Power of all 大なるままに -14ページ目

ザギンでペリドン

Power of all 大なるままに-2009062802130000.jpg
車検から無事に戻ってきた愛機に、意味もなく多乗している。



「たかだか車の点検をするのに、なぜこんなに金がかかるのだろう。」





私の懐から無数の諭吉が飛び立ち、車屋と国の財布に納まっていった切なさはかなり大きかったが、オーバーホールを受け、元気になって戻ってきた愛機は、少し嬉しそうな表情をしているように見えた。




街中ではそのデカイ図体が災いし、肩身狭そうに走っている愛機。だが環二や産業道路など、比較的スピードを出せる広い道を走る時は、タイヤがしっかりと地面を噛み、強くしなやかな加速を見せてくれる。









「三井君…君がいてよかった。」






その加速に満足した私の脳裏に、湘北高校バスケ部監督・安西先生の言葉が浮かんだ事は言うまでもない。



ハンドルを握る私の細い指先が、最近お気に入りのディスコ・ヒッツのメロディーに合わせて、小刻みに動き出す。











私は以前から、



[八十年代カルチャー]


に、深く傾倒している。











生まれたのは八十三年なので、その時代の記憶はほとんど無いし、子供として生活していたバブル期に、羽振りのいい思いをしたわけでもない。


従って、私がその時代の文化に触れる接点はテレビの映像や書物、音楽なのだが、その文化は私の中に何の違和感もなく染み込んでおり、それらに接しているときには、私自身の


[コア]



が、強く刺激されるのを実感する。












ヒップホップはいい。









レゲエもカッコいい。











しかし私の血を腹の底から揺さぶるのは、






[テクノ]





[ディスコ]



である。









学生の頃、私の周りの友人達は、ベストを着たり、ズボンを下げて裾を破いていたり、剥げたローファーの踵を潰して歩いたりとルーズにしている事が多かった。しかし私はそうしたファッションが苦手だった。





私は追浜にある、



[ロッキー]



という、改造学生服を売る店で少し太めのズボンを購入し、裾は引きずらずに少し靴にかかる位置に調節し、ローファーだけでなく、革ベルトもオイルで磨き、常に光沢を失わせないように気を遣った。学ランは必ずブラッシング。冬場でもマフラーをすることはなく、詰襟のカラーを外してホックまでしめて襟元を暖めていた。




今になって思えば、そうした私の小さなこだわりの一つ一つも、全ては



[八十年代症候群]



が、私の深層の美意識の中に潜んでいたからに他ならない。なぜ、私は八十年代を好んでしまうのだろうか。




その理由として考えられるのは、私の人生の中に




[あの頃]




というものが少ないからなのかもしれない。





「あの頃はメチャクチャに遊んでいた。」




「あの頃はブイブイ言わせていた。」




「あの頃は何も怖くなかった。」




など、私は今までに他人の口から様々な




「あの頃」




を聞いてきた。






しかし自分自身を思い返してみると、私の中にはブイブイしていた時期など無かったし、遊び呆ける事にも快感を見出だせなかった。酔っぱらっても、どこかで冷めているつまらない自分に嫌気がさしていたし、



[怖いもの知らず]



を自称し、調子に乗っている輩を見ると無性に腹がたっていた。ひねくれた若者だったのだろう。常に何かに恐怖を感じながら生きていたように思う。






そんな私からすると、テクノカットの男性や、工藤静香風な髪型の女性達がテレビのVTRの中で弾けている姿は滑稽だし、何が楽しいのか理解できない部分も多いのだが、ついついとれてしまう。何故ならそのVTRに映っているその姿は、彼女達にとっての





[あの頃]



であり、その弾け方は私が持ち合わせていない、




[ブイブイ言わせていた時期]




という言葉に当てはまる。




バブル時代の文化に触れると、私自身もその時代の中で、皆と弾けていたような錯覚がおこる。私には現実に弾けていた時期が無いので、空想の中の[あの頃]が頭の中で膨張し、テンションが高くなるのかもしれない。






・吉川晃司のステップ




・無駄に高い給料




・あまり色気を感じないハイレグ












やはりバブルは面白い。














ふと気が付くと、サマージャンボの季節が迫ってきている。












ヒキの強さで、ポルジーニ☆バブルを、起こしたいと思っている。

三浦台

Power of all 大なるままに-2009060616480000.jpg
「もしもし」





「もしもし竜崎さんのお宅でしょうか?山本ですけど俊介君はいらっしゃいますか?」




「あっ、どうもご無沙汰してます(^.^)」




「おお、さやか嬢?(^.^)久しぶりだな。」











暇を持て余した土曜日の昼下がり、話し中で携帯の繋がらない友人の家に半ば強引に電話をかけると、友人の妹が電話に出てきた。




高校入学当初、新生活の辛さに馴染めなかった私は、毎晩その友人の家に電話をしていた。彼も新入生だったので、私と同じように辛かったはずなのだが、毎日毎日、親身になって私の話を聞いてくれた。







「ノストラダムスの予言通り、7月に人類が滅亡してくれたほうが今よりマシ。」







そんな私の情熱的なネガティブシンキングに、友人は根気よく付き合ってくれた。電話をすると、いつも彼の妹が取りつぎをしてくれていた。本当に毎晩電話をかけていたので、最後の方は私が




「もしもし」




と言っただけで、




「あっ、お兄ちゃんに代わりまーす(^.^)」




と、受話器を友人へとつないでくれた。











約10年ぶりに話す彼女の言葉遣いはとても丁寧で、いつの間にか大人になっていることに驚いたが、話をすれば何も変わらぬ無邪気な妹君で、世間話に花が咲いた。







「まぁお兄はあんな女と別れて正解だと私は思いますね!アレは本当にありえないですね。色んな意味で。」




自分の元カノを、妹に




「アレ」



と呼ばれ、しかもその存在を弱冠蔑まれている友人が少し可哀想になったが、女性が女性を見る目は厳しいので仕方ないと思った。15分位話した頃、友人が受話器越しに出てきた。







「お前、いつまで人の妹と話をしてんだよ(-.-)」





「あ、お兄さんすみません。暇なら後楽園行かねー?今日はタイトルマッチが2つあるんだけど、そこに出てくる中川ってのがいて、そいつテストの時の相手だったんだよね。だから見ておきたいんだ。」





「いいよ。じゃあまた後で。」






私は友人が住む川崎に向けて車を走らせた。


















人は誰でも、己の限界を突きつけられる瞬間に、遭遇するときがある。










八百長・横綱として土俵に君臨した千代の富士は、貴花田に敗れた瞬間に、自身の体力と気力に限界を感じ、引退を決意した。







芸能界に様々なブームを仕掛ける島田紳助は、ダウンタウンが新人としてデビューしてきた際に、


「俺は、ダウンタウンに勝てない。」


と、漫才という形での勝負を諦め、現在のような司会業を中心としたタレント像を目指した。








[世界のTK]



こと小室哲哉は、彼が個人的に楽曲を提供していたアーティスト達のCDセールスを、小室自身が所属していたTMネットワークとして越えられない事に限界を感じ、TMネットワークの活動を停止させると同時に、プロデューサーとしてTRFを始動させるに至った。










そして2008年、私はとあるジブリ映画をきっかけに、己の限界と向き合う事になった。










ポーニョポーニョポニョ魚の子ー♪








あのテーマを口ずさんでいる一人の少女を見たとき、私は身体中から力が抜けていくのを感じた。





世間のお年寄りは、両脇にくたびれた二人の中年を従え、元気に歌を歌う少女の姿と、自分の孫を重ね合わせて少女を応援したのだろうと想像がつくが、少女を見た私の一発目の感想は、







「俺がポニョポニョ歌った所で、この子のように数千万は稼ぎ出せない。(-.-)」





というシビアなものだった。










生まれて6、7年の少女より、約20年も長く生きている私のキャリアが、人生が、その少女が口を膨らませて発する



[ポニョ]



という訳のわからないフレーズ一つで、数千万の差をつけられて、一方的にねじ伏せられたのである。











ざらついた苦い砂を噛むと~♪ねじ伏せられた正直さが♪今頃になってやけに骨身に沁みる~♪











私の頭の中で、剛がとんぼを熱唱した。











「しあわせはいつも自分の心が決める」









天国にいるみつをが、やさぐれた私の心をそっと包んだ。













「俺は…俺は限界を超えてやる。」





私はスーパーサイヤ人を越えようとした[悟空]のように、あるいはスピードの向こう側へと行こうとした
[特攻の拓]のように、更なる高みを目指すことにした。そこで私は、












[宝くじを例年よりも多く購入する]











という、今現在私にできる精一杯の努力をし、大橋のぞみに対して反撃の狼煙をあげることにした。 引きの強さで、数千万の差をひっくり返したいと思っている。







川崎で友人を拾い、ドームに野球を観に行くというさやか嬢とその友達を乗せ、私達は出発した。



到着して二人と別れ、私と友人はクレープを食べ、パスタとピザを食べ、そしてアイスを食べた。



「く、苦しい(*_*)」


友人が食べきれなかったアイスを私が食べ、ホールで試合を眺めた。











リングでの熱戦が終わった後、駐車場に向かう私たちの足取りは軽かった。




「中川、強かったな。」




途中まで劣勢だったチャンピオンの中川は、終盤になって強引にチャレンジャーを薙ぎ倒した。



だがその興奮の余韻に浸って駐車場に到着した私たちに、またしてもリアルな限界が突き付けられる事になった。












「えーっと料金が…五千六百円!?(*_*)」























もう二度と、後楽園には車では行かないようにしたい。

おどるポンポコリン。

Power of all 大なるままに-2009053021080000.jpg
発起人…竜崎 山本




1・チーム名候補


・ウイリーズ

私達の歴史は、森林公園での天ちゃんのウイリーから始まったことに由来



・ボーダレス


皆、それぞれの環境で嫌なことや辛いこともあると思うが、このメンバーで野球をやることに、しがらみや上下関係はなく、平等に楽しくやろうという意



2・チームカラー


・赤を候補とする。

理由は、赤がいいなと思ったからである。


3・ユニフォームデザイン


・チームカラーが決定次第、その色に合うデザインを選考する。国内外の球団のものを参考とする。


4・用具について


・ユニフォーム、グローブ、スパイクは個人負担とする。


・ヘルメット、ボール、バット、キャッチャー道具(プロテクター、ミット)等、皆で使う物、又、練習、試合においてのグラウンド使用料、道具類を運ぶのに使用した自動車の駐車場代については、皆で折半とする。


5・活動内容

比較的、各人の仕事が忙しくならない月始めの土曜、もしくは日曜日を基本とし、練習や試合を行う。やってるうちに熱くなるのは目に見えているが、基本的には楽しく野球をすることがモットーであり、試合出場に関しても特定の人間がでずっぱりにならないように、平等に配分する。














久しぶりに相鉄線に乗り、横浜に向かった。



昨年の秋に車を購入して以来、通勤以外で電車に乗ることがほとんど無くなっている。自分が惚れた車の室内空間の中で、好きな音楽を聴き、物想いに耽り、独りでリラックスできるその空間は何にも代えがたく、できることなら、


[数分歩く距離]


ですら、車を使いたくなるくらいに依存心が高まっている。電車の中で、見ず知らずの他人を見てるだけで疲れてしまうし、その臭気に酔ってしまう。




しかしこの日は、酒を飲むことが確定していたため、いつもはテキトーなサンダル履きの足元を革靴で固め、私は和田町駅のプラットホームで電車を待った。











草野球チームを作りたいという私と竜君の突発的な思いつきに対し、高校の球友達は実に協力的な姿勢を見せてくれた。竜君が皆に参加を呼び掛けるメールを送った所、多くの仲間達から参加の希望が出された。



個々に会う事はあっても、皆で集まるのは年末の忘年会位で、高校の頃も何かと問題の多いチームだったが、彼らが私にとって、色々な思い出を共有した大切な仲間であることに嘘は無い。


当時は仲間であると同時にレギュラーを争う敵でもあったため、練習試合等では味方の活躍に、







「ナイスバッティング!」





と声をかけても、内心では




「ヒット打ちやがってよー(-.-)」





とイラついていた。







特にポジションが同じ人間に対してはそうした意識が強くなり、



・できることなら三振をして、ついでにエラーもしてほしい



・何かの拍子に転んで、野球を休まなければならない程度の怪我をしてほしい



そんなことを妄想しながら、自分がレギュラーになることばかりを考えていた。


部活を引退してからは全く野球に関わりを持っていなかったし、やりたいとも思わなかったが、最近になって




「今なら、あいつらのヒットを心から笑って喜べるのかもしれない。」




そんな気持ちが沸いてきた。野球をやらなければならないような気がしてきた。













約束の一時間前に横浜に到着したので、数ヶ月ぶりの横浜を歩いてみたのだが、新しい店が沢山増えていて、私の知らない横浜がそこにあった。



「無駄にマルイに青山フラワーショップなんか入れやがって。意味ねーんだよ。」




値段が高いだけで、花の少ない貧相な花束しか作れない青山フラワーショップに毒づき、私は鶏を摘まみながらビールを飲んだ。











約束の時間になり、待ち合わせ場所に行くと、皆が続々と集まってきた。


高校卒業以来に見る仲間もいて、なかなか懐かしかったが、酒が入って会話が進むにつれ、その懐かしさは更にエスカレートしていく。

私の作成した提案書をもとに、チーム名、ユニフォームデザイン、背番号などがスムーズに決定していく。

チーム名はウイリーズとなり、ユニフォームはメジャーのフィラデルフィア・フィリーズのデザインをモチーフにすることにした。


「とりあえず格好が良くないとやる気にならないから、イイヤツを作らないとな!」



あーでもないこーでもないと話を詰めながら、色々な事が決まっていく。楽しい。










私の背番号は5になった。背番号の上にはDAIとネームが入り、清原のようにネックレスをチャラつかせ、派手なリストバンドも装着する予定でいる。











映画のルーキーズも観て、イメトレも完了。








一発目の活動は、ユニフォームの採寸と体力作りのために、根岸森林公園で始動する。


あの伝説のウイリーを目撃した、あの公園で、すべてが始まったあの丘で、ウイリーズの歴史もスタートする。












今から…

















バットをブン回してきやす。


(^.^)