれど、面白い。

良い体験をさせてもらいました。



そう、確かに面白かったんですが…


長をはじめ、担当職員の方々、

次回は是非、

武者行列の方に参加させてください。

やった!!

最終話だ!!!



長きに渡ってだらだらと書いてきたこの話も、

いよいよ最終話となりました。


この試みははっきり言って自分への挑戦だったわけで、

自分に打ち勝てたかどうかはわかりませんが、

たぶん、たまに妥協が入っていることから、

負けたのではないかと推測できます。


でも書き終えた。




まあなんかいろいろ言っててもあれなんで、

では、最終話 はじめ!!



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目的がどうであれ、動機の原点が過去のある一点ならば、

それを変えることはできない。





「お疲れさまでした。これでプログラムは終了です」

装置の蓋が開く音と、白衣の男の愛想のない声が混ざる。

ここははじめの研究室か。

「プログラム?」

私は斜めに立っている装置から出ながら、白衣の男に訊いた。

「そう。新しく導入予定の危機予測プログラム。

微細なことまで設定でき、あらゆる事態の予測が可能となる。

この装置はそれをVRで体感し、

主体がプログラムに直接働きかけることができるようにするもの」

「VR?ヴァーチャル・リアリティか」

それがわかったところでどうにもならず、他については一向にわからない。

私はこの装置で60年前に行ったはずではなかったのか。

「あなたは今回の被験者として推薦されて来たのでしょう。

お忘れですか?」

「いったい何のことだ?」

まだ頭のなかに靄がかかっているような感じだ。

「おやおや、困りましたね。

まだ意識がはっきりしていないのかな。

しかし、このプログラムにそこまで入り込めるとは、

被験者として推薦されるだけはある」

白衣の男がまた愛想なく言った。



危機予測プログラム、被験者…



さっきまでのあれはすべて仮想現実世界の出来事だったのか。

にわかには信じられない。

あの街並みも、夜の酒場も、人工衛星も、K氏も、彩都も…

彼の言う通り、すべてはあのような事態を想定し、

そのプログラムが私に見せた、一瞬の夢のようなものだったのか。



いや…


「まあ、終わったのなら帰るよ」

私がそう言うと、装置を見つめていた白衣の科学者はこちらを向き、

「はい。お疲れさまでした。“箱”はお返しください」

と言った。

私は内ポケットから“キャラメルの箱”を出し、

白衣の男に手渡した。

研究室から出る間際、最後の質問をする。

「このプログラムと装置はどこが開発したんだ?」

「これは豊田製ですよ」

また装置に目を向けつつ、白衣の男は答えた。

私はその返答を聞いてから、実験室をあとにした。



私は自宅に戻った。

散らかった室内。

出る前とまったく同じ状態である。

しかし、それは錯覚だ。

どんな物でも、時間の経過に伴って、

目には見えないところで絶えず変化し続けている。

変化しないものなどないのだ。


白衣の男の言ったことは、私が装置に入る前後で、

かなり食い違っている。

私の考えが正しいのならば、彼の言葉の一つひとつの真偽よりも、

食い違っている、という事実の方が重要なのだ。


つまり、変化したのである。



久しぶりにテレビをつけてみる。

ちょうどK氏のインタビューが始まるところだ。

テレビのなかのK氏は、以前テレビで見たときと、

また、60年前の首相官邸で会ったときと、

まったく変わりないように見える。

しかし、彼もまた変化し続けているのだろう。


「総理はまた新たに一期勤め上げることになったわけですが、

今期の抱負をお願いします」

「私は最近まで長く眠っていたので、

今期は精力的に改革に乗り出すつもりです」

「眠れる獅子が起きる、ということでしょうか?」

「はは、そうですね」


私は今から60年前の、終戦直前の東京にいた。

確かにいたのである。

私が体験したあのすべては、現実に起こったことだったのだ。

K氏は失敗し、二つの原爆が日本に投下された。

それは変えることのできなかった過去である。

逆に、変わってしまった過去もある。

豊田の発展については、やはり現代からアプローチがあったのだろう。

K氏のタイムトラベル計画の首謀者は、もし原爆投下阻止が成功したなら、

現代の技術を使って戦争に勝つことまでも画策していたのではないか。

そのために、豊田に現代のテクノロジーを吹き込んだのではないだろうか。

K氏がその計画まで知っていたかどうかはわからないが。


よくよく考えてみれば、現代のタイムトラベル技術も、

現代のテクノロジーのみで可能になったのかどうかはあやしいものである。

そこにもまた未来からの関与があったのか。

しかし、それを考えてみたところで、真実はわからない



「靖国参拝はまだ続けられるおつもりですか?」

「はい、このことにつきましては、外交問題との絡みもありますが、

何度も申し上げている通り、靖国神社参拝は私個人の問題として、

今後も続けていくつもりです」


あの時代にいながらにして何もできなかった、

己のなかの罪悪感と無力感がそうさせるのか。



記者会見はなおも続く。

K氏はインタビュアーの質問の一つひとつに、丁寧に答えていく。

私は無感動にその光景を見続けている。


私とK氏は紛れもなくあの時代にいたのだ。



「プライベートの方は最近どうですか?」

「プライベートですか。困ったな。

そうそう、この間、一番下の息子が10歳になりました」

「それはおめでとうございます。元気に育っていってほしいですね」

「はい、それについては安心していますよ。

彩都には将来、いい友達ができるみたいですし」



fin




祭り当日より数日前に担当職員の方と打ち合わせをしました。


数日前というのは、打ち合わせ時期としてはかなりぎりぎりなんですが、

長の思いつき(私たちが出演すること)によって、

ぎりぎりにしか当日のプログラムが組めなかったことによるみたいです。


ごめんなさい。


その打ち合わせでは、

まず職員の方から当日の武者行列との私たちの絡み方を説明されて、

次に私たちから演目をどうするかを伝えて、

その後細かい詰めをしていくうちに、職員の方が一言、

「代表者(橙)の方の甲冑は用意できますので」





うおい!



キタよー。




さすがに無茶な提案だと思っていたので、

長の言いだしたことだけれども、その実現は難しいだろう、と。

そうのん気に構えていました。


「いえ、ですから、さすがに甲冑を着ていては踊りにくいですので…」


私の精一杯の抵抗の声が響きます。


「面白いですよ。着ましょう着ましょう」

これはそのときに同席していたサークルメンバーの言葉。


おいおい、職員の方も含めて、

君たち私のことを考えてないでしょう。



でも、私も人の子。

ちょっと、ちょっとですよ、
実際に私が甲冑を着て踊ったら、面白いかなー

って思いました。


ちょっとですよ。



で、何を血迷ったか、

「わかりました。面白そうなのでやりましょう」

とか言ってしまった。



これが果たして間違いだったか、正解だったか。




まあ、わかっていらっしゃるでしょうが、


正解でした。

そんな感じで、カチャーシー騒動の敬老会の2Daysをこなしました。

(9月半ばに、です。かなり時間が経ってる)


2日目のステージ後、晴れ晴れとした気持ち

笑顔満点さわやかさん2人(私と幹事長)が長のところに行き、

「この度は本当にありがとうございました!

 また何かあるときはよろしくお願いします」

と、やはりさわやかに謝辞を述べました。

そのとき私たち2人が本当にさわやかだったかどうかは、

これまた記憶にありませんので、スルーしてください。


そしたら長が、

「お、おお、ご苦労さん。

 これからもどんどん自分たちを売り込んでいかないといかんよ。

 おーい、秋祭りはいつだったかな?」

と言いましたものですから、心踊りました。


敬老会を経て、この町はもう私たちにとってお得意様です。

信頼でき、また条件もいい(ここ重要)。

だいたい秋になると、ほとんどの土日に出演が入っているといったように、

私たちは秋こそがんばり時で、かつスケジュールがパンクするんですが、

この町からの依頼であれば、うまく空いていれば是非とも入れたい。


「10月の16日ですね」

と答える課長。


「スケジュール的には問題ありません」

と言う私。


そして長からの提案が。

「ではその祭りで踊ってくれ。

 その日は武者行列があって、合戦をやるから、

 君たちは踊りで仲裁をやる役で登場というのはどうだ?

 代表者は甲冑を着て





……?

あ、はい。




面白すぎます、それ。






「そうですね」

とコメントする課長。



いやいや、肯定派ですか。

この状況でツッコめるのあなただけだよ。

ツッコミがボケに回っちゃだめだよ。



うちの幹事長も興奮していました。



私は言いました。

「さすがに甲冑を着ていては踊りにくいですね」



なによ。


なんだろう、この、

一番まともなこと言ってるのに、

私一人だけおかしいこと言ってるみたいな状況は。



「では、また詳しいお話をしたいと思いますので、

 明日か明後日にでも電話します」

と、早速まとめにかかる課長。


さすが、段取りの仕方をわかっていらっしゃる。


このように、流されるが如く話は進んでいきました。



しかし、長の案(甲冑以外)はすばらしいと思いました。

斬新というか、私たちにとっては新鮮な一時になりそうな予感がしました。


合戦の仲介をするために、踊る。


普段は祭りなどのステージ出演しかしていませんから、

ストーリーのなかに私たちの演目が取り込まれるというのは、

いまだかつてありませんでした(私の記憶が確かなら)。



まあ結局、うちのメンバーにとって一番新鮮だったのは、


私が甲冑を着て踊ったことですが。

そして当日。


敬老会は18日、19日の2日に分けてありました。

その両日に私たちは出演しました。

なぜ2Daysか。

その理由は、行政職員の方の話を要約しますと、

「町が広いので、1日で全部のおじいちゃんおばあちゃんを集めるの無理」

ってことでした。


つまり、1日目と2日目ではお客さんが総入れ替えされるということ。

なんか、劇団とかで公演を行っている気になりますね。

本当はなりませんでしたけど。


まあ、要するに、1日目も2日目もフレッシュに行かなきゃいけない

しかし、裏返せば、両日同じことやっていいということ。

演目間のMCも、同じこと言っていいということです。

これはある意味気分が楽でした。

お祭りに呼ばれて、

「午前と午後の2ステージ頼みます」

ってこともあるんですが、

それよりは格段にやりやすかった。


今回は若い風を取り入れようということで、

今年4月から新入部員としてメンバーに加わっていた、

通称ルーキー組をほとんどメインで使いましたよね、幹事長。

まあ人が足りなかったということもあるような、ないような。

いやいや、ルーキーはもう立派にやれるんだよ。

やってくれなきゃ、むしろ困る。


後進の教育は、いきなり実戦投入するのが一番ですね。

緊張しているのを見ていて楽しいから。

ショック療法…とはかなり違うけど、

そういうショックで大きく育っていきなさい。



ひょっとこさんたちが登場して、

こんなこというとおこがましいですが、

ステージを温めていただいた後、

私たちの出番がきました。


いつも通りのステージングをしました。

このいつも通りのことをやるというのは難しいことです。

私はこのサークルでの活動は5年目です。

ステージ出演回数はおそらく100回を超えています。

そして責任者をするようになって、

だんだんと思うようになってきたことですが、

出演の先々でいつも同じことをやれるというのは、

非常に難しく、そして大切なことなんです。

これは論理的にそう思うわけではなく、

半分以上は感覚的にそう思っているのですが。

ただ、毎回同じ動きで、同じことしゃべって…

というのとは違います。それはそれですごいですけど。

つまりは質の問題ですね。



私たちのステージが終わったら、

満を持してカチャーシー総踊り突入です。

まず、私が会場中の人にざっとカチャーシーの説明をしました。

「長寿・健康であることの喜びを踊りで表現しましょう」

などと言って、

「それでは早速、曲に合わせて踊ってみましょう」

と、時間もないので口上も短く、総踊りに入りました。


カチャーシーってなんやろ、

みたいな顔でぽかんと眺められるのではないかという、

敬老会担当職員の方と私の予想を裏切り、

おじいちゃんおばあちゃんたちの反応は良かったです。

皆さん座ったままでも、手を上げてひらひらと踊ってくれました。


音楽が流れてきたら楽しくなって、

会場中の通路で踊っている私たちや婦人会、

行政職員の方々の真似をして、

思わず踊ってしまったというおじいちゃんおばあちゃん。

長生きするよ。

そういうことが大切な気がします。



2日とも楽しくやらせていただきました。

私たちの不安をよそに楽しく踊ってくれた、

おじいちゃんおばあちゃんに感謝。

これだからやめられません。

たとえ無茶な頼みだったとしてもね。


そして私たちに目をかけてくださっている、

長をはじめ職員の方々、婦人会の皆さん、

毎度毎度ありがとうございます。


2日ともカチャーシー中に長を中心に連れ出してしまい、

すいませんでした。

皆さん楽しんでくれたので、それでよしとしてください。

課長の頼みだったので、それで仕方なしともしてください。



これでカチャーシーの話は終わりです。

終わりにさせてください、職員の方々。

まあ、またカチャーシーでお呼びがかかったら、

もちろん出ていきますけどね。

だって私が蒔いた種だもの。


さて、次の話題はどうしようかな。

この町のお祭りに出演させてもらい、

私が甲冑を着て踊った(長からの指令)

という話を紹介しようかな。



目をかけていただいて本当に嬉しく思いますが、


長、無茶言い過ぎ。



そしてそして、かなり間が空いてしまいましたが、

カチャーシーの続きを書いておこうと思います。


むしろ1を消してしまえばいいような気もしますが…



それで、どうやったらそれっぽく見えるかということを、

いろいろ考えて追求していきました。

私の頭のなかで。

そして考えること5秒ほどで、

あ、もしかしたら関係者(行政の方含めた)にも、

本場のカチャーシーを知っている人はいないんじゃないの?

ということに思い至りました。


そこからは脱兎の如き勢いで逃げの方向へ。

といってしまえば言葉が悪いですが、

他に表現する言葉が見つからないので、

まあ、そんな感じでした。


逃げたといいながらも、

一応教則ビデオ(を大幅に省略した)の通りにメンバーに教えました。

まだまだ覚えているもんですね。

一生忘れません。

あのビデオの先生の、

「肩がこりこり鳴ってくると、少しずついいですよー」

という意味不明なコメントは。


ここで注目すべきは、私が教則ビデオの通りに教えたということ。

前回、春頃にカチャーシーについて書いたとき

(婦人会の方々にカチャーシー指導をしたとき)、

書いたと思いますが、私もビデオでカチャーシーを勉強したんです。

元々知っていたわけではありません。

私の出身は岡山県で、沖縄に行ったことは観光で2回ほど。

カチャーシーを身をもって知っているわけではないんです。

それこそ、以前の指導のときも付け焼刃だったわけで。


こんな私をはじめとするうちのサークルに、

カチャーシーを教えられた婦人会の方々。

かつ今回の敬老会では我々が中心となって、

会場全体でカチャーシーを踊ろうという、

そんな計画を立てた行政の方々。

本当に不憫な…

いや、不憫なのは私たちなのかも…

うん、そうかも。



しかしまあ、カチャーシーというのは手順や、

決まったシークエンスがあるわけでもなく、

単純に“喜”を表現して踊り回るというものらしいので、

本場を知らなくてもいいのではないかという、

そんな言い訳も思いつきます。


私は今までに2度沖縄に行きました。

そのときにカチャーシーを少しは見ましたが、

自分が踊れるようになるまで見学したわけでもないし、

ましてや人に教えられる段階に達しているわけでもありませんでした。

でしたが、まあ、ビバ教則ビデオということで。



終わる予定だったんだけどな。

次に続くみたいです。←他人事

あとは当日のこと書いて終わりです。

コアな人にのみうけるだろうと思ってつくったものは、

実際に衆目に晒してみると、結構うけたりする。


今回がそうでした。

いや、そうだと勘違いしてしまっていました。


我々は3回踊る機会があったんですけど、

踊った回数が増えるごとに、

「筑豊ろめんてぃっく学園、イイ!!」

と言ってくれる人も増えていきました。


3回目のアクロス福岡シンフォニーホールで踊ったときには、

我々のことを心底気に入ってくれたご一家(たぶん家族)に、

声をかけられ、言ってしまえば絡まれました。


気に入っていただけるというのは本当に嬉しいことです。

前回で勝手に紹介させていただいた、

タスマンさん、むすびさん、

アクロス前で声をかけてくださったご一家をはじめ、

我々のダンス、曲などをイイと思ってくれた方々、

本当に 本当にありがとうございますm(_ _)m



と、感動と感謝の念に浸っているときに気づいたんです。

確かに、我が学園のことを気に入ってくださった方は何人もいました。

いましたが、それはサバをよんでも20人ほど。

観客動員数が数万人というふくこいアジア祭りにおいて、

その数字の小さいこと。


やっぱり我々は

コアな方狙い

だったわけでございます。


前回、ちょっと触れましたが、

我々は惜しくも決勝に残れませんでした。


しかし楽しかった。

やっぱり祭りはいい。

よさこいは去年のソーラン以来1年ぶりでしたが、

やはりいいもんですね。


「まち全体が自己表現の場となる」(荒内 2004)


また機会があれば出たいと思います。


コアな人たちはそれまで指をくわえて待ってなさい。





筑豊ろめんてぃっく学園をつくりあげるために、

ご尽力を賜りました方に謝辞を述べたいと思います。


とか言ったら固いので、ふつうに。


今回の功労者は、なんといっても幹事長。

準備から当日の仕切りから、何から何まで、

よさこい常連(ということにして)の幹事長じゃないと、

できなかったでしょう。

本当にお疲れさまでした。


そしてそれに伴って幹事局の皆。

大人数をしきるのは容易ではないけど、

テンパりながらもよくがんばった。

お疲れさまでした。


副代表、そして寮生の皆。

ネクタイ作りお疲れさまでした。

最後の最後にバタバタさせてごめんなさい。


曲づくりに始まり、試験前のお忙しいときにも

適確なアドバイスをくださった総代。

ありがとうございました。

本番ではVo.お疲れさまでした。


すべてのメンバーへ。

私のいろいろなわがままを聞いてくれて、

かつそれに付き合ってくれて、

本当にありがとうございました。


深夜のテンションでつくられた学園。

我々が集まれば不可能はない(コア向けには)。

また一緒にやろう!!



って、もうしっかり次の予定が決まっているんですが。





P.S.

 タスマンさん、筑豊ろめんてぃっく学園を本当に気に入ってくださって、

 本当にありがとうございます。 

 タスマンさんは我々の楽曲をラジオで流そうという、

 ある意味でテロのようなことをしようとしたわけですが、

 それは成功したのでしょうか?

 筑豊にはあなたの発信するメッセージは届きませんが、

 これからもお仕事がんばってください。

 テロまがいのことはやめてください。


 むすびさん、我が学園のことをご自分のブログで紹介していただき、

 そしてむすびさんのなかの感動大賞に輝かせていただき、

 まことにありがとうございました。

 「ろめんてぃっく」で検索してくる者は、

 おそらくすべて学園関係者でしょう。

 ご迷惑をおかけします。

 トラックバックを快く了承していただいたことも感謝しています。

 またブログを覗かせていただきます。





最後に

 結構ひた隠しにしてきた私のブログ。

 「ろめんてぃっく」でYahoo検索すると、余裕でヒットするようになりました。

 そのとき僕は本当に驚いた。