病院の行き帰りは、施設のかたが送迎してくださるので(父親もその車に同乗してくる)、私は病院へ直接行けばよい。
最近、母親は元気で落ち着いている
病院の待合では、トンチンカンながらも会話が成立するし、私や父親のこともわかっている。
車椅子を私が押す態勢になると、途端に馬鹿丁寧に敬語で喋ってくれるんやけどね。
車椅子を押す→押している人の顔は見えない、声だけ→職員さんにでも押してもらっていると思うみたい
幻視も少なく、頭がクリアな感じ。
何より嬉しかったのは、その日私はオレンジ色のカーディガンを着ていたんだけれど、母親が、
「それ、綺麗な色やな」
「似合うわ」
と言ってくれたこと。
褒めてくれたのが嬉しかったのと違うよ(それもたしかに嬉しいけど)、目の前にいる私の着ているものに視線がちゃんとあって、意識がいったということに、びっくり。
嬉しかった。嬉しかった。嬉しかった。
何回書いても、足りないくらい
久しぶり。きっと1年ぶり。
1年前までは、よく服を褒めてくれていた。
(一般的にいうと、センスはまったくないので、褒めてくれるのは、母親くらいのもん)
「いい色やなぁ」とか、「可愛いい柄やなぁ」とか。
私の幼馴染も1年前、同じ施設に入所されていたお父さんのところに行った時に、うちの母親に会って、「服を褒められた」と言っていた。
それがいつのまにか、まったく言わなくなっていた。
言わなくなったというか、誰が何を着てるとかそういうところに目がいかなくなっていた。
あんなに花が好きだったのに、散歩中に花を見せても興味を示さないというか、視線がまったくいかない。
もう目に入っても、認識出来てないのかなぁと思っていた。
今ならまたお散歩して、お花も少しは楽しめるかも。
今、何咲いてる?←花音痴なもんで
数ヶ月前よりも、回復してる感じのこの頃。
こんなこともあるから、人間の身体(頭)は不思議やね。
まぁまたすぐ逆戻りするかもやけど。
この頃、母親は施設にあるお人形がお気に入りのよう。
ぽぽちゃんくらいの大きさのお人形。
抱っこしたり、話しかけたり。
もう少し小さな犬やペンギンやクマのぬいぐるみには、まったく興味を示さず、ベッド脇にほったらかされているのに。
もしかしてもしかして最近の平穏は、お人形が脳にいい影響を与えているの?
そんなこともあったりして。
娘が、「そうなんちゃう?それならぽぽちゃん買ったげよか」と。
うーん、ぽぽちゃんやないけれど、こちらのお人形はどうかな?
娘のお人形。
そういうと、母親にお人形のマフラー編んでもらったりもしたわ。
今は娘の机の本棚に、ずっと座ったまま。
抱っこされることも、もう何年もない。
お風呂に入れてあげて、髪の毛も三つ編みをほどいて綺麗にして、試しにご対面してもらいましょかね。