参加しました。
お話の内容を伝えたい人がたくさんいます。
様々な精神疾患で苦しんでいる友人、知人。
家族をサポートしている人。
なんとなく楽しくない人生だと感じている人。
うまく伝える自信はありません。
お話を聞きながら、私がメモしたことを羅列致します。
なんの義務でもないのですが、この機会を記しておきたいという思いから。
[コロナ・パンデミックに関連して]
・引きこもりを強要される状況は、「内省」を突きつけられる状況。好ましい状況である。
・ソーシャルディスタンス、という言葉は1960年代にエドワード・T・ホール氏の著書『かくれた次元』の中で、「4つの対人距離 ①密接距離 ②個体距離 ③社会距離 ④公共距離」として取り上げられていた。
①0〜45cm 親子、夫婦・恋人同士
②45〜120cm 個体間
③1.2〜3.5m 容易に会話ができる距離
④3.5m〜 見渡して話ができる距離
・電車も客席もぎゅうぎゅう詰めだったこれまでが異常!もとからゆったりしていたらよかったのに。この際、ソーシャルディスタンスの良さ、心地よさを社会に取り戻したら?
・効率化のためにぎゅうぎゅう詰めを強いられていた。他人と密接し過ぎることによる害は多々ある。
・「メメント・モリ」死を思え、「カルペ・ディエム」今を生きろ。この2つを突きつけられる時代と言える。
[美とは]
・テレビ番組を見ると…サブカルチャーは溢れているけれど、カルチャーはどこへ?
生きることを深いところから活気付けるのが文化であり、美ではないか。
・人間国宝、染色家 志村ふくみさんの言葉。「今、このきびしい時代に必要なことは…究極は美しいこと…ですよ。知識なんかじゃない、必要なのは美ですよ。悲しいこと苦しいことも含めての美…。
・美しいものは、私たちに何を伝えているのか。美しいものの奥には“真理”がある。
[病について]
・どんな病であれ、その意味を読み取っていく作業が必要である。「なんで、そんなことが起こるのか」「なぜそう考えるにいたったか」精神の歴史を紐解きする作業。
・例えばパニック障害。今にも死んでしまうかのような体の状態が、「本人の中から」起こる。それは、「今のあなたで死ねますか?」という意味が含まれていないか?どこか自分を偽っているということはないか?考えていくと、あっと気付くことがある。
・例えばうつ病。頭と心の不一致が体レベルに現れると、、、食べられない、眠れない、やる気が出ない…となる。
・頭・心・身体の図
(これは泉谷先生の著書に必ずと言っていいほど登場する、先生の考え。)
頭=must、should 非自然、コントロール
心=want to〜 自然原理、したいしたくない、好き、と言った内からの発動。矛盾がない。
「あなたの人生が変わる対話術」より
・人間だけが“自己否定”をする。“責任感”なんてことを考える。
・心の部分に美がある。
・頭の方が優秀?いや、頭は後から。頭の支配が強まるとクーデターが起こる。心は体と繋がっているから、体レベルに症状が現れる。
・頭と心のハイブリッドで動いているのが私たち人間。
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以上がメモの書き起こしとなります。
以下、私の考え…思うこと。感じたこと。
かつて、私も「うつ病」と診断された時期がありました。
そうなる前に、全身に重症な蕁麻疹が出たり、血圧の調整ができなくなったり、様々なSOSが体から出ました。
「仕事は好きなのに。仕事に行きたいのに。」と、ずっと言ってました。そう思ってました。
でも…それは頭の声だった。
あたかも心の声ですあるかのように偽造された声だった。
だって、仕事辞めたら、一気に元気になったものヽ(´▽`)/
身体が教えてくれるのです。
「今の、その生き方でいいの?」
と。
身体の声を聞きましょう、というのはそういうことではないでしょうか。
それと、美について。
泉谷先生のお話しを聞きながら思い出したのは、画家、岸田劉生が書いた『美の本體』。
ずいぶん昔に読んだきり、手元に本も無いのですが、美の核心に迫る重厚な本だったと記憶しております。
美の本體。それは、、、、、心。
本の中身、そのことだけは覚えています。
心
なのです。
どう感じるか。
どう感じ取れるか。
「普通」に違和感感じる方の感性、大事です。大好きです。これからの社会に必要です、その感性。
『「普通」に慣れきって、なんの疑いもなく、本当はやりたくもない「普通」に従っている方。お気の毒様、と思って優しく接してあげましょう。』
ともおっしゃっていました、泉谷先生。
豊かで自由な生き方が増えますように…
やはり…まとまりの悪いレポートとなってしまいました。
私自身の覚書として。
お読み下さった方、希有な方です!
ありがとうございました!