昨年暮れの中山大障害でアップトゥデイトとのマッチレースを制し見事JG14勝という偉業を果たしたオジュウチョウサン。
骨折を乗り越え昨年全勝無敗と非の打ち所のない実績を残しこの伝説的な名勝負を通じて多くの人たちに感動を提供してくれた。
結果的には、2017年の最優秀障害馬として選定されたが、最優秀障害馬選考に際し『該当馬なし』という評価をした栗村智氏の評価により満票には至らず。
この評価について多くの競馬ファンが違和感を感じ投票行動に対する多くの違和感や批判が集まっている。
個人的には多様性や自由を奪う危険性があるので安易な批判については慎重になるべきだとは思う。
実体が曖昧な一般性の奴隷になるのはつまらないし同調圧力は息苦しく感じる。
安全保障的な意味合いでも様々な思考を尊重するスタンスが根底にあるべきだと強く思う。
正義は同調圧力となり単純化を通じて画一化を進め民意を得て制限に形を変える。
制限はモラルとして浸透しやがてルールを求める。
痛みに敏感な人達の正義に理解を示し過ぎれば最大公約数がルールとなり数多くの自由を奪ってゆく。
倫理が成熟する事は素晴らしいことだと思うがやはり行き過ぎれば功罪はあるはずで、これら弊害を理解すれば薄っぺらい正義を掲げ安易な批判を繰り返すような人間にはなりたくは無いし多くの人がおそらくそう感じていると思う。
しかしオジュウチョウサンへの評価はそういう次元ではないように感じる。
今年は骨折を乗り越え全勝を達成し障害重賞8連勝という偉業を達成。
春秋の障害のビックレースでもある中山大障害、中山グランドジャンプを連覇しJG1-4勝を達成する等、非の打ち所のない実績を残している。
特にアップトゥデイトとのマッチレースを制しレコードタイムで勝利した中山大障害の記憶は新しい。
オジュウチョウサンのベストバウトであり多くの人達に感動を与えた素晴らしいレースでもあったことからこの投票行動に対して競馬ファンの多くが違和感を感じるのは当然のことだと思う。
障害レースに価値を感じない人であっても馬最優秀障害馬の選定であれば昨年のオジュウチョウサンを選定しない理由はないはず。
同馬が最優秀障害馬として相応しくないとするなら最優秀障害馬の資格を持つ馬など居ないと多くの人達がシンプルに感じたことが批判の背景にあると思う。
オジュウチョウサンの偉業に対しリスペクトを感じている多くの人達が栗村智氏の投票背景を知りたいと思うのは当然の疑問なのだと思う。
選択する気が無いのであれば選定する立場に居るべきでは無いしそもそも資格が無いように感じる。
いちいちこのようなことを思うのもしんどいがそんな風に感じてしまったなあ。