ナルコレプシー症候群(居眠り病)の検査を受けに行く話 | 人生を無駄にするんじゃないブログ

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基本はハロプロを中心としたイベントやライブの感想ブログです。
他にも映画・読書・漫画・雑記等、も加える予定です。キーワードはとにかく思いついたら書いてみる事です。
最近は人生の岐路に立たされてるのでそれ系の内容も・・・。

自分の体の中で、何かがおかしいという気はしていた。

当時の自分の体に起きていた異変を振り返る為、この文章を記す。
そしてこの文章は、自分もしくは他者が必要と思えばすぐにでも参照できる必要がある。その為のブログ記事として残す。

 

病院で血液検査と尿検査の結果用紙を受け取る。
特に異常数値なし。

生まれついてのIGA腎症という腎臓の病だった私は、大学生の時に先進治療を行った。
(喉の扁桃腺を切除後、3週間かけてステロイド剤を錠剤+点滴で打ちまくるという内容)
それ以来ありがたい事に進行は止まり、寛解(かんかい)という小康状態を保てている。
今回の検査も半年に一度行っている予後観察の一環で、一度も異常値が出た事は無い。

そんな腎臓の脅威もとりあえずは去った中で、新たな症状の自覚がある。

それが「ナルコレプシー症候群」。通称、過眠症。
読んで字のごとく、制御できない眠気に襲われる症状である。
前日の睡眠時間などは関係無く日中、突発的に堪えがたい眠気に襲われ気絶するように
眠りに落ちてしまう。それを2~3時間の周期で繰り返すのが一般的なようだ。

そんな症状が、社会人を始めて1年経った辺り(2012年頃)から顕著に現れ始めた。

とにかく仕事中にとてつもない眠気がやってくる。
元々、私は夜更かし気味でもあったし、集中力が無い人間だ。
それ故の眠気だと思っていた。
そこでまず睡眠時間を確保し、無理してでも仕事に対して興味・関心を持つ。
その状態で出社しても眠気は揺らがなかった。

しかもその眠気はうつらうつらと「波が揺らぐように少量ずつやってきて、やがて眠りに落ちる」の黄金パターンでは無い。PCの電源を切るように瞬間的に何の前触れも無く寝てしまうのだ。

 

1度Excelで作業をしていた時、腰の位置が気になり座り直した瞬間、頭がガクッと落ちて瞬間的に眠ってしまった事がある。前触れは何も無かった。
他にも会議中にメモを取りつつ発言者の方を向こうと頭を動かした瞬間、眠る。
文を書いていた最中にいきなり思考能力が急低下し、瞬間的に寝落ちしてしまう。

まるで意識の糸をブツッと切られたように瞬間的に眠りに落ちる。

どちらかというと失神に近いかもしれない。そしてすぐに意識を取り戻し、

どうして今自分が意識を眠ったのかを理解しようとするが、出来ない。

これまでの人生で経験した事のない「眠気の現れない眠り」の発症だった。

こんな風に私は不可解な眠りにたびたび襲われるようになった。

(例え前日に8時間弱の睡眠を取った日でさえも!)

 

また別のパターンとして突如、津波のように強烈な眠気が押し寄せる事もあった。

「眠いな」程度の眠気では無く、意識を無くす以外の選択肢が無いほどの重いものだ。

まるで眠気が黒いモヤとして現れ、脳みそをスッポリ覆い隠してしまうかのようだった。

こうなると話そうとしていた内容や入力しようとしていた計算式は消し飛ぶ。

というより分からなくなる。余りに眠すぎて思考をするという余裕が無くなるのだ。

カフェインや目薬も効かず、ふらふらと会社のトイレに逃げ込み、数分眠る。

トイレ避難が出来ない時は強く唇を噛み、飛びそうな意識を繋ぎとめる。
その間、眼球が瞼の中で勝手にゴロゴロと動き始め、それが治まるとようやく眠気が去る。
そんなこんなで何とか眠気を払っても、数時間後には同じ症状に襲われるのが常だ。

特に恐ろしいのは仕事中、襲ってきていた眠気がいきなり消し飛ぶ時だ。
そういう時は確実にデスクの上で寝てしまっている。
眠りに落ちた事も気づかず、どれだけ眠ってしまっていたのかも分からない。
そんな時の周囲の白い目は本当に忘れられない。

それと同時にほぼ毎日のように就寝時に金縛りにあっていた。
最早それは睡眠の為の通過儀礼のようになっており、「まず1回金縛りにかかって幻覚や
幻聴を解除してようやく普通の眠りにつく」というのが習慣になってしまっていた。

ここまで書くと単純に「ストレスによる症状では?」という気もしてくる。
事実、私もそれを疑った。

だけど、それでは説明できない別の症例と直面する事となる。

ある夜、私は趣味のジョギングをしていた。
当時はSDカードに録音した伊集院光さんの深夜のラジオ番組をジョギングのBGMにしており、
軽快でギャグセンスに満ちた伊集院さんのトークを聴きながら走るのが大好きだった。

不意に伊集院さんのトークがツボに入り、走りながら笑ってしまった瞬間。
全身の力が急に抜けて、両足で体を支えられなくなる。危うく転倒してしまいそうになった。慌てて近場の柵を掴み、態勢を立て直すも未だかつてない経験に私は動揺した。

運動中であった為、発作を疑ったが体にそれ以上の異常は見られない。

 

これ以降、「心から笑った時」「上手い事を言えた時」などプラスの方向で感情が動いた時、不意に体から力が抜けてしまうようになった。
これも全く理解の出来ない現象だった。


ただし、この脱力症状は仕事においては余り害を成さなかった。

問題と言えばやはり「2パターンの制御しえない眠気」である。

勤務時間中に眠そうにしている、トイレで眠る、これを繰り返している社員を会社は「やる気が無い」「怠けている」と判断する。加えて当時はストラテラによる投薬治療を行っていなかったものの不注意優勢型のADHD(多動性注意欠陥障害)の気もあった為、私の人事評価は地を這うものであった事は想像に難くない。

 

こうした状況の中、私は「笑う 脱力」というワードでグーグル検索をかけた。
この不可解な現象のヒントでも見つけ出せれば良い、と考えたのだ。

 

結果、たどり着いたのが「ナルコレプシー症候群」という病名である。
その解説を読んだ時、私は戦慄した。この病の症例と自らに起きている現象が酷似していたからだ。

 

日中の強烈な眠気はそのまま。
毎日起こる金縛りは「頻発する入眠時幻覚」として紹介されていた。
そして、笑うと起こる脱力には「情動脱力発作(カタプレキシー)」という名がついていた。

 

この時点で、私は自身がナルコレプシーである事を確信した。
強烈な眠気と金縛りは、他の睡眠障害でも起こりうる可能性がある。
だが3つ目のカタプレキシーに関しては、ナルコレプシー特有の症状と記されていたからだ。

 

この事実を知った時、わずかに安堵した。

私を苦しめていた症状の正体が分かった事に対する安堵。

加えてIGA腎症と併せて600人に1人というこんな厄介な症状が出てしまった事への恨み。

 

そんな感情が混ざる中で、私はある選択をした。
それは「ナルコレプシーの検査を受けない。」
というものであった。実に愚かな選択だ、と今でも思う。


ナルコレプシーの検査を受けて診断を下されてしまえば、既往症にナルコレプシーと記さねばならなくなる。そうなっては、今の仕事はクビになるだろう。また、転職においても頻繁に眠りこけてしまう人間などどこにも雇用されないだろう。

もしも病院で検査と診断を受けてこの病名を確定させてしまえば、人生が終わる。

この先、一生仕事に就けなくなる。そんな確信めいた物が自分の心の中にあった。

結果として私は、自覚がありながら自身のナルコレプシーをスルーする事となった。

 

だが、蓋を開けてみればその時の仕事は去年(2015年)に辞める事となる。

そして未だ健在のその症状は次の就職へのプレッシャーとしてなっている。

結局避けた事が、現状をより悪い結果へと導いてしまったのだ。

 

とにかく現状は悪い。打破する為にはやはりこの病と向き合わねばならない。

そう考え、今度の8月の頭に予約をとり専門外来へ向かう事とした。

結果、どうなったかについてはまた別の記事にして更新したいと思う。

 

・・・ただ万が一、検査を受けて「異常なし」と診断されてしまうケースが恐ろしい。

ここまで延々と書いてきた眠気に関する事実と、脱力減少(カタプレキシー)があっても

医師が「そうでない」と判断してしまえば、ただの詐称となってしまう。

1日入院の上で、睡眠時の脳波測定を行う事で症状の有無の診断を下すという話だが、

睡眠時の私の脳波はどうなっているのだろうか。考えても仕方ないが、やや不安だ。

また仮にナルコレプシーの診断が降り治療が開始されても、投薬中のADHDは
未だ健在でなおも牙を剥いている。こちらもまた就業の妨げになる症状だ。

 

とにかく現状から一歩抜け出し、より良い未来を掴む為に。

出来る行動から初めて行きたいと思う。

 

 

ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。

 

追伸:

 

たびたび「てんかん」の症状を持つ方が自動車事故を起こす件を聞く。

運転中に症状が出てしまい、そのまま運転不能になった車が事故を起こす。

自動車事故は本人の身ならず周囲の命も巻き込んでしまう重篤なものだ。

 

この報道を聞くと多くの方は「症状を自覚しているのに運転などとんでもない」と

憤りを覚えると思うし、また私もその感想は至極真っ当であると考える。

 

ただこの裏には「てんかん」を自覚しながらも職を失う事を恐れ、言い出せないまま運転をしている方々の存在がある。そして私はどうしてもその方々に同情的になってしまう。

 

誰にだって生活がある。養わなければならない家族もいるかもしれない。

生きていく為には働いて生活費を稼がなければいけない。

そうなると易々と仕事を辞めるわけにはいかない。

 

勿論、本人の状況に合わせた仕事を選ぶ事は非常に大切だしその努力をすべきだ。

そうでないと自身も周囲も不幸にしてしまう可能性が高い。

だが、それも容易にいかないケースも多々あるだろう。

簡単に「そうすればよい」という正論で片づけられる話では無いと思えてしまうのだ。

 

毎日祈るようにして職場へ向かう。

 

「今日は症状が出ませんように」

「上手く1日を終えられますように」

 

そんな声が私には聞こえてくる。

そして、その声は確実に私の中からも発せられているものなのだ。